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何もしない日もある。
酒瓶を片手に寝室に向かう。
ゆったりしたい気分で選んだのは香り高い赤色の火槐の酒。
部屋の中は昼間にもかかわらず薄暗い。
サイドテーブルに瓶を置いて少しだけ窓を開けば、パタパタと雨粒が木々の葉に弾かれる音が一際大きくなった。
湿気を含んだ涼しい空気がふわりと薄いカーテンを揺らす。
とはいえそんなに強いわけではないらしく膨らむように煽られたのは一度っきり。
そのあとはささやかに揺らめくだけにおさまる。
これなら部屋の中に吹き込むことはないだろう。
用心に越したことはないととばかりに薄くした窓の隙間から見える空は白く、所々暗い灰色の雲の塊がもこもこしていた。
今日は一日雨だな。と独り言ちて窓をそのままにベッド傍に戻る。
雨は嫌いじゃない。
外に出るのも自分が濡れるのももちろんだ。
まぁでも。部屋が濡れるのは困るよな。使い魔も怒るし。
いつもなら容器に頓着しないが、今日は特別に何の飾りもないつるりと丸いグラスに酒を注ぐ。
透明で気泡のない硝子で出来たそれを目の前まで掲げて回すように揺らせば、いつの間にか点けられていた魔法燈の仄かな灯りがきらきらと赤色を輝かせた。
広がる香りを吸い込みながら一口、口の中に流し込む。
……あー、ホント。酒うめぇ。
視線を下げればツマミの用意を終えた使い魔が、俺の意図に気付いて差し出す新しいグラスに半分ほど注いでやる。
そのまま寝室の一角にある奴専用の場所にひらり、ふわりと飛んでいく。
把手もない硝子の縁はつるつるしているのに、どうやってあの棒のような足で掴んでいるのか悩んだのは昔の話だ。
客間の物と同じような仕様の其処には一番お気に入りのものが並ぶ。
この間贈ったばかりの揺り椅子(今まであったものは客間に降ろされた)にちょこんと座り、自分と同じくらいの大きさのグラスを器用に回しながらちびりちびり呑む様は微笑ましいというやつだ。
グラスの残りを一気にあおりサイドテーブルに置いた。
代わりに取った雑誌を片手にごろりとベッドに転がる。
そのまま踵でブーツを押し脱ぐ。ゴトン、ゴトンと床に落ちる音がした。
上半身だけを起こし、ベッドの端ににじり寄ってテーブルの上のツマミに手を伸ばす。
一口サイズに切られた炙り肉とチーズがきれいに並ぶ。ソースはなくピックで刺すようになっているのは手を汚さないためだろう。
一つ、二つ口に放り込んでもう一度グラスに酒を注ぐ。
ごくりとさらに一口飲んで、食材が酒の阻害にならないことに気付いた。
濃いソースであればそっちの味が勝つこともある。
……やるな。使い魔め。
顔を向けると奴はこちらをちらりと見やって、硝子越しにニヤリとした。
雑誌をパラりとめくる。
市の雑貨屋で手に入れたそれは最新とは言い難いが、十年、二十年前の物なら十分新しいの内に入るだろう。
何処かの旅行好きが出したとかいうその世界酒大全はすべて絵付きの、さらに色付きで見た目も楽しい。
ぺらぺらとして、しっかりした紙でないのが残念なところか。
誰か知り合いにでも破れないように魔法をかけてもらえるように頼んでみるかな。
トリスはこういったのには向いてないだろうから却下として。
……何時か俺の酒も有名になればこんな雑誌に載ることもあるだろうか。なんて考えてみたりして、ふと思い立つ。
「おい。出掛けるぞ」
呑みかけのグラスを空にして、瓶はもう一度栓をする。
ブーツを履きなおしたところに、テーブルの片づけを終らせた相棒が目の前にぶら下げ準備したコートを羽織った。




