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薬師部屋

「よお、元気そうで良かったな、ラウトよ。ん? 彼女も一緒か」

 薬師部屋には既にミンヤックがいて、ゴーレムをフル稼働させていた。

 よちよち歩きのままで来たので、相当に疲れてしまったラウトとコラールである。息を整えながらラウトがミンヤックに状況とバランからの指示を伝える。


 ミンヤックが白い大きな歯を見せてガハハと笑った。

「虫除け薬なら、ホレ、大量生産中だわい。オレのアパートも防御障壁が消えちまってな、えらい騒ぎなんだよ。いや、アパートどころか都すべてがパニック状態だな。こりゃあ、オレ様薬師の出番だなと直感して休日出勤してきたというわけだ」

「さすがです、ミンヤック先生」

 素直に感動するラウトである。横のコラールは(逃げてきたと素直に言えば良いのに)と、微笑みながらもジト目になっているが。

「私は、何をすれば良いでしょうか? 先生」


 ミンヤックが手を振った。

「いいや。特に何もやることはないぞ。虫除け薬なんて完全にゴーレムだけで大量生産できるからな。オレも監督しているだけだ。そうだな、酒でも持ってきてくれ」


 コラールがジト目のままで微笑んだ。

「ミンヤック先生、勤務時間中ですよ。ドワーフはお酒に弱いんですから、酔っ払って監督できなくなったら都の住民全員が困ります。レマック先生は多分発症していて使い物にならないはずですから、ミンヤック先生だけが頼りなんですよ」

 ラウトも結構真面目な顔で同意した。

「そうですよ、先生。お酒を飲んでも構いませんが、その場合は私が監督代理をします。予想以上に事態は切迫していると思いますよ。朝になれば昼行性の虫や鳥が加わるでしょうから」


 ミンヤックが降参のポーズをとって笑い始めた。

「ははは。まいった。確かに、レマックの部屋は明かりがついていないよな。よかろう、酒抜きで真面目に仕事をするよ。オレも、あの巨大スズメバチの大群が目覚めて、襲い掛かってくる事になるのは避けたいからな」


 ラウトが苦笑しながらもミンヤックに一応尋ねる。

「あの、先生。具合は悪くなっていないんですよね? バラン先生の話では、この病気にかかるのはエルフだけだろうということでしたが」

 ミンヤックがニコニコして丸太のような太い腕をぶんぶん振り回した。

「そのようだな。酒が入っていない分、いつもよりも絶好調だな」


 ラウトが部屋に置いてあった簡易杖を取り出して、ミンヤックにかざす。

「そうですね。いつもよりも波動値が良好ですよ。では、申し訳ありませんが、ここは先生にお願いします。私は、虫除けの薬の在庫を病院と家族に送ります。ミンヤック先生のアパートへはどうしましょうか」

 ミンヤックがちょっと考える。

「……そうだな。オレは単身赴任だから不要だな。とりあえず、アパートの世帯に1つずつ送ってくれ。エルフと違って、虫の毒に耐性がない連中がほとんどだからな。あの巨大ムカデに咬まれたら、ゴブリンなら即死するかもしれん」

 ラウトが空中ディスプレーを表示させてアパートの情報を確認する。

「はい、了解しました」


 そのままラウトが杖を振ると、10体を超える数の風の精霊が召喚された。が、普段使役しているサイズよりも1回りほど小型である。

「自力では、この程度が限界だなあ。では早速ですが、保管庫から虫除け薬を送り届けますね」


 そう言ってラウトが杖を大きく振ると、一斉に風の精霊たちが部屋から外へ出て行った。ちょっとしたつむじ風のようだ。振り返ってコラールに微笑む。

「コラールさんの家族と僕の家族宛に1個ずつ送ったよ。これで虫対策は何とかなると思う」

 コラールも微笑んでうなずいた。

「ありがとう、ラウトさん」


 ラウトが次に机の引き出しから3つの土人形を取り出した。中庭に落として、1分間ほど術式を詠唱してやっと起動させる。

「……ふう。精霊魔法じゃないから、自力だと余計に時間がかかるなあ」


 むくむくとゆっくりと大きく育っていくゴーレムを窓から見ながら、ミンヤックがニヤニヤして冷やかした。

「なんだ。今までは施設のネットワーク支援で起動させていたのかよ。そんな手抜きしてたら、魔法使いの使う魔法はいつまでたっても上達しないぞ」

 ラウトが頭をかく。

「すいません。ズルはいけませんね。今後は自力で起動させるようにします。あ、そろそろいいかな」


 ラウトが窓から身を乗り出す。2メートルくらいの背丈に育ったゴーレムに、紙に書いた命令書を食べさせた。

 ミンヤックが首をかしげる。

「ん? いつもよりも1回りは小さいな、このゴーレム」

 ラウトが再び頭をかいた。

「すいません。私の自前の魔力では、この程度が限界なんです。精霊魔法をウィザード魔法へ翻訳していますから、翻訳ロスが大きくて」


 ミンヤックがニヤニヤしてうなずいた。

「なるほどな。だったら、次からは魔力を使わずに済む、ドワーフ製のロボットにするか? その代わり、使用後は土に戻らないけどな」

 ラウトの青い目が点になった。コラールも同じような顔になっている。

「え? そんな便利なものがあるんですか?」


 だが、ミンヤックはニヤニヤしたままである。

「あるんだよ。だけど、エルフ世界はリサイクルできる素材でできていないと採用されないからなあ。非常用の用途以外では無理だろうな」

 ラウトとコラールが(これ以上の非常事態って一体?)と、考え込んでいる。その間にゴーレムたちが、のそのそと保管庫へ向かっていった。



 3人が談笑しながら見送っていると、ばたばたと足音がして数名のエルフがやってきた。この姿には見覚えがある。

 ラウトが首をかしげた。

「どうしたんですか? 陛下の近衛兵さま、ですよね?」

 息を切らしている近衛兵たちをミンヤックが冷やかす。

「おいおい、運動不足だな。王宮からここまで大した距離じゃないだろ。いつも魔法に頼って飛んでいるからだぞ」


 耳の痛いラウトとコラールである。ラウトは出勤時にはいつも自身の守護樹に乗ってくるし、コラールは浮遊術で飛んできている。

 近衛兵たちも同様のようだ。

「うう……ドワーフに言われるとは。はあはあ……ここへ来るまでに何十匹もの虫やムカデを、はあはあ……退治してきたのだ。はあはあ……」


 ラウトが首をかしげる。

「え? 近衛兵さまは精霊魔法が使えるのですか?」

 近衛兵が苦笑して否定した。

「いや。我々も発病しているから通常の精霊魔法は使えない。だからこうして地面を走ってきたのだよ」

 コラールもラウトと同期したように首をかしげた。

「ですが、その、失礼ですが、口調がトロル化していませんよ。まともなエルフ語です」


 ようやく息が整ってきた近衛兵たちが、ちょっと自慢げに胸を張った。

「そりゃあ、我々は訓練を受けているからね。氷系や炎系、土系だけでなく、闇魔法に死霊術も使えないと近衛兵にはなれないよ」

 ラウトが目を丸くした。

「すごいですね。さすがエリートだけあるなあ」

 コラールは懐疑的である。

「ラウトさん、精霊魔法は相性が厳しいのよ。炎と水を同じ人が使えるなんて聞いたことがないわ」


 近衛兵が笑って微笑んだ。

「さすが、図書館司書の方は鋭いね。いくら私たちでも生身では無理だよ。魔法研究所が作った魔法具を介して切り替えているんだよ。ゴーレム起動と操作のために、精霊魔法をウィザード魔法に翻訳するのと方法は同じだよ。だけど、耐性をある程度は身につける必要があるから、こうして訓練しているんだけどね。あっ、しまった。雑談をしている場合ではなかった」


(結構、お気楽なんだなあ……)と思っていたラウトとコラール、そして多分ミンヤックもだったが、近衛兵たちの話を促した。

「コホン」と改まって咳払いをした近衛兵たちが、ラウトとコラールに向かって告げた。

「王宮でも虫が暴れていてね。虫除け薬をいくらか回してほしい」


 ラウトが即答する。

「はい。それは考えております。病院向けと異世界人のアパート向けの配送が終わりましたので、次は王宮と考えていました。いかほど必要でしょうか」

 近衛兵たちも即答する。

「うん。王宮も全機能を停止しているから、避難場所向けだけでいい。10個あれば充分だという見積もりだ」


 ラウトがうなずいた。

「かしこまりました。風の精霊が戻り次第、王宮へ送り届けます。宛先は指定避難場所ですね」

「それで届く。それと、2つ目の命令なのだが、いいかな? 2人とも」

「はい」

 そう答えながらも首をかしげるラウトとコラールである。命令なのに、2つともずいぶん遠慮がちなので不思議に思っているようだ。


 近衛兵たちが一呼吸おいてから告げた。

「陛下の直接警護を命じる。至急、我々と同行してくれ」

「は?」

 何かに化かされたように、きょとんとした表情をしているラウトとコラール。


 近衛兵が苦笑して説明した。

「実はね、我々近衛兵の全員が通常の精霊魔法を使えなくなってしまったんだよ。陛下もね。我々は一応、炎系や氷系、土系を代わりに使えるようになってはいるんだが、肝心の光や風、水系が一切使えない。ネットワークにも接続できないんだ。これでは非常に都合が悪いので、こうして感染から回復している君たちに陛下の警護の命令が出たんだよ」


 ミンヤックが珍しくジト目になっていた。

「おいおい。エルフとはいえ、こいつらは警護なんて訓練を受けていないから素人同然だぞ。役に立つとも思えないが。ゴーレムの方が役に立つだろ」

 近衛兵たちも、苦笑しながら同意する。

「ドワーフ薬師のおっしゃる通りだよ。君たちには陛下の話し相手をしてもらえれば充分だ。実際の警護は我々が行うから心配は要らないよ」


 風の精霊たちが部屋へ戻ってきたので、ラウトが王宮向けの輸送を指示する。

「そうですね。実際私たちは警護の訓練は受けていませんから、役には立たないでしょう。ただ、陛下の話し相手でしたら何とか頑張れると思います。一応うかがいますが、この命令の拒否はできませんか?」

 近衛兵たちがニヤリと笑った。

「陛下が了承なさると思うかね?」


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