ぷるわと虫の夜
その後、ラウトとコラールは個室だったので、外の様子は分からなかった。しかし夜中に警報が鳴り響いて、その後、真っ暗になったのでかなり状況は悪いのだろうと想像できた。
空調も停止して、ナースコールのボタンや各種機器も全て停止してしまった。今は月明かりの中で、窓を開けて病室から外を見下ろすラウトとコラールであった。
ラウトが苦笑してコラールにささやく。
「ムードは静かで良いんだけど、この全身白タイツ姿じゃね」
コラールがラウトの腕を抱き寄せて寄り添った。
「まあ……これだけ近寄れば、あまり気にならないわよ。きっと」
「そうだね。そう思うことにしましょうか、コラールさん」
ラウトもコラールに寄り添い、2人で静寂の中、静かに半月を見上げていた。
……のだが、それは10分間も続かなかった。
病院のあちこちから悲鳴と怒声がしてくる。病院の外の建物や遠くの町からも、悲鳴らしき声が聞こえてくる。
ムードを壊されて不機嫌になっていたラウトとコラールだったが、窓から外を見下ろしていると、その原因が分かってきた。
コラールが「信じられない」とつぶやく。
「虫が暴れている。あ、ああ、そうか。精霊魔法が使えなくなったから、虫除けも虫に命令することもできなくなったんだ」
ラウトも同意する。
「うん。病院の建物に張られている虫除けの防御障壁も消えてしまっているね。これは、虫たちが大量に病院内へ侵入してくるかも」
また悲鳴と怒声が病院の中から聞こえてきた。ラウトとコラールが顔を見合わせる。
「既に侵入して騒ぎになっているわね。ラウトさん、どうしよう」
ラウトが頭をかいた。
「うーん……まだ僕たちの魔力が回復していないから、どうしようもないかな。とりあえず、虫除け程度の魔法は使えるから、今晩はこのままじっとしているのが一番だと思うよ」
コラールはどうも不満なようである。
「う、うん……そうよね。でも、私やラウトさんの家族が無事かどうか心配だわ」
ラウトが少し考えて、精霊魔法の術式を詠唱し始めた。
コラールが首をかしげる。
「ラウトさん? その詠唱って……」
「うん。初歩的な風の精霊の召喚だよ。小瓶のような軽い荷物を運べる程度の精霊なんだけれど……うん、よし。召喚できた。守護樹とはまだ交信できないから、手間取るなあ」
確かに普段、薬師部屋でできた薬を病院へ運ぶ際に使っている風の精霊が召喚された。ラウトが病室のドアに手をかける。
「やっぱり、ロックが解除されている。全システムが緊急停止しているね」
そのままドアを開けて、外の様子をうかがう。風の精霊を数体ほど新たに召喚して探索に放った。
そして、振り向いてコラールに微笑んだ。
「薬師部の保管庫に虫除け薬の在庫がかなりあったと思う。それをこの病院に配れば、当面の間は安全を確保できるはずだよ。それと同時に風の精霊を使って、僕とコラールさんの家族宛に虫除け薬を送り届ければ大丈夫じゃないかな」
コラールの表情が明るくなった。
「うん、そうしましょう。そうだ、私の浮遊魔法も使えるかな?」
術式を詠唱してみる。しかし、この魔法は発動しなかった。がっくりするコラールだ。
「うーん……残念。やっぱり、人を浮かべるほどの魔法は使えないみたいね」
ラウトが自身の足を白タイツの上から触って、首を振った。
「まだ、組織が固まっていないかな。ふよふよしてる。走ったり急激な動作はしないようにしよう、コラールさん。というか、よくこんな状態なのに動けるなあ、僕たち」
コラールも自身の足をさすって苦笑する。
「バラン先生がおっしゃった通り、サナギね。多分、この白タイツのおかげで動けるのだと思うわよ」
ラウトが放った風の精霊が戻ってきた。情報をコラールと共有する。
「バラン先生の居場所も調べたの? ラウトさん」
「うん。上司だからね。勝手に虫除け薬をばら撒くわけにはいかないよ。まず、バラン先生のところへ行って、虫除け薬を持ち出しする許可をもらわないとね」
コラールがクスクス笑いながら同意する。
「こういう所まで真面目ねえ。じゃあ、行きましょうか」
通常、病院に入院している患者はエルフ以外の異世界人である。今晩も入院患者は出稼ぎのドワーフにオーガ、ゴブリン、それに金持ち魔法使いたちだけであった。
魔法使いたちは体が弱っていて動けない者を除いて、ソーサラー魔術やウィザード魔法を使って虫退治を始めていた。威力が余って病院の壁や天井が吹っ飛んでいるが、とりあえずここは大丈夫そうだ。
虫除け薬を届けることを知らせて、ラウトとコラールがよちよち歩きで他の病室を見て回る。まるで着ぐるみの人形みたいな動きである。
魔法が使えないドワーフやオーガ、ゴブリンたちはパニックに陥っていて、何人かは巨大な虫にかじられていた。ラウトとコラールがすぐに虫を追いやり、簡単な応急措置の魔法をかけていく。
部屋をきちんと閉め切るように注意して、病院スタッフが逃げ込んでいる管理室へよちよちと向かった。
ラウトがこの歩き方に耳を赤くしている。コラールもそうである。まあ、ただでさえ全身白タイツ姿で怪しさ満点な上にこの歩き方である。
魔法使いたちの中には敵だと誤解して攻撃魔法をかけてきた者も多数いたし、ドワーフたちも「どこから来た、この化け物め!」とか何とか叫んで殴りかかってきたものである。
ラウトがため息をつく。
「はあ……もっとまともなデザインのタイツはなかったのかなあ。余計な戦闘をしているんだけど」
コラールも顔を赤らめてうなずく。
「結局、患者さんたちも魔法で倒しているものね。助けに行ったのか、倒しに行ったのか分からないわ」
ラウトもうなずいた。
「そうだね。でも、魔力が戻っていなくて最低レベルの魔法しか使えないんだけど。魔法使いたちってこんなに弱かったっけ?」
コラールが苦笑する。
「一応、病人だよ。それに、ラウトさんが風の精霊を使って、魔法使いたちの肺の中の空気を抜いてしまうからじゃない? 声が出せないから魔法発動キーが言えなくて魔法も使えなくなるし、窒息だし」
ラウトが首をかしげる。
「……うう。精霊魔法への耐性というか防御障壁が全然ないんだね。僕がこんな状態で良かったよ。普通に魔法をかけていたら、何人かの魔法使いたちは大変なことになっていたかも。あ、ここかな」
数十匹もの巨大ムカデやクモ、甲虫に蛇、トカゲなどが、管理室のドアを破ろうと噛りついていた。しかし、塵でも払うかのようにラウトとコラールが腕を振ると、たちまち散り散りになって逃げ去ってしまった。
そのまま、ドアをノックするラウト。
「薬師部のイデ‐ラウト‐ジャンタン‐モスです。ドアの外にいた虫は追い払いました。大丈夫ですか?」
ドアが開いて、中から10名ほどのエルフが顔を見せた。皆、病院のスタッフである。
「虫にかじられて3名ケガをしてるるるる。魔法が使えなくなって困ってるるるる、ぷるわ」
見事にスミング化しているエルフたちを見て、目が点になっているラウトとコラールである。そういえば、猫背にもなっているようだ。
エルフたちも、ラウトとコラールの全身白タイツ姿にショックを受けている。
「コホン」と、咳払いをしたコラールが極力冷静を装って、部屋の中へ入った。
「分かりました。私は精霊魔法が使えますので、応急処置をしますね」
コラールがケガしてうめいているエルフのスタッフ3名を1人ずつ、水の精霊魔法で傷を消毒して組織回復を促す処置をしていく。さすがにアウトドア派なだけあって、こういった処置は手馴れたものである。
それを見ながら、ラウトがトロル化した病院スタッフに話しかけた。
「虫たちはまだ病院内に多数いますので、戸締りを厳重にしておいて下さい。これから虫除け薬を取ってきますから、それを病室の患者さんたちにも配って下さいますか」
スタッフが同意する。
「ぷるわ。分かりましたるるるる。早めに手配を頼みまするるるる」
ケガ人への応急措置を終えたコラールと2人で部屋を去って、廊下をよちよち歩くが……コラールがこらえきれずに笑い出した。
「な、なにアレ! ぷるわって何よお!」
ラウトも笑いをこらえきれなくなったようだ。
「こ、コラールさん、わ、笑っちゃ、ぷ。失礼だ、ぷ」
しかし、すでにコラールは壁に両手をついて肩を震わせて笑っている。
「だ、だって、みんなしてスミングさんになっているんだもの。治癒魔法に集中するの、すごく大変だったんだからね」
「あ」
ラウトの背に冷や汗が流れた。
「まさか、バラン先生までスミング化しているとか……」
コラールがゲホゲホと咳き込んだ。
「ちょ、ちょっと、ラウトさん……ありうるわね。予行演習しておきましょうよ。いきなり笑ったら失礼だわ」
果たして、バランは手術室の控え室にいた。ラウトとコラールが神妙な顔をして部屋に入る。
「ぷるわ」
「だめだー!」と、床に崩れ落ちて笑い転げるラウトとコラールである。
バランはジト目になりながらも、こうなることは予想していたようだ。2人の酷いリアクションに文句を言うことはなかった。
数分後。ようやく平常心に戻ったラウトとコラールから、病院の状況と、虫除けの持ち出しについて提案を受け、バランもうなずいた。
「ぷるわ、そうだねるるるる。しかし、そうすると虫除け薬の在庫がすぐに底をつくねるるるる。ジャンビ君を呼んで虫除け薬を大量生産してもらわないといけないねるるるる」
ラウトがバランに真面目な顔で尋ねた。
「あの、バラン先生。アンデッド貴族の生物兵器のデータは届いたのでしょうか? ワクチンを製造することは難しいのですか?」
バランが腕組みをしてうなずいた。
「ぷるわ。病院の設備が全部ダウンしているからねるるるる。ワクチン開発は当面無理だねるるるる。ただ、ラウト君も感染していたのは間違いないし、現在発病していないということは、光魔法でこの病気は治療できると思えるるるる。ほら、記憶にはないだろうけれど、バンパイア時代に警官の狙撃を受けただろ? あれが光魔法だよるるるる」
さすがにもう慣れたのか、ラウトもコラールも真面目に聞いている。
バランが話を続けた。
「だから、エルフなら何もしなくても、このまま1週間ほど日光浴すれば自然治癒するはずだねるるるる」
「なるほど」と安堵するラウトとコラールにバランが微笑んだ。
「ぷるわ。魔法使いたちやドワーフ、オーガにゴブリンたちは発病していないようだから、この生物兵器は我々エルフ向けに開発されたものだろうね。バンパイアにも当然感染しないだろうるるるる。よほど、果物が欲しかったのだろうねるるるる」
ラウトがバランの話にツッコミを入れた。
「バラン先生。死者の国へ果物を輸出したら売れそうですね。しかし、光魔法で治療できることが分かっていたのに、なぜ発病しているんですか?」
バランが微笑みながら軽く手を振った。
「ぷるわ。実は私も発病前に色んな光魔法を自身にかけてみたんだけれどねるるるる。どうやら発病後でないと効果はないようなんだよるるるる。しかし、発病後では誰も光魔法を使えなくなっていてねるるるる。おかげでこの有様だよるるるる。炎系の精霊魔法は少し使えるようにはなったけれどねるるるる」
ラウトとコラールが、光魔法をバランにかけようと提案したが、バランは丁寧に断った。
「君たちは、今、守護樹の支援なしで精霊魔法を使用しているるるるからねるるるる。使える魔法量に上限があるはずだよるるるる。私は別にこのままでも構わないから、魔力をできるだけ温存しておきなさいるるるる」
バランが大真面目な表情になる。
「じゃあ、ジャンビ君を呼んで虫除け薬の製造に当たらせてくれ。その上で、保管庫の虫除けの持ち出しを許可するよるるるる」
さすがに、「るるるる」が、うざったく感じてきたので、ラウトとコラールはすぐさま薬師部屋へ向かった。
バランはちょうどいい休暇だと思ったのだろうか、手術室の控え室に1人残った。戸締りを厳重にして、ソファーをベッド代わりにして再び寝る事にしたようである。




