3大陸ツアー その1
この時期、都バクタプルはジャムナ内海に入り、小さな緑の島が無数にある多島海に停泊していた。
しかし寒気団が南下してきたようだ。そのためジャムナ内海を南へ縦断して、最終目的地である越冬地のティスタ河へ向かうことになった……と、宰相が街中の空中ディスプレーに登場して説明した。
しばらくして、喫茶店のコーヒーや紅茶カップに波紋が広がる。ゆっくりと都が南へ向けて内海を動き始めたようだ。
もちろん温暖な気候を好むエルフにとっての寒気団なので、周辺の小島群の緑は若干勢いを落とした程度である。当然ながら、落葉や枯死などは全く見られない。寒いのはエルフだけ、である。
北の大地から越冬に訪れている数百万羽を超える渡り鳥の大群は、ここの小島群で冬を越す。おかげで島々は1年で最も騒がしい時期である。
猛禽も群れをなして一緒に南下してきていて、上空を優雅に旋回している。
他の世界では猛禽類は単独行動をしているものであるが、ここエルフ世界では事情が異なるようである。恐らく、巨大虫の脅威があるためだろう。
その巨大な虫の群れはエルフと同じように寒がりなので、さらに南まで移動していく。今も、数十万匹を超える巨大な虫の群れが南へ飛行しているのが見える。
ちなみに飛べない虫は、北の大地でその短い生涯を終えるか、巨大な塊を形成して岩穴や地下にこもって越冬している。ここ小島群は辛うじて活動できる気温なので、元気は全くないものの冬眠せずに頑張っている様子だ。
都バクタプルが数回の嵐をジャムナ内海上でやり過ごして、南岸のティスタ河の河口に到着した頃には、季節はすっかり冬になっていた。
さすがに南のここでも日中の陽射しは力が弱く、時々曇ったり雨になったりすると肌寒いくらいになる。夜間でも気温は10度以下にはならないのだが、寒がりのエルフには堪えるようだ。
ラウトがコラールに話しかける。
「それでも、北よりはずっとマシなんだけどね」
さすがに喫茶店の席も、外のテラスではなくて暖房の効いている室内に移っていた。
火を使わないエルフ世界なので、壁や天井などから放射されるマイクロ波を使って室内の客を温めている。ちょうど電子レンジのなかで温められているようなものである。
しかし体は温かくなるが、部屋の気温は低いままだ。そのためラウトたち以外の客も皆、背を丸めて湯気の立つ温かい飲み物を飲んでいる。
「このティスタ河口デルタって、夏は猛烈に暑いんだけど今は過ごしやすいよね。日中歩いても気持ちいいよ」
おなじみのアバンのヒット曲メドレーが、気にならない程度の音量で室内に流れている。
ニュースでは、ここの寒さからも逃れて、多くの住民がティスタ河の上流部へ向かい南方へ遡っているそうだ。冬でも気温が35度を超えるローツェ高原のふもとへ移動していると、映像を交えて流している。
「ふうん。私は、ここは冬場しか知らないけど……そうなのね」
コラールもクルミのミルクがホイップされたホットチョコレートをすすりながら、カットされたグアバをつまんでラウトの話を聞いている。虫のツマミがないところを見ると、寒さで虫も少なくなっているのだろう。
ラウトがホットミルクティーにバタークッキーを浸して食べながら聞いた。
「だいぶ水も冷たくなったんじゃない? ツーリングは今もしてるの?」
苦笑するコラール。
「うん、そうね。夏場ほど頻繁にはツーリングしてないわね。防御障壁を展開していても、解除した時が寒いのよ。風邪をひきかねないものね。でもね、ラウトさん」
話を変えて、コラールが目をキラリと光らせた。
「水上警察は、連日遅くまで訓練してるわよ」
ラウトも意味を察して促した。
「ああ……そうか。そろそろだね。今年はいつからだっけ」
コラールの目の輝きがさらに強まっていく。
「2週間後よ。今年は優勝するっていう前評判なのよっ」
あっという間に2週間が過ぎ、今年も3大陸ツアーの季節になった。
これは世界最大の5日間にわたる国際ツアーで、冬のメインイベントである。前後には前夜祭や冬至祭があり、それを含めると10日間ほどの大祭になる。これに世界中の警察などの公機関や民間団体の強豪達が参加して順位を競う。
ツアーのルートは、南半球のブトワル王国の首都ジャバルプルを出発して、陸橋を越えて南極大陸を横断し、また陸橋を越えてウダヤギリ王国の首都ウダヤギリまで到着するというものだ。極地を含む荒地を踏破する過酷なものとして有名である。
乗り物は地上を走る魔法生物であれば何でも使用できるが、最速の種族のスレイプニルを使うチームがほとんどである。
これには6本足種と8本足種とがあり、アラブ馬を3回り程度大きくして、骨太筋肉質にしたような巨大な姿をしている。
一般の動物であれば、その体重でこういった体型は実現できない。象のような、ずんぐりとした姿にならざるを得ないものだ。しかし、魔法生物であるのでこういった重力の制約は受けておらず、芸術品のような筋肉美を誇っている。その足の多さで馬というよりは、虫かクモのような姿にも見えるが。
一方、民間団体では飼育が比較的容易で操縦も難しくないユニコーンやヒポクリスを使う所が多い。
ツアーのルールでは、騎手は1人で、これに守護樹を乗せた荷車を引かせる形式である。
これらの魔法生物と騎手は6体、6名ずつ登録できる。騎手は自身の守護樹を介した精霊魔法を駆使し、現地の精霊を味方につけて加速する。
スレイプニルであれば最高時速は700キロを楽に超える。しかしその分操縦が難しくなるので、未熟な腕の騎手では充分にスレイプニルを加速させてあげることができない。騎手の腕がそのままスレイプニルの駆ける速度に直結するのである。
その日のツアーを担当する代表騎手1人を、仲間5名が援護して一団となってゴールへと向かうのである。このエルフ世界特有の見所があり、それが魔法による対チーム攻防である。
精霊魔法はツアー中2、3、4日目で使用できるが、毎回の精霊魔法場の使用量が1億プル以下であることが条件となり、これ以上の魔法を使用すると失格となる。これは長さ40キロの自然雷落が1回発生した時のエネルギーにおおよそ等しい。
使用できるのはツアーに参加している6名の騎手だけで、騎乗している間だけ使用できる。
精霊魔法は術者の技量に完全に任されており、風、雷、光、水、土系にとらわれず、氷、火炎、闇、精神系などの別の系統の精霊魔法も使用できる。さらには魔法使いが使用するようなウィザード魔法や、ソーサラー魔術なども規定エネルギー以下であれば自由に使用ができる。
そのために、魔法技術を競う場としても知られている。
コースは5ステージに分かれている。
1日目はジャバルプル都内を周回するタイムトライアル。2日目がジャバルプルから陸橋を渡って南極大陸に上陸するまでのロードレース。3日目が南極点を通過してウダヤギリ側の陸橋入り口までの氷床を走るラリーレース。4日目が陸橋を渡ってウダヤギリ大陸上陸までのロードレース。最終5日目がウダヤギリ都内を周回するタイムトライアルとなる。
ただし、ロードレースでは陸橋の全てが整備された道路ではないため、一部分だけをレースに使用している。
また、南極点を通過するコースであるラリーレースも、氷の状態が悪い場所が多い。そのため、これも安全な場所だけをワープゲートでつなぐという方式を採用している。
各国や企業の代表団が走るのでこうした措置がとられているのだが、そもそも南極を走るという行為自体が無謀というツッコミを入れないことは、暗黙の了解となっている。天候を操作できるエルフ世界ならではのレースだろう。
実際、ブトワル大陸の首都から陸橋全てを走って南極へ入り、ワープゲートを使わずに南極点を通過して南極大陸を横断し、さらに再び陸橋全てを走ってウダヤギリ大陸の首都まで5日間で走るという芸当は、いくら高速のスレイプニルでも無理な話である。
300万年の昔、初めてエルフでこのルートを踏破した伝説の冒険家ハンガット‐ジャバテンガン‐ストの名前を取って、ジャバテンガン記念ツアーとも呼ばれる。
参加者は各国の警察が多い。他には民間の運送屋、冒険家有志だが、上位の常連は警察で、トリポカラ、パタン、ブトワル、ウダヤギリ警察が国家の威信をかけて争っている。
そのため、この時期は白夜の季節とはいえ酷寒の南極大陸内部以外では、沿道に世界中から大勢の人が詰めかけて各国のテレビ放映もされ、他世界向け放映の時間枠もある。
毎日の終わりに、その日のツアーの順位とこれまでの通算の総合順位が決まり、表彰が行われる。
ちなみに、ツアー最終日の翌日が冬至祭の日にあたるため、どの国でも祝祭シーズンがさらに続くようだ。
春の下り酒の祭りの時もそうだが、この時期も世界中の人が熱狂して観戦する。そのため、どこの王国でも仕事もろくにできない状態になる。
特に南半球にあるブトワルとウダヤギリ王国では、秋の下り酒の祭りの後になるので祭りが連続しているような有様である。
実際、喫茶店やレストランは別として、他の商店や会社は軒並み休業である。役所も事実上ほとんど機能していない。
皆、空中ディスプレーのある場所に群がっていて、熱狂的な応援を行っている。街では喫茶店やレストランに、田舎では農園に周辺の住民が集まってくる。
さすがに病院は手術や診療をサボる訳にはいかないので、通常通りの営業である。それでも外世界からの患者受け入れはこの時期大幅に制限されて高額にもなっているので、いつもよりは仕事が少ない。
「よーし、今日はここまでで終了だ。スタートには間に合うか?」
ミンヤックがこの日最後の薬の調合を終えてゴーレムに渡し、時計を見た。
「はい。ギリギリ間に合いますね、先生」
ラウトも器械の掃除や、ナベ洗いを手早くこなしながら答えた。
「じゃあ、先に行ってるぞ」
ドタドタと薬師部を駆け出して出て行くミンヤック。
「はい」
ラウトも返事をして機器のスイッチを切った。調製が終わった薬を保存庫へ入れる。
そして作業ゴーレム達の口に掃除用のプログラムと、その後の起動終了のプログラムを書いた紙を急いで食べさせていく。
喫茶店やレストランは、いつもの20倍の人で埋まっていた。近隣の森に住む住民が都にやって来ているせいだろう、見かけない人がやたらに多い。
寒いので樹皮や草を編んだものを何重にも体に巻いて、硬質キノコをくり抜いた靴も二重にし、頭にもターバンみたいな草冠を深くかぶっている者ばかりである。
多分、立ち止まって動かずにいれば、人だとは分からないだろう。厳密にはエルフだが。
そんな人ごみをかき分けながらラウトが喫茶店に向かっていると、上空からコラールの声がした。
「ラウトさん。こっち、こっち」
自身の守護樹に乗って5メートルくらいの高さで浮遊しているコラールとセリアが、手を振って呼び寄せた。
ラウトが見上げると、上空でも場所取りで押し合い、へし合いをしている人が多い。
「それでも、地上よりはマシでしょ?」
ラウトを引き上げて、守護樹の根元に座らせたコラールが微笑んだ。ラウトの守護樹は混雑を避けるために家に戻してしまっていて、ここには来ていない。
「うん、確かにね」
そのまま喫茶店が特設した幅も高さも3メートル近くある巨大な空中ディスプレーに近づく。しかし、同じように浮遊している周りの人の守護樹に阻まれて、なかなか良い位置へ出られない有様だ。
「おーい、ラウトお。こっちだこっち」
下からミンヤックの声がした。背丈が低いので、人ごみに完全に埋没している。
ミンヤックも引き上げるが、むくれたままの顔をしていた。
「おい、ラウト。ここも眺めがよくないな」
「これだけの人が集まっているんですから、少々画面が見えにくくなるのは仕方がないですよ、先生」
「いーや、これだけ仕事をしてトリポカラ王国に貢献しているワシたちだ、少しは贅沢させろ。ちょっとどけ」
そう言うなり、太い眉を思い切り引き上げ、太い腕をブンブン振り回した。
「うらーっ。どけどけっ。あっち行け、この野郎」
周りを浮遊している他人の守護樹に飛び移って、そこの人達を威嚇して追い払っていく。
「せんせーっ」
ラウトが叫ぶが、もう手遅れだった。
あっという間に、ディスプレー真正面上空の特等席を力ずくで確保してしまった。「カンラカラカラ」と、豪傑笑いをするミンヤック。
「ラウトさん……」
「ご、ごめんなさい」
真っ赤な顔でふくれて涙目で睨むコラールとセリアの痛い視線に謝るラウト。
よく見ると地上にはバラン、レマック、スミング、カンプン、テランもいた。「おいおい……」と言わんばかりの顔をしてこちらを見ている。
ラウトとコラールの両親もいて赤面している。その横には姉も見えて、首をかき切る仕草をラウトに示して舌を出した。今晩の夕食は質素なものになりそうだ。
「おおっ。始まるぞ、ラウトよ」
はしゃぐミンヤックがラウトには山賊のように見えた。多分、コラールやセリアの目にも同じような姿が映っていることだろう。




