都ふらふら
ラウトが放った精霊が虫の群れを探知して、その情報を基に国王が近衛兵の出撃場所を指示していく。
虫が退治された地区には、コラールが住民に安全情報を送っていく。同時に、必要な物資やサービスについて現場からの要望を吸い上げて最適行動計画を策定し、ゴーレムに行動プログラムを与える……という結構忙しい仕事をやっている。
しかし、あまりにも順調に対処が進むので、国王が拍子抜けしてしまったようだ。何となく不満気な表情になっている。
「つまらんなあ。もっと、こう……劇的な事件や展開を期待しておったのだが。虫どもも、もう制圧されてしまったではないか」
ラウトが杖をゆっくりと頭上で回転させながら、精霊からの情報を収集している。
「陛下。警察が機能しておりませんので、大した事はできていません。劇的な展開には対処できないと思います。ただ、虫を制圧できましたので、そのような展開は起きないと思われますが」
コラールもディスプレーを操作しながら同意する。
「陛下。救援物資やサービスも、現状では間に合っていますが……この事態が長期化すると、あと4日前後で不足してきます。周辺国へ援助要請をなさることも、ご検討下さい」
国王がようやく深刻さに気づいたようである。
「ラウトよ。医局では、この症状からの自己治癒の期間はどのくらいだと見積もっておるのだね」
ラウトがコラールの操作で、バランとの回線を開いて聞いてみた。
画面にバランの姿が映る。
「ぷるわ。これは陛下。申し訳ありません、私も感染しておりましてるるるる。光魔法を集中照射すれば、ラウト君のように回復いたしますが、そうでない場合は、恐らく1週間ほど回復にかかるかと思われまするるるる」
「ぶは」と、国王が笑い転げている。近衛兵たちはさすがに笑いをこらえているが、かなりつらそうだ。
数分ほどして、ようやく落ち着いた国王が「コホン」と咳払いをした。とりあえず無言でバランが映っているディスプレーを消す。
「良い余興であった。しかしそうか。1週間ほどかかるか。では、コラールの進言通りにパタン王国へ救援要請をするか。コラールよ、早速パタン王国の宰相にその旨を伝えてくれ」
「かしこまりました。陛下」
しかし、コラールはなおも首をかしげている。ラウトがその様子に気づいた。
「どうかしたの? コラールさん」
「うん。やっぱり位置座標がおかしいのよ。指定した場所へ、うまく安全情報を送れない」
その時、コラールのそばに小さな空中ディスプレーが発生した。魔法研究所のステリカの顔が映っている。
「コラール。位置情報の件、分かったよ。あら、陛下の執務室にいるのね」
コラールが苦笑して口に指を当てた。
「ステリカあ。陛下の御前なの。あ。彼女は魔法研究所のレガ‐ステリカ‐クバルー‐サンです。それで原因は何だったの?」
ステリカがニヤニヤしてドヤ顔をきめた。
「この都の航行装置がダウンしていたのよ。そりゃあ、そうよね。今は絶賛漂流中よ」
「は?」
冷え切ってきた国王執務室にいる全員が同じ反応を返した。ちょうど入ってきた宰相だけが、この空気にとり残されてニコニコしている。
「陛下、虫どもの制圧が完了しましたな。これで治安の回復が進みますぞ」
「うるさい。ちょっと黙っておれ、宰相」
間の悪い宰相がただならぬ気配を察して硬直したのを、横目で確認したコラールがステリカに聞いてみた。
「漂流中って、この水域は島だらけよ? 暗礁も多いし。今の都の漂流速度って分かる?」
ステリカがちょちょいと手を動かして調べた。
「時速30キロ台ね。おお……この速度で島に激突したら大変じゃない?」
コラールが笑いながら突っ込んだ。
「都が大破するわよ!」
国王も冷静に反応した。
「いや……それは漂流ではなくて暴走であろう。都を動かしている水の精霊が暴走しておるな。大破どころか、島に衝突してもなお進もうとするから、都が砕けて沈みかねん」
ラウトが目を丸くした。
「マジですか? 陛下」
無礼な物言いに怒りもせず、国王がうなずいた。
「マジだ。航行システムが暴走しておるから、初期化せねばならんが……そのための電源がないな。図書館と魔法研究所の非常用電源で足りそうかね」
コラールが演算してみて、首を振った。
「足りません、陛下。航行システムでは大量の水の精霊を使役しますから、とても……あっ! 貨物船はどうなったの?」
国王が目を閉じた。
「うむむ。これは水難事故が多発しておるな……こちらでは電源不足で捜索できないか。仕方がない。コラールよ、パタン王国に水難救助の要請もしてくれ」
コラールがかなり青ざめた表情で了解した。長いふわふわ金髪が激情で震えている。
「な、何てことをしてくれたのよ。あの果物泥棒アンデッド」
国王が毅然とした表情になり、冷え切った部屋にいる近衛兵たちに向かった。
「都の一大事である。島や岩礁に衝突すると大きな被害が出るであろう。余に続け。都の先端部に向かう!」
ラウトとコラールも互いに目配せをして訴えた。
「陛下、我々も連れて行って下さい! この作業はどこででもできます。水の精霊魔法を使えるので陛下の役に立てると思います」
国王が強くうなずいた。そしてニヤリと笑った。
「許可しよう。それとだな、お前たちは言葉使いがなっておらんな。面倒だから、この作戦中は敬語は使わずとも良い。思ったまま話せ。では行くぞ」
コラールが浮遊魔法を使って上空を飛びまわり、地上を走っていく国王と近衛兵たちを支援する。ラウトはやはり足が遅いので、コラールに手を引っ張られて一緒に上空にいた。
まだ夜中で、都は真っ暗なままだ。夜空を覆いつくす星々が美しい。
「もう、ラウトさん。回復したら体力トレーニングしなさいよね」
「うう……面目ない。しかし、さすが近衛兵たちだなあ。走るのが速いや。上空にも虫の群れは見当たらないよ」
コラールも周辺を見渡してうなずいた。
「そうね、さすがね。でも、何かおかしくない?」
ラウトも同意する。
「……うん。近衛兵たちは虫除け魔法を使えないんだよね。でも、この虫のいなくなり様は虫除け魔法並みだよ。炎や氷魔法だけじゃあ、ここまで追い払うことはできないと思うなあ。まるで……」
コラールが心配そうな表情になった。
「まるで、何? ラウトさん」
「どこかへ吸い寄せられて、ここからいなくなった……ように見えるんだ」
ラウトが思いのほか真剣な表情なので、コラールも茶化すことはしなかった。しかし、首をかしげる。
「それじゃあ……私たち以外にも、精霊魔法を使っている人が都にいるのかな。ステリカみたいに」
ラウトも首をかしげる。
「うーん、分からないなあ。エルフだったら、ステリカさんみたいにネットワークに必ず引っかかるはずだし。コラールさんが言っていた、野生の守護樹を持つエルフが都にいるのかもしれないね。あ。陛下たちが都の先端部へ到着した。僕たちも行こう」
「むう。やはり暴走しておるな」
国王が厳しい顔で都の最先端部の展望台で仁王立ちし、眼下に広がる水面を見下ろした。
確かに、広大なジャムナ内海を切り裂いて轟音を立てながら、巨大な都という船が暴走しているのを実感できる。
水の精霊魔法が使えるラウトとコラールの目には、都を牽引している巨大な水の精霊群が猛り狂っている様がよく見えた。まるで巨大で透明な蛇が何十匹も絡まりあいながら都を引き回しているようだ。
なぜか展望台とその周辺には、砕けた石が大量に散乱している事にラウトが気づいた。
「変だな。いつもはこんなに砂利だらけじゃないんだけどな……あっ」
行く手に白波が立っている場所が見えた。見る見る近づいてくる。
「あ、岩礁!」
コラールとラウトが悲鳴を上げた。
次の瞬間、岩が砕ける爆音が轟いて、無数の岩の破片が空中に舞い上がった。
「ぐは」
防御障壁を展開できない国王と近衛兵たちは、大量の岩の破片を直接その体に浴びてしまった。今は膝をついて呻き声を上げている。
「あっ。しまった!」
「ご、ごめんなさい陛下っ」
防御障壁を陛下たちにかけていなかった事に今になって気がつき、平謝りするラウトとコラールである。緊急時でなければ厳罰ものだろう。
一方、都にはこれといった損傷は出ていないようだ。
コラールが浮遊魔法で水面近くを飛んで確認する。
「陛下、これまでのところは都に損害は出ていません。水の精霊が暴走しているおかげで岩礁程度でしたら精霊が砕いてしまうのでしょう」
国王がうなずく。ケガの程度は大した事なさそうである。
「うむ、そうか。不幸中の幸いだな。だが、次は難しいだろうな」
そう言った国王が睨む進行方向には、巨大な島影が闇夜に浮かび上がってきていた。
息をのむラウトとコラールに構わず、国王が付き従っている近衛兵たちに顔を向けた。近衛兵の中には打ち所が悪かったのか、びっこを引いている者がいる。しかし、士気は旺盛だ。
「よいか。作戦通り、これより都を牽引している水の精霊群を凍結させて動きを止める。土の精霊を使う者は前方の島を削れ。炎の精霊を使う者は都周辺の水を沸騰させて水の精霊の力を弱めよ。ラウトとコラールは我々を守る防御障壁を展開せよ。では、いくぞ!」
国王が右手を進行方向の島影に向けた。
「作戦開始!」
次の瞬間、防御障壁が全員を包み込んだ。
続いて都の周囲が爆発したようになって、轟音と共に巨大な水柱が次々にそびえ立った。水蒸気が視界を完全に遮り、水柱が空中で爆発して生じた水しぶきが都を包み込む。
それから一呼吸ほど置いてから、バキバキという音が響き渡り、生木を裂くような音が混じってものすごい騒音が巻き上がった。
ラウトたちがいる展望台を覆う水蒸気がたちまち凍りついて、ダイヤモンドダストのように美しく光る。
その騒音からさらに一呼吸ほど置いて、都に急ブレーキがかかった。
時速30キロ台から完全停止するまでの数十秒間、展望台から転げ落ちないように、全員が手すりにしがみつく。コラールは手すりから引きはがされて水面へ落ちてしまったが、浮遊魔法を使って無事だった。
一方のラウトはそのまま展望台から転げ落ちて、凍りついた水面にあっけなく激突する。
「ぐぎゃ」
「ラウトさん! 大丈夫?」
慌ててコラールが飛んでくるが、当のラウトはキョトンとした顔のままで氷上にペタンと座っている。白タイツで覆われた手足を動かすと、問題なく動いている。
「うひゃ。何ともないよ、コラールさん」
コラールがラウトの手をとって空中へ引き上げながら苦笑した。
「そういえば……私たち、まだサナギだったわね。骨折するにも骨がなかった」
国王と近衛兵たちは訓練のおかげなのか、展望台から誰も落ちずに踏ん張っていた。
停止したのを確認して、ほっと一息ついた国王が気遣う。
「ラウトよ、ケガはないか」
「はい、陛下。無事です。止まりましたか?」
ラウトがコラールと一緒に展望台に戻ると、国王が満足気な表情でうなずいた。
「うむ。完全に停止した。よくやったぞ、皆の者」
霧が晴れてくると、その全容が分かってきた。都の周囲500メートルほどが完全に凍結していて、まるで氷山みたいに変化していた。
前方の島は真っ二つに裂けていて、向こう側の水平線がよく見える。その裂けた入り口に都がぴったりとめり込んでいた。
その様子を確認して、国王が腕組みをしている。
「島が2つに裂けて、ちょうどいい具合に都を納めるドックになっておるな。凍結魔法は1週間ほど続くようにしておけ。溶けてしまっては、また水の精霊が暴走するからな」
ラウトとコラールが2つに裂けた巨大な島を見上げて感嘆の声をあげた。裂け目の高さは100メートルほどはあるだろうか。裂け目はきれいな切断面ではなく、生木を縦に引き裂いた時のような痛々しさがひどく感じられる。
国王が満足気な表情でうなずいた。
「うむ。久しぶりに全力で魔法を使った。勝手の違う氷系ゆえ、威力は大して出ておらんが……まあ、良しとしよう」
ラウトとコラールが顔を見合わせる。
「これでもまだ、威力不足なんですか? 陛下」
その瞬間、おびただしい殺気を背後の都側から感じた。
「ひっ」と反射的にラウトとコラールが身をすくめる。一方の国王と近衛兵たちは、瞬時に迎撃体勢の配置をとって身構えた。
国王が訝しげに眉をひそめる。
「ゾンビか? なぜこやつらがここにいる」
闇から浮かび上がるその姿は、さまざまな巨大虫の群れであった。アリと甲虫がほとんどだが、羽虫や蛾も加勢して増えてきている。しかも、それぞれが都で見かける時よりも1回り以上大きい。
ラウトが臭いを察知して、うろたえた。
「この死霊術の臭いは、トゲアカ? そんな、農園で厳重に結界を施されているのに、どうして」
コラールがジト目になって、横にいるラウトに告げた。
「停電だし今。精霊魔法のシステムがシャットダウンしているから、当然、農園の危機管理システムも停止しているのよ」
ラウトが混乱しながらも反論する。
「え、でも、だって、トゲアカの木の幹には虫除けの薬を厚く塗りつけてあるんだよ。虫が寄ってくるはずがない……あ」
途中で口ごもったラウトに、コラールと国王たちが注目した。取り囲んでいるゾンビ虫の群れが加速度的に増えてきている。
「何か思い当たることがあるのか、ラウトよ」
ラウトが冷や汗を全身白タイツの内側でかきながら、国王に告げる。
「は、はい、陛下。システムダウンするとガラスハウスなどの結界が維持できなくなって、ハウス内にあった膨大な草本が一斉に農園内に出現しているはずです。緊急避難の術式です。そこへ先ほどの大量の水が降り注いで、虫除け薬が洗い流されてしまったのではないでしょうか」
コラールが乾いた笑いを上げた。
「あはは……それは想像したくない光景ね」
国王が唸った。
「うむ。そうでないと、この状況は説明できそうにないな」
……と、合図も何もなく無言のままで、一斉にゾンビ化した巨大虫の大群が闇の中から襲い掛かってきた。
まるで闇の壁が周囲にできて、それが襲い掛かってくるような錯覚すら覚える。
その異様な殺意の塊に体が硬直してしまったまま、互いに抱き合っているラウトとコラール。
しかし国王と近衛兵たちは、ゾンビの大群を前にして不敵な笑みを口元に浮かべていた。
「ふふ。虫ごとき笑止!」
国王が笑いながら叫ぶのを合図に、近衛兵たちが一斉に手持ちの精霊魔法を放射し始めた。
虫の大群が燃え上がったり、凍りついて砕けたり、大地に飲み込まれていったりする。この一瞬だけで数千匹の巨大ゾンビ虫が破壊されたようだ。
だが、真っ黒な煙を吐き出しながら燃え上がって炭化していく虫の群れを突き崩して、奥から新たな虫の群れが突入してきた。
凍りついた虫も粉々に噛み砕かれて、奥から新手の虫の群れが押し寄せる。上空からも巨大な甲虫、羽虫や蛾などが急降下して襲い掛かってきた。
それらも容赦なく焼き潰し、凍結粉砕し、大地に飲み込ませていく国王たちだ。
……が。十分間経過しても一向に数が減らない。
ラウトとコラールも簡易杖を振り回して、レーザー光線を放ってゾンビ虫をなぎ払っていたが、さすがに疲れてきたようだ。
コラールが息を切らせ始めた。普段はこんな攻撃魔法など使うことはないので当然だろう。ラウトも同様であるが、彼はまだ余力が残っている様子である。
「これは……都じゅうの虫がゾンビ化しちゃったみたいだね、コラールさん」
杖を地面に立てて、それにすがりついて肩で息をしているコラールを守りながら、ラウトが気楽な口調で話しかける。
「でも、どうしてこんな場所にやってくるのよ。もうっ」
コラールが涙目になりながらグチをこぼした。
それを聞いたラウトが、はっとして、国王に向かって叫んだ。
「陛下! ゾンビたちの目標は私たちだと思います! トゲアカの木には目はありませんから、波動で判断しているのでしょう。今、この都で、正常なエルフの波動を出しているのは私たち2人だけです」
もう1人いることはいるのだが、とりあえず話を簡略化するために忘れることにしたラウトである。
「そうでなければ、こんな都の先端部にこれほどのゾンビが殺到してくる理由が見つかりません」
国王がそれを聞いて、うなずいた。
「うむ。ラウトの言い分には説得力がありそうだな。よし、キサマら2人をここに残す。防御障壁を張って、できるだけゾンビ虫をおびき寄せろ。頃合いを見計らって、我らが死霊術をかけてゾンビ虫どもを支配下に置く」
「了解しました、陛下!」
そう叫んで、ラウトとコラールが最大出力で障壁を展開する。同時に国王と近衛兵たちが一斉に闇魔法を使って姿を消した。




