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彼は鈍い。
「あと瓶はどのくらいある?」
発酵部屋にあった中樽の二つ、三つの樽をほぼ空状態の貯蔵庫に移しながら声をかける。
もちろん大樽は使い魔に運ばせた。
先に仕事を終え、右斜め上をふよふよ浮いてやがった小さな黒い相棒が目の前に飛んでくると、その枝のような細い足でくりくりと空に何かを描くように動く。
「あー、もうそんなもんか」
心もとない数を提示され、この前の宴会時に頼んでおけばよかったと思っても後の祭り。いやこれマジの話ピッタリな表現だな。
転がしていた樽に板を挟み込み、梃の原理で起こす。
やれやれと一息吐く。左手を右肩へ、それから首をぐるりと一回し流れるように反対側へもう一回しした。こきりと小気味良い音が聞こえれば、そのまま両腕を上に大きく伸びをする。
そろそろ次の酒を仕込みにかかるか。
保存庫に増えた果実の山を頭に思い浮かべ算段をする。
あー、それより樹海行くかな。地中花が咲く頃だろう。
……その前に一度水車に寄っておくか。
先程よりも長く息を吐き、ふと顔を上げれば同居中の彼女と目が合った。
にこりと笑顔を向けられ、何時からそこにいたのか声をかけてくれればいいものをと首をかしげる。
「あーっと。どーした?」
とりあえず持っていた板を入り口近くの壁に立て掛けつつ問えば。
「お茶を入れましたの。休憩にしませんか?」
「おー」
偶に誰かを泊めることはあるがこういった配慮は少ない。
用はほとんど済んだことだし喜んで上に上がることにした。
客間兼リビングは彼女に貸出し中なため、キッチンの小さなテーブルでの茶会となった。
「思ったより体力があるんですね」
前回の戦利品として納められた香茶をごくりと一口飲んだところで、今日の仕事ぶりに評価を得る。
戦利品というか宴会の持ち寄り品というか。
大抵いつもの仲間同士での飲み会は食べるものも飲むものも持ち寄りが基本で、主催者が提供するのは場所だ。今回は酒がある状態であったがために食材が多かったが、そういったものを持って来れない時はそれなりに価値の有りそうなもので代わりとする。価値を決めるのは主催者なのだがこれもなかなか難題で、興味や趣味であったり必要でなければ参加を却下されることもある。
俺はなんでもいいけどな。
多いのは嗜好品や日用品。次の仕込みの為にと大量の果実を持ってくる者もいるし、ドラゴンの鱗や爪なんかも薬酒には必要だったりするので有難い。
「パパたちに比べたら細いですし、トレーニングもしてなさそうですのに」
彼女の周りの環境を思えば弱いと見なされていても仕方はない。
父親である隊長を筆頭に、鍛える事ばかり考えている連中がしていることを考えれば体格の差は歴然だ。
実際、狩りや戦うことは苦手だし。だからと言って交渉や取引が有利に出来るほど口が回る方でもないが。とりあえず職業的には、まぁ普通に力仕事の内には入るだろうからそれなりにはあるかもしれない。
「それでお嬢ちゃんはこれからどうするつもりなんだ?」
やや強引だが話題を変える。
鍛錬の話とかされても困るし、そういう暑苦しいのはいらない。貴方もどうです、なんて言われてもやらねぇし。
「街に行って冒険者をしてみたいんですの」
ほんの少しさっきよりも目を輝かせて彼女は言う。
力試しの為、街で暮らす前のワンクッションに俺ん家を選んだのだと聞かされ。
「ふぅーん。でもこんな森ン中で一所に暮らすのと街でパーティ組んであっちこっち行くのとは、ちょっと違うんじゃないのか?」
人との触れ合いも極端に減ることを思えば、実家で奴らの誰かとそういった連携だとかの練習をした方が良いだろと問う。
「誰か別の、家族でない人と一緒に居られるかどうか。それがわかったので十分ですわ」
「そーゆーもんなの?」
「そーゆーもんなんです」
生まれた時から一緒に居れば家族同然で、それとは全然違うと言われれば確かにと納得する。
「お邪魔でなければもう少し居させてくださいな。お酒造りのこと知りたくなったんです」
自分の好きな仕事に興味を持たれて嬉しくならない奴はいない。
「ああ、いいぜ」
そう言って機嫌良くお茶請けのブラウニーに齧り付いた。