ツーリング その2
翌日も夜明け前に起床して、準備を始めるコラール達。まだ暗いので空気がひんやりとしていて、秋の虫たちの夜の演奏会が続いていた。
長さ50センチほどのムカデやヤスデなどもテントの近くを這っているが、さすがに気温が低くなってきているのでその動きは緩慢になっている。
「やっぱり、ラウトさん寝てるわ」
鏡をつついて、コラールが呆れている。
「夜型の人なんだね。研究職の人はそんな人が多いわよ」
魔法研究所の事務員をしているステリカが、髪をとかしながら木の実をカリカリかじって言う。
「そうなんだ」
コラールとラーサも木の実をかじって、沸かしたばかりのお湯で紅茶を淹れて飲む。3人とも岩派信者なので、ラウトのように発酵クリームなどは加えていない。その分、砂糖をスプーンで何杯も加えて紅茶に混ぜている。
「さて、今日は運河を走るわよ。障害物が多いから、防御障壁をしっかり展開してね」
杖を取り出して精霊とのコンタクトを探り始めるコラール。杖の先から星が出たり消えたりしている。
「分かってるって」
他の2人も同様に杖を取り出した。
岸まで高くせり出している落葉樹が混じった大森林の枝に休んでいた無数の鳥達が、夜明けを察知したのか騒ぎ始めた。東の空が次第に紫色に変わってきている。
バクタプルの都では朝になってラウトが出勤し、空中ディスプレーを出してコラールの鏡と接続した。衛星をいくつも中継するので接続完了までに時間がかかっている。
「へえ……ほとんどもう、衛星網の辺縁じゃないか。次のポイントは……うわ、メグナ内海の東岸までないよ」
電子レンジや油ナベ、蒸し器、電磁炉などの機器の電源を入れながら驚くラウト。
薬効成分を抽出しているクリスタル製の容器に備えつけられている器械は、昨日からそのまま電源を入れたままで稼動し続けている。その状態を確認すると、問題なく順調に動いているようだ。
「さて。今日は接着剤の調製だな。材料を用意しておかなくちゃ。赤紫巻貝の貯蔵庫は……と」
隣接する貯蔵庫へ行って帰って来た頃に、やっと接続が完了したというメッセージがディスプレーに表示された。早速コラールが持っている鏡との交信を許可する。
「おーい、コラールさん。おはよ……うわっ」
時速100キロ近いスピードで、幅わずか数メートルの運河をボートが疾走していた。
護岸工事などは当然全くなされていないので、巨大な岩や樹木が次々に現れて迫ってくる。水面には一面水草や藻が浮かんでいて、それらがシャシャッとボートの防御障壁をこすっていた。
「あ。おはよう、ラウトさん。遅起きさんだなー、もー」
コラールが余裕の笑みで、鏡を持ってラウトに話しかけてきた。ゴオッとすごい風音を立てて、数十メートルはある巨大な岩を水面すれすれの高さですり抜けていく。所々出っ張った岩や木々の枝が防御障壁に当たって砕け、ガリガリガリッと大きな音が水路に響く。
「は、話はいいから、スピードっ、落としてっ」
鏡の中のラウトが慌てる。が……コラールは微笑んだままである。
「だーいじょうぶよう。これでも相当、安全運転してるんだよ」
全然気にしていないようだ。
また一つ20メートルはある大木が運河を覆っている場所を、これまた水面ギリギリの高さで減速を全くせずにすり抜けた。
ゴオオオッと風が巻き起こり、巨木の枝を揺らして葉を散らす。
コラールが首からかけているラウトが映っている鏡は、風圧で吹き飛ばされてコラールの肩先でくるくると風車のように回転している。おかげで視界はほぼ360度になった。
「うひゃああっ。こ、コラールさんってばっ、危ない!」
顔面蒼白で目が回ったラウトが叫んで、慌てて映像を調整した。
相変わらず鏡は風に当たってくるくる回っている。しかしラウトが得る映像は回転補正と、ぶれ修正が加えられたので、映像が安定して目が回るようなことにはならなくなった。
ほっと一息ついたラウトが、たった今くぐり抜けた木を振り向いて確認した。
と、全く同じルートでラーサとステリカのボートが突破してきた。ドバーンと盛大な水煙が巨木を包み、それを突き破って2人のボートが運河の水面スレスレの高さで現れた。
それをコラールも振り返って見て、鏡に微笑みかける。
「ね。大丈夫でしょ」
「樹木精霊ゲットっ。加速うううっ」
ラーサが叫んで、猛烈な勢いでコラールのボートを抜き去って先頭へ躍り出た。後ろを振り返ってコラールに文句を言う。
「もう、コラールてば遅いよー、寝ちゃうよ? こんなんじゃあ」
「分かった、分かった。先頭はラーサに任せるよ」
コラールが大きく手振りを交えて大声で知らせて、最後尾についた。
鏡の中のラウトに笑いかける。
「ラーサは飛ばすわよー」
バーン! とボートから雷が発生して守護樹が抱えている基礎岩が黄色に光り、ラーサのボートが急加速を始めた。
「ね」
ラウトにウインクして、コラールが杖を振った。
「私も加速よっ」
よろめくような加速度が、鏡を通じてラウトにも感じられた。
両岸から木々の枝や岩などが無数にせり出している狭い運河を疾走する前の2隻は、ピンピン跳ねるように水面上をホップしていく。互いに競争するように次々に岩や樹木をすり抜け、運河のカーブを絶妙なルートで攻めていく。
その霧雨のように舞い上がってくる水煙を、突っ切り、かわし、飛び越えて、コラールも前の2隻に紐でつながっているかのように、ピタリと一定距離を維持してついていく。
「す、すごい操舵技術だあ」
目をさらに大きくしてラウトがコラールを褒めた。
「ふふふ。お褒め下さり光栄でございますわ、ラウトさん」
水中にゴワゴワと生えている潅木のかたまりを、ポーンと飛び越える。
「あ」
コラールが高速で後ろに流れ去っていく景色を振り返った。ボートが水面に着地してボアアッと大きな水煙が上がる。
「な、なに? コラールさん」
「止まるわよ」
コラールが杖を前にキッと差し出した。
ドカアアンと、大きな雷音がした。コラールのボートが100メートルほど水面を蹴立てながらブレーキをかけて急停止する。
ワケが分からないラウトに、にっこり笑うコラール。
「農園があったの」
ゆっくりとボートを回頭させて、さっき飛び越えた潅木林を迂回して戻る。その岸辺に小さな人工島が浮かんでいた。確かに農園である。
感心するラウト。
「よく分かったね。コラールさん」
「目は良いのよ、私」
そう言って、サングラスを外すコラールだ。
人工島の農園にボートを横づけすると、石造りの質素な家から主がノソノソ出てきた。断っておくが、れっきとしたエルフである。
「おいおい……暴走族かと思ったら、かわいい嬢さんじゃないかね。どうした?」
農作業中だったらしい。手足は土まみれで、作業服代わりの質素な樹皮とコケをベースに編んでできた服装だ。たくさんのポケットには、剪定ハサミやスコップに苗木やらがゴチャゴチャと賑やかに収まっている。
そのポケットの一つに溢れんばかりに入っているクルミのような木の実を見て、コラールが訊ねた。
「果物やワイン、ジャムなんかありますか?」
「ああ、ちょうど今からが収穫時期だよ。畑を見るかい?」
農場主がコラールを奥の農園に誘った。
家の裏は意外なほどに広い果樹園になっていた。朝日が水面に反射し始めていてキラキラとまぶしい。
房や果実が小さくて原種に近いような品種のブドウ畑が半分以上を占めており、残りを黄金色に色づいた柑橘や洋梨のような果樹が植わっていた。どちらもたわわに実っている。端の方にはクリやクルミに似た木の実を、枝いっぱいに実らせた高木が列をなしてそびえていた。
「わあ、すごいですね。みな収穫時期なんですか?」
コラールとラウトが目を輝かせて農園主に聞くと、白い歯を見せてニッカリ笑って答えてくれた。
「ああ、そうだよ。今年も豊作だ。ワインはこれから仕込むが、以前のやつは水中貯蔵庫にあるぞ。ジャムはもう出来ている。味見してみるかね? お嬢さん」
「はい、ぜひっ」
家の周りはナラなどに似た落葉樹の太い枯れ枝が積まれていて、落ち葉がどっさりとかけられていた。それらからびっしりと白、茶、黒、赤色の茸が生えている。多分、全て毒キノコだ。
「茸は、もう少し待った方がいいよ。まだ小さい。さて、と……」
農園主がゴーレムに似た、テルテル坊主みたいな形をしている精霊や、水の精霊に杖を使って命令した。
すると小ツボに入ったワインが、水中からポーンと飛び出て農園主の手に落ちた。
「これが5年前のワインだ。ジャムもだな」
先ほどのテルテル坊主がヌウ……と地面から湧き上がってきた。ジャムのツボを渡して、また地中に沈んで消える。
ラウトが鏡の中から驚いた顔をして、農園主に訊ねた。
「すごい。土や水の精霊を使役しているんですか?」
「ああ、ゴーレムは便利だけどメンテナンスが面倒だろ。精霊を使った方が便利な場合もある。ほら」
農園主が答えて、ワインとジャムが入ったツボの封印を解いてフタを開け、中を見せてくれた。
「わあ。果実の香りがこなれてきていますね。香草の感じがするわ。ジャムもかなり馴染んでいますね」
コラールが嬉しそうに2つのツボをのぞき込む。
「味見してもいいよ」
農園主が勧めてくれたので、遠慮なくワイングラスに注いで、赤い液体をながめてからグラスの中でワインをくるくる回して味見するコラール。
「まあ、力強い味ですね。香りも鮮烈だわ」
目を輝かせて農園主を見つめる。水で口を改めてから、次いでマーマレードジャムを一口。
「うん、おいしい。香りがいいですね。帰りに寄って買っていきますね。1ケースずつ予約していいですか」
にっこりと微笑んで約束をするコラール。農園主も、うなずいて笑った。
「分かった、用意しておくよ」
再びボートに乗って、コラールが農園主に手を振り出航した。十分な距離まで農園から離れた頃合を見計らって加速を始め、鏡の中のラウトに笑いかける。
「土の精霊場がホットスポットみたいに点在してて、エルフでも土の精霊魔法を使える場所があるの。掘り出し物が多いのよ、ここって。さあて、追いつかなくっちゃ、ね」
コラールが、嬉しそうな顔でサングラスをかけた。
ミンヤックがゴーレムに命じて、接着剤の原材料である赤紫巻貝の内臓を取り出させている。
ラウトがディスプレーから端子をつないだゴーグルを頭にすっぽりとかぶって、ワーワー騒いで手足をばたつかせている。
ミンヤックも作業が一段落したので、ラウトが接続しているディスプレーをのぞき見た。これにはラウトが実際に見ている風景が映し出されていた。
「ほう」
にやりと笑うミンヤック。
ものすごいスピードで運河を疾走している。周辺の景色が高速で流れていって、次々に出てくる巨大な岩や樹木をヒョイヒョイと減速せずにかわして行くさまが映し出されていた。時速は200キロに迫るだろうか。
「これは、相当なスピード狂だな。ん?」
ディスプレーの隅に表示された、くずれたひらがなの草書体のようなエルフ文字の警告文を、ミンヤックが確認した。
「ああ……そろそろ衛星の送受信範囲の外に出るのか」
ディスプレーにノイズが走ったかと思うと、それがあっという間にノイズだらけになって映像が切れた。
「わあっ」
ゴーグルをかぶったままのラウトが、いきなり接続が切れたショックも加わって悲鳴を上げて我に返った。
慌てて何も見えなくなったゴーグルを外して、キョロキョロして薬師部の部屋の中を見回す。
ミンヤックが、バン、とラウトの背中を叩いた。
「接続が切れたんだよ、ラウト」
それを聞いて、やっと落ち着くラウト。思わず冷や汗をぬぐう。
「は、ははは……事故を起こしたのかと思いました」
「どうやら、次につながりそうなのは、メグナ内海に入ってからになりそうだな」
ミンヤックが衛星の配置図を確認しながらラウトに告げた。ラウトもうなずく。
「さて。びっくりした後で悪いが、接着剤の製造に取り掛かろう、ラウト」
材料である貝の内臓がすり潰されている臼をのぞき込みながら、ミンヤックが促した。
「うむ、そろそろいいだろう。次はこれを精製するぞ。アルコール3008番と油0024番を用意してくれ」
「は、はい。先生」




