果物泥棒騒動 その1
都はシュナ内海からジャムナ内海へと入る海峡越えの瞬間を再び迎えていた。今回は東から西への海峡越えで逆方向である。
やはり今回も大勢の周辺住民たちが都へ押し寄せてきて、この海峡越えを楽しんでいる。水上警察が水の精霊を操って都を動かし、水上では巨大なスレイプニルの部隊が高速で都の周囲を駆け回って警戒していた。
大道芸人や移動屋台も多くやってきており、大通りを中心に群集であふれて賑わっている。
その水上警察のバラカン騎手が乗ったスレイプニルを、黄色い歓声をあげて手を振っている群集の中には、私服姿のコラールとセリアも混じっていた。周辺には同じような黄色い声を上げるエルフの娘たちが数十人もいて、独特の盛り上がりを見せている。
「相変わらず、かっこいいわねー」
セリアがうっとりした表情でバラカンを褒め称えると、隣のコラールも同じような表情でうなずいた。
「向こうの屋台で、新しいショットのプロマイドと、ポスターが売っていたの。後で買いにいこうね、セリア」
セリアがニヤニヤしながらコラールを小突いた。
「おーおー。彼氏がいるというのに、この娘は!」
コラールはコホンと咳払いをして、黄色い声から普段の声に戻す。
「それはそれ、これはこれよ。っていうか、ラウトさんから、まだ告白も何ももらっていないんだから、彼氏彼女の段階でもないし!」
セリアのニヤニヤは止まらない。
「ふーん。で、告白されたらどうする気なのよ。所帯を持つにはまだ300年は早いわよ」
コラールが少しジト目になってセリアを見据えた。
「時間は、まだまだあるからゆっくり考えるわよ。セリアの言うとおり300年は猶予があるもの」
「こやつは!」
セリアが小突くだけでは効果がないと思ったのか、肩で体当たりをコラールにかました。
「ラウト君も、今の時期は忙しいものね、コラール。薬草園の作業手伝いにかり出されて、今頃は泥だらけよ、きっと。果物の収穫も始まったそうだし、何かお土産があるかもね」
「そうね。ミカンとか青リンゴとか(に似ているエルフ世界の果物)だったら良いわ、ね……きゃあああ、バラカンさまがこっちへ来たわよ!」
「バラカンさまー!」
薬草園の一角には小さなガラスハウスが10棟ほどあるのだが、それぞれの棟は結界になっている。ガラスハウス内部は、都がそのまますっぽりと収まるくらいの広大な果樹園になっていた。
図書館と同じ魔法が使われているのだが、果樹や薬草への日照、散水排水の手間がかかる分、こちらのガラスハウスの方が少し高度な術式が使用されている。
農作業ゴーレムが数十体ほど、黙々と雑草抜きや果樹の剪定、害虫の駆除などの作業を行っているのが見える。
このガラスハウスにはミカンやオレンジが植えられていて、今は収穫前の成分検査をしていた。
広大なのでカンプン1人では到底間に合うわけもなく、こうしてラウトとテランもかり出されているのであった。
ミカンの森の中にラウトが1人杖を持って立っている。彼のそばには小さめの空中ディスプレーが2つ浮かんでいて、それぞれにカンプンとテランの姿が映し出されていた。広大なので、3人で散らばって作業しているのだろう。
「広いなあ……このガラスハウス1つだけで都の面積とほぼ同じなんだろ? カンプン」
ラウトが杖をミカンの木にかざして、星を3つ点滅させた。検査用の精霊魔法だ。それを用いて、木に鈴なりに実っている黄金色をしたミカンをまとめて成分検査していく。
杖の1振りで、百本ほどのミカンの木が検査されているようだ。
「そうだな。この他にも、あちこちに国立の農園がある。東テライ大陸に新しくできた農園も加えると、かなりの面積になるだろうな」
カンプンもかなり離れた場所でミカンの検査をしていて、その姿が映し出されていた。
テランも同じ作業をしていて、カンプンに尋ねてきた。
「なあ、カンプン。普通はこんなに丁寧に検査なんかしないだろ。何かあったのかい」
ラウトもうなずく。
「そうだな。普通はこんな出荷前検査って、ゴーレムか精霊に任せるものだろ?」
ディスプレーに映って検査作業をしているカンプンの表情が、少し険しくなった。
「うん……実は果物泥棒が入り込んでいるみたいなんだよ。この3日間ほど収穫量がかなり落ちてしまっているんだ。でも、風や光の精霊の監視には全然犯人らしき影が見当たらなくてね。こうして、直接検査して何か魔法の痕跡がないかどうか調べているんだよ」
テランが「なるほど」とうなずいた。
「そうか。だから波動検査までしていたのか。で、どうだい? その痕跡とやらは見つかりそうかい?」
カンプンがかぶりを振った。
「残念だけど、何も異常はないなあ」
テランも首をかしげる。
「そうだな。異常らしい異常は見当たらないな。というか、そもそも、この簡易結界の中にわざわざ侵入するような泥棒っているか? 認証されないと誰も無断で入ることはできないだろうに」
カンプンが画面上で上を指差した。
「人ではなくて、虫とか鳥の群れなら可能性はあるんだ。この結界にはガス交換や熱交換のための穴があるからね。でも、そうなると大量の鳥や虫が飛来してこないといけないんだけど……その痕跡が見当たらないんだよ」
テランもその謎に考え込むばかりである。
その時、ラウトが頭をかきながら遠慮がちに画面に向かった。小さな粒のような種をつまんでいる。
「あのさ。僕が以前にアンデッド臭くなったことがあったよね。それと似たような臭いが、かすかにするんだけど。特にこのランの種から」
カンプンとテランがきょとんとした顔になった。
「アンデッドの仕業だと思うのかよ、ラウトは」
「ランの種なんかは、どこにでも落ちているもんだぞ。近隣の住民がよく身に着けているからなあ」
ラウトも分かっているらしく、頭をかいてバツが悪そうな仕草をした。
「うん。エルフ世界でアンデッドだなんて荒唐無稽だよね。光の精霊場が強いから、もしアンデッドが来ても長時間滞在できないはずだし。ランを身に着けているアンデットとか聞いたこともないし」
カンプンも、アンデッドとかありえないだろうと返事をしたのだが……いよいよ果物泥棒の手がかりが見つからなくなってくると、ラウトが作業している場所へやってきた。
「ラウト。ちょっとその種を見せてくれないか」
ラウトからゴマ粒よりも小さなランの種を受け取って、それをマジマジと眺めていたカンプンの表情がさらに混乱したようになった。
「何だこりゃ。確かに闇魔法と死霊術場を帯びてやがるぞ、このラン。初めて見た。相当に珍しい種類だな」
「そうなんだ。カンプンがいうなら、かなり珍しい種類なんだな」
カンプンとラウトが2人して首をひねっているところへ、テランもやってきた。
「つまり、このランの生えている場所から果物泥棒がやってきている……んじゃないか?」
ラウトが首をかしげたままテランに尋ねた。
「……って、どんな生物だよ。闇魔法と死霊術場が充満しているところに住んでいるような虫とか鳥って」
テランが仏頂面で即答する。
「お前のように、何か良からぬ物を食ったんだろ」
危うくケンカになりそうになるのをカンプンが苦笑しながら止めた。
「まあ……これしか手ががりがないな。コラールさんに頼んで図書館で調べてみてくれ、ラウト」
コラールがちょっとジト目でディスプレー画面上で検索をかけている。セリアは面倒ごとがやってきたと、いち早く察知してどこかへ消えてしまっていた。司書長もきついジト目をラウトに向けている。奥のほうでは、ゴーレムたちが本の補修作業を黙々としている。
余計な仕事であるのは言い訳のしようがない。
「また、アンデッド? ラウトさん、もしかして呪われているんじゃない?」
ラウトも冷や汗をかきながら頭をかく。
「波動検査では異常なしだったんだけどなあ。ごめんね、コラールさん。いつも面倒な作業をお願いしてしまって」
コラールがジト目のままでラウトに向かって言い放った。
「そうね。いつもの喫茶店でジュース1週間分ね。ええと……貿易課の出入国記録では、不審者はいないかな。で、この坊主なんだけど」
別の空中ディスプレーが発生して、そこにゲート管理の坊主が映し出された。やっぱり茶をすすっている。
「なんじゃ、またエルフか。今度はどんな問題を起こしたんじゃね」
横にいるラウトにも分かるくらいに、ピキピキとひきつった笑顔でコラールが坊主に質問する。
「お坊様。この数日間、トリポカラの都に誰か不審者が行き来していませんでしたか? 果物泥棒みたいなんですけど」
坊主が即答する。
「んな奴、いるわけなかろう。果物ごときで、わざわざローエンシャント魔法を使って世界間移動なぞするバカはおらんぞ。そろそもじゃな、君たちエルフは精霊魔法ごときの単純な魔法と、このゲートを稼動している魔法とを同一だと誤解しているようじゃが、それはな…」
坊主の説教が始まりだしたのを、速攻で遮るコラールである。
「説教垂れるんじゃないわよ、このアンデッド。ラウトさんが農園でアンデッド臭いランの種を見つけたから、仕方なく聞いてあげてんのよ、このアンデッド」
(このままでは深刻なケンカになりそうだ……)と直感したラウトが、コラールの両肩を両手でそっと押す。そして、代わりに画面に向かい合った。
「すいません、以前お世話になった薬師部屋のラウトです。忙しいところ、お時間とらせて申し訳ありません」
坊主も険悪な表情を少し和らげたようだ。
「おお。あの時の坊主か」
「実はこの3日間ほど、都の果樹農園から大量の果物が盗難されているんです。ですが、犯人像がつかめなくて困っています」
ラウトが例の種を取り出して、坊主に見せた。
「このランの種が唯一の遺留品なのですが……これ、わずかですが闇魔法と死霊術場を帯びています。エルフ世界では、このような植物は非常に珍しいのです。誰か外世界から来ているという情報があれば助かるのですが、分かりませんか?」
ラウトの説明はすでに坊主が知っている情報であったが……丁寧な申し出だったので、坊主ももう少し詳しく調べてみる気になったようだ。
右手をさっと水平に振って、小さなディスプレーを発生させて何か検索している。
「……うむ。こちらで把握している非正規ゲートの動向も探ってみたのじゃが、こちらでも異常は見られぬな。まあ、把握していないゲートの方が多いから、これだけでは何とも言えんがの」
ラウトが素直に礼を坊主に述べた。隣でジト目になっているコラールとの対比が面白かったのだろうか、坊主がもう1度だけ右手を水平に振って、画面を切り替える。
「まあ、ラウト君には迷惑をかけたからな。大サービスだ。死者の国の生鮮果物市場の売り買い記録を当たってみよう。……ふむ。こちらでも特にないな。まあ、闇ルートもあるから、そこに流れたのであれば分からんなあ」
ラウトが好奇心を抱いたようで、大きな青い目をちょっとキラキラさせた。
「あの、お坊様。死者の国の住人でも果物を食べるのですか?」
坊主が苦笑しながらも答えてくれた。
「食べる……ではないな。生気を吸収して体の維持に使うんじゃよ。我らの体は死体じゃからな。食べたところで消化できない。我らの体は死霊術場から、精神は闇魔法場から、存在と活動に必要なもの全てを得ておる。故に、特に果物などから生気を吸収する必要はないのじゃがね」
坊主が軽く背伸びをした。
「ただ、体は経年劣化して動かしにくくなっていく。それを軽減して体を長持ちさせるために、生気を吸収しておるんじゃよ。もちろん、死霊術でも破損した体の補修はできるが、ちと効率が悪いのでな。まあ、体のメンテ用といったところか」
感心して聞いているラウトの隣のコラールが、きついジト目のままで冷たく言い放った。
「アンデッドって、ベジタリアンだったのね。血とか生肉大好きって聞いたけど」
坊主がまたジト目ぽくなった。
「あのな。単に体の劣化を防ぐためじゃから、血とか生肉とか入手が面倒な材料を使う意味はないぞ。バンパイアはまだしも。果物がある程度保存が利いて、大量生産できるから使うだけじゃよ。さ、大サービスはここまでだ。さっさと仕事に戻れ、エルフども」
コラールと司書長の「これだからアンデッドは……」という罵詈雑言をとりあえずやり過ごしたラウトが、コラールにもう1つのお願いをする。
「ジュースもう3日分ね」
それで手を打ったコラールが、ディスプレー画面で司書権限で検索をかけた。瞬く間に必要な情報だけが選択されて画面上に残り、それらが展開された。
「ええと……セマンの探検記録で1件だけヒットしたわね。ラウトさんが農園で拾ったランの種の波動と同一な地域は……あら。結構近いわよ。ここは……」
思わずラウトが画面に顔を寄せて、至近距離でコラールと目が合ったので慌てて距離をとった。
コラールも「コホン」と咳払いをする。エルフの耳は長くて目立つので、2人とも耳の先が赤くなったのがすぐに分かる。
司書長もコホンと咳払いをした。
「ここは火山の地下洞窟ですね、ラウトさん」
ラウトが少々混乱した顔になった。
「え? ランなのに地下に生えているのですか? 日光が届きませんよ」
コラールがセマンが記した記述を速読していく。
「うう……何コレ。元々、ランって植物は微生物やカビなんかを支配下において、彼らがつくった栄養を奪って生きているんだけど、それを極限まで進化させた種類みたいね」
ラウトがうなずいた。
「うん、薬師部へ入る際にランのことは学んだよ。確かにそうだよね」
コラールが話を続ける。
「あ、そうか。ラウトさんは薬草園に少し関わるものね」
彼女の説明によると、この火山の洞窟には有毒ガスが充満しているそうだ。酸素もほとんどなくて、エルフは生きていけない環境である。
しかし、そんな環境でも生きていける細菌やカビ、粘菌がいる。このランはそれらを支配して栄養を受け取る、という進化をした。
そして。日光も不要になって、植物であることをやめたのだろう――とセマンの冒険家は書いていた。
酸素がある環境ではランは平気なのだが、支配している微生物が酸素過多で生きていけなくなる。そうなると、ランが栄養欠乏になってしまう。
「そうなるのを嫌って洞窟の外へ出てこなかったせいで、私たちエルフが目にする機会がなかったんじゃないかしら」
ラウトはまだ混乱したままだ。
「え? 空気が嫌いなのに、どうしてわざわざ都まで果物を盗みに来たんだろう。このランは果物なんか必要としないよね。それに空を飛んで来ているはずだから、菌でもカビでもないよね。もっと動物的なモンスターがいるってことかな。コウモリみたいな」
コラールも首をかしげた。
「そうよね。でも、洞窟のような狭い環境でモンスターみたいな動物が生まれるかなあ。まあ、実際に行って確認してくるしかないんじゃない?」
ラウトも首をかしげながら同意した。
「そうだね。でも、毒ガスが充満しているから、ちょっと準備しないといけないかな」




