メガネ少女とシスコンの兄
その日、超人たちは戻って来なかった。
全ての授業が終わり、聡史は机の上においた鞄の中に、教科書とノートを詰め込み始めた。
教室の中は授業を終えた解放感から、緩んだ私語が飛び交っている。
「早く部活行かなきゃ」
「今日さ、帰りにどこか寄ってかない?」
「中島ぁ」
一人の男子生徒が言った。
その空気の振動は聡史の耳の鼓膜を震わせはしたが、気分が少し緩んでいた聡史は、脳の分析段階で自分への呼びかけだと言う判断に至っていなかった。
「なあ、中島」
その男子生徒に肩を叩かれて、ようやく聡史は自分の“名前”を呼ばれている事に気付いた。
「あ、ああ。何?」
聡史はその男子生徒に視線を向けた。
さっき聡史を取り囲んで、話しかけてきていた生徒の一人だ。
「俺さぁ。バスケ部なんだけどさ、入んない?」
「あ。いや、俺はやっぱ、ここでも帰宅部で」
「青春しようぜ」
「わりいけど、帰宅部で」
「そう言うなよ」
「いや、悪いけど、マジ、帰宅部で」
「そうそう。帰宅部でいいじゃん」
別の男子生徒が割って入ってきたかと思うと、聡史に名乗った。
「俺、柳」
「あ。俺、中島」
「知ってるよ。朝、自己紹介してたんだから」
もっともな返事だが、その返事に少しむっとした表情をした聡史だったが、気を取り直して、笑みを返しながら、たずねた。
「で?」
「おう。一緒に帰ろうぜ」
聡史としては、少し気分を害していたが、これに乗らない手はない。
「おう。帰ろう、帰ろう」
そう言って、聡史は机を離れはじめた。
「いやあ。マジ助かったよ」
教室のドアを抜けると、聡史が柳に言った。
柳と並んで廊下を歩く聡史。
廊下を歩く生徒たちの多くは、二人と同じく校舎の出口を目指しているらしく、背を向けて歩いているが、何人かは逆方向を目指していて、二人に向かって歩いてきていた。
「中島はどうやって帰るんだ?」
「親戚ん家に住むのもなんだから、寮」
「なんだ寮なのか。
学校の隣じゃないか。それじゃあ、授業終わっても学校にいるみたいなもんだろろ?」
柳がそう言った時、聡史の目は自分たちに向かって歩いて来る一人の男子生徒に釘付けになっていた。
二つボタンのブレザー。
上のボタンはきらきらと金色の真新しい光を放っているのに、下のボタンはくすんでいて、明らかに違いすぎた。
ボタンを取り換えた。
つまり、聡史が探している人物の可能性がある。
その男子生徒はいそいそと二人の横を通り過ぎて行った。
聡史が立ち止まって、その男子生徒を目で追う。
「どうしたんだ?」
立ち止まった聡史に気付いた柳が振り返って言った。
聡史は返事を返す事も、柳に振り返る事もせず、じっとすれ違った男子生徒に目を向けている。
男子生徒は一つの教室に姿を消した。
その教室は聡史たちがさっきまでいた教室だ。
「悪い。ちょっと戻る」
早足で教室に戻る聡史の後ろ姿を見つめながら、柳は立ち止まったままだ。
男子生徒に続いて、教室に飛び込んだ聡史は、教室の中に男子生徒の姿を探す。
窓際近く。
その男子生徒は一人の女生徒の前に立っていた。
左腕をギブスで固定した女生徒。
聡史が見ているかぎり、ずっと教室で一人きりだった。
休憩時間も、授業中も。その顔には笑顔はおろか、生気さえ感じられないくらいだった。
だと言うのに、今はかすかな笑みが浮かんでいる。
「恋人?」聡史は二人の関係が聞きたくて、近くを見渡した。
偶然、原田が近くにいた。
「なあ、ちよっと教えてくれないか?」
声を抑え気味にして、聡史が原田にたずねた。
「あん?」
「あの男子生徒は誰?
あの子とはどう言う関係なんだ?」
「へぇー。中島君。そうなんだぁ」
からかい気味の口調と表情で原田が言った。
「なんだよ」
「もしかして、岡田さんの事気になるんだぁ」
どうやら、ギブスの少女は岡田と言うらしいと言う事を聡史は知った。
「はい?
原田。何か誤解していないか?」
「いいのよ。隠さなくったって。
岡田さん。かわいいもんね。そこに気付くとはなかなかだね」
かわいい。それは聡史も最初に思った事だ。
しかも、今は教壇の上から見た時よりも、かすかだが笑みが浮かんでいる分、輝いて見える。
「いや。それはどうでもいいから、教えてくれないか」
「あれは岡田さんのお兄ちゃんだよ。岡田貴明先輩。
かっこいいから、好きだって子は結構いるみたい」
視線を男子生徒の顔に向けた。
妹に笑みを向けている顔は知性が感じられ、確かにかっこいい部類に入る。
「でも、残念なんだよねぇ」
その言葉に、「何が?」そんな表情を原田に向けた。
「シスコンだもんねぇ。
登下校も一緒だし、今みたいに下校の時は教室まで迎えに来るんだよ。
両親はいないって話なんだけど、ちょっとねぇ。私には無理だわ」
何かいい話が聞けるのかと思っていた聡史はがっかりした。