第19話
数分後、ようやく痛みから立ち直った自分は椅子に座っていた。昨日と同じく、入口そばの椅子に黒板を背にして座っている。江戸原琉歌も昨日と同じように、自分から見て右手側、窓際の席に座っている。
「あの、本当にごめんなさい。大人しく頼んでおけばこんなことにはならなかったのに」
「大丈夫だって。物が落ちるなんてよくあることだから」
江戸原琉歌は先程から謝罪しっぱなしである。今も泣き出しそうな目をして顔を俯かせている。いつも強気な彼女が、しおらしく振る舞っているのを見ると調子が狂う。罵倒してくるくらいがちょうど良い。いや、別にマゾヒストではない。睨んでこない彼女は普通に美人だから緊張してしまうのだ。
それにしても全集の鈍器としての潜在能力には驚いた。全集を凶器にして、燃やしてしまえば証拠隠滅できるのではないだろうか。完全犯罪かもしれない。もし今回打ち所が悪かったらどうなっていたのだろう。「八咫高校の1年男子、頭に太宰文集を受け死亡」なんて文字が新聞に並んだら恥ずかしくて死ぬしかない。あ、もう死んでるじゃん。
それよりも、女子のピンチに咄嗟に体が動いた自分が少し誇らしい。これはきっと姉の教育の賜物だろう。「目の前で女子に怪我をさせる男は最低。直接手を出す男はゴミ」が姉の信条だ。これを振りかざして一方的に暴力を加えてきたことを思い出す。いつか復讐してやる。全集アタックとかが良いかもしれない。
「本当にごめんなさい」
「気にしなくて良いよ。まあ、これからは人の親切は素直に受け取ろうってことで」
江戸原琉歌は再び消え入りそうな声で謝る。過ぎたことを悔やんでも仕方がない。元々の原因を直してくれれば満足である。他人に助けてもらうのは悪いことではない。足りない部分は補い合えば良いのだ。
「分かりました。次から本棚の高いところはお願いします」
「そうそう、それでオーケー」
なんか親切を受けるところが限定的な気もするが、今はそれでも良いだろう。江戸原琉歌はきっと負けず嫌いなのである。
「さっきから手に持っている紙は何なんですか?」
「全集から落ちてきたんだ。多分中に挟まれてたんだと思う。手紙みたいだし見て大丈夫なのかなと思って」
勝手に手紙の中身を見るのは気が引ける。もしかしたらラブレターとかかもしれない。他人に見られたと分かったら悶絶してしまうだろう。挟まれていたということは、その想いは届かなかったのかもしれないが。
「結構古いものだったから大丈夫だと思います。ただのプリントかもしれませんし」
「確かに。まあ、挟んだままってことは重要ではないってことか」
江戸原琉歌の言う通り、この紙自体もだいぶ古いものらしく、元は真っ白だったであろうものが、薄い茶色に変色してしまっている。持ち主も覚えていないであろうし、開いても罰は当たらないだろう。ということで折りたたまれた紙を開いていく。
「何か書いてありますか?」
「書いてある。えっと……」
手紙を開いていると江戸原琉歌が尋ねてきた。一部消えかかっている文字もあるが、はっきりとした筆圧で何かが書かれている。彼女にも分かるように読み上げることにする。
『私は彼の死の真実を知っている。人は彼が自殺したと言うが、それは真実ではないと知っている。彼は殺されたのだ。私達が彼を殺したのだ。
私は真実を告白する勇気を持たなかった。真実を隠し通す覚悟を持たなかった。私の心はこの罪に耐えられなかったのだ。
学校を去る前に手掛かりを残すことにした。誰かが真実を明かすことを願って。誰かが真実を明かすことを恐れて。
●●●ハ悲シンダ。ロクニ身動キスラ取レナクナッタ吾ガ身ヲ嘆イタ。悲嘆ニクレ歪ンダ●●●ハ彼カラ全テヲ奪ツタ。彼ハ●●●ノコトヲ●●●●●●●●●●●●。
アア、彼ハ何ヲ思ツテイタノダロウカ。今ハソレヲ知ル術サエナイ。
平成12年2月27日 』