第16話
開いたドアから、石谷先生がひょこっと顔を出した。27歳にもかかわらず、跳ねるような可愛らしい仕草が似合う先生だ。
「失礼します。本野君、鍵はあったみたいだね。あれ、江戸原さん?」
石谷先生は鍵の件を確認するためにわざわざ足を運んでくれたようだ。報告に行くべきだったと反省する。江戸原琉歌の姿を見て目を丸くしている。それはそうだろう。実力テストの件は石谷先生にも話していたから、仲が良い印象はないはずである。江戸原琉歌は本から顔を上げてぺこりと頭を下げた。
「江戸原さんが入部してくれるみたいです。これで創部は大丈夫ですか?」
「部活の件はオーケーだと思うよ。反りが合わないのかなって思ってたけど、そんな訳でもないみたいだね。良かったよー」
事情を説明すると、石谷先生は笑顔でそんなことを言った。瞬間、後ろからチッという音が聞えた。もしかして舌打ち? 仲良さげに思われたことがそんなに嫌? 全く反りが合わないみたいですが。
「申請書とかいるんですかね?」
「手続きは私がやっておいてあげる。入部届だけは忘れず提出してね」
「ありがとうございます。お願いします」
石谷先生は天使みたいな人である。先程舌打ちした悪魔に、爪の垢を煎じて飲ましてあげたい。深々と頭を下げてお礼を言う。
「あ、それとね、一つ言い忘れてたことがあったんだ。部活には顧問が必要なの。だからね――」
もしかして石谷先生が顧問になってくれるのだろうか。なんて幸福なのだろう。男子生徒を敵に回すことになってしまう。
「――音楽の斉藤先生に頼んでおいたから。私は茶道部と将棋部で顧問をやっているから無理なんだ。本野君のこと言ったら、斉藤先生すごく乗り気になってくれてたよ」
石谷先生は花が咲くような笑顔で、そんな残酷なことを告げた。仕事を分散させるために、顧問は二つまでしかなれないことになっている。あの熊め。部活動でも俺のことを痛めつけるつもりか……。
「色々と迷惑かけてすみません。ありがとうございます」
親切でしてくれたことを責めるわけにもいかず、とりあえずお礼を言う。斉藤先生の魔の手から逃れる術を考えなければならない。蜂蜜でも渡しておけば大人しくなるだろうか。赤い上着が似合いそうですね。
「あ、副顧問は一応私だから。あんまり来られないかもしれないけど、よろしくね」
「よろしくお願いします」
石谷先生は可愛らしくウインクする。惚れてまうやろーっ! 将棋部の顧問を斉藤先生と交換するのはどうですかね。これ以上ない名案だと思うんですけど。
「それにしても、何だか部屋の中ぐしゃぐしゃだね……。そうだ、手続きはやってあげるから、二人で明日部室を掃除すること。やっぱり新しく物事を始めるときは、環境を整理しないとね」
「……。はい、分かりました」
石谷先生は笑顔で言った。この本の山を整理するのか。全く気が進まないんですけど。やりたくなさすぎて消え入るような返事になってしまった。返事を聞いて、石谷先生は満足げに頷いている。
それにしても、江戸原琉歌が先程から全く発言しない。何をしているのかと後ろを振り向くと、彼女は読書に熱中していた。俺と石谷先生の話など耳に入っていないようだ。俺は良いけど、先生の話は聞けよ……。