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毒祭り その1

 スミング農園長が見積もった通りに、都の虫不足はその3週間後までには解消された。住民生活も通常に戻って一件落着である。

 季節は晩夏に差し掛かり、空の色はさらに淡く、雲も立体的でなくなってきていた。日が暮れると過ごしやすくなるものの、日中の気温はまだまだ夏のそれである。

 都の西進による湿度の上昇もあいまって、エルフによっては都を後にして東へ残る者も多く出ていた。

 一方で入れ替わるように、湿度を好むエルフたちが都への上陸を増やしている。


 ステレオタイプな違いというと、東の乾燥を好むエルフは草で編んだ服やサンダルで、守護樹も乾燥に強くて葉の小さい種類が多い。

 西の湿気を好むエルフは樹皮や草にコケ、硬質キノコをくり抜いたサンダルで、守護樹は葉が大きい種類が多い。

 宗派にも特徴があり、乾燥した東に行くほど水派信者が増えてくる。ただ、衛星国が位置するところまで東になると、湿度が上昇し始める。再び湿潤な気候になり森が発達してくるので、多数派の岩派の信者が再びほとんどを占めてしまうようだ。



 いつもの喫茶店では、ラウトとコラール、セリアが昼休みで軽食を取りながらジュースを飲んでいた。

 他の客は相変わらず少ないが、マスターは一向に気にしていない様子である。今もせっせと食器やグラスを磨いてピカピカにして悦に入っている。ウェイターの募集をかけているのだが、まだ応募者はないらしい。


 セリアがいつものように文句をマスターに言いだした。

「こら、マスター。いつまで輸入食材を使っているのよ。もう、都の養殖虫の供給は復旧したでしょうが」

 マスターはセリアを見ようともせずに、グラスを磨きながらボソボソと答えた。

「ふん。用済みになっているからこそ安く買えるし、この小さな店にも回ってくるんだよ。食材の有効利用だと言って欲しいね。飯を食べたいのなら他の店に行ってくれ」


 以降、どうでもいい口論が続くのをBGMに聞きながら、ラウトがその輸入虫のスープを口に運ぶ。

「うん……乾燥失敗した時に感じるカビ臭さがあるよね。まあ、安く食べられるから文句は言わないけど」

 コラールはジュースを一口飲みながら、それをジト目で見つめている。

「私たち岩派は、カビを使った発酵食品をあまり食べないから、こういったカビ臭い虫はダメだわ。ラウトさんは、よく平気ね」


 ラウトが少し考えながら、虫を口に運ぶ。

「考えてみると、森派や水派はカビの生えたものもよく食べるかな。よほどカビ毒が強いものでない限り、お腹を壊すこともないし。エルフが毒に強い体質のおかげかな。多分、これをミンヤック先生が食べたら病院直行かもしれない」

 コラールが苦笑する。

「ラウトさん。わざわざ毒のあるものを食べる必要はないのよ?」


 セリアと不毛な口論を続けていたマスターが、窓の外を見てボソリとつぶやいた。

「毒といえば、今年もそろそろ北の大地から行商人が来る頃合いですかね」

 これに一斉に反応した客たちである。セリアも窓の外を一緒に見ている。

 コラールも同じような反応をしたので、思わずツッコミを入れてしまうラウトであった。

「コラールさん。そんなに楽しみですか? 北の毒芋虫と、毒草のムシカブト」


 我に返ったコラールが少々慌てながらもコホンと咳払いをして、ジト目でラウトを見据えた。

「これは季節限定、数量限定だから別よ。今の季節しか食べることができないし。しかも、そんなカビた虫と違って風味豊かで素晴らしい食材なのよ」

 セリアが戻ってきて、ニヤニヤしながら補足する。

「酩酊できるしね、コラール」



 薬師部の部屋では、ミンヤックが病院から指示されてきた薬の調製作業を行いながら、かなり呆れた顔でラウトの話を聞いていた。

「毎年毎年、どうしてこうエルフって奴らは毒を有難がって食べるんだ? しかも、うまいとか何とか言って喜んで、次の日は酩酊してくたばっている。わけわからん」

 ラウトがすかさず反論する。

「先生。お酒のようなものですよ。ほら、エルフは基本的に酒に酔わないですし、毒にも強いですから、こういった食材に飛びつく人が多いんですよ。岩派の人は、普段は発酵食品もほとんど口にしませんから、なおさらなんです。先生が季節限定出荷のお酒を楽しみにするようなものですよ」


 ミンヤックは「フン」と鼻を鳴らすばかりである。

「酒と毒虫、毒草を一緒に語るな。いやその、オレも酒を飲みすぎたら二日酔いになるけどな、根本的に違うものがあるだろ」

 ラウトは首をかしげている。

「そうですか? 先生。同じようなものだと思うのですが」


 ミンヤックが苦虫を噛み潰したような顔になった。

「そうだったな。エルフに酒の話をしても無駄なのを忘れていたよ」

 ラウトがジト目になった。

「もう。エルフをモンスターか何かと勘違いしているでしょ、先生。実は私も、この北の毒芋虫と毒草はあまり好きではないんですけどね。毒芋貝とか淡水毒クラゲとか、他においしいものは森派ならたくさん知っていますし。私は長期発酵熟成したチーズの方が好きですね」

 ミンヤックが絶望したような顔をした。

「あれこそ毒じゃねえか。絶対にこの部屋に持ち込むなよ。オレの鉄拳が大回転することになるからな」



 数日後。都の大通りの一角に設けられた特設会場で、その毒芋虫と毒草の即売会が大々的に開催された。

 毒芋虫と一口に言っても、広大な北の大地から集められただけあって10種類以上に分類できそうである。毛虫のようなものからツンツルテンで光沢があるもの、真っ白なものから泥炭のような色のものまで多様である。


 興味深いことに、その毒芋虫を売っている行商人の姿もそれぞれ異なっている。

 まとっている服装も、枯れた松のような樹皮から紙のような白樺の樹皮、ススキのような草とヨモギのような幅広の葉の草を上手に干してまとっている者……と地域色がよく出ている。

 この芋虫の毒は、夏に繁殖のために南から渡ってくる無数の渡り鳥や巨大虫の餌にされるのを防ぐために、獲得されたものだと考えられている。


 エルフは魔法を使わずに弓矢でハンティングを楽しむ趣味の者が多いので、その毒矢の材料にもよく使われている。かなり即効性のある神経毒で、ほとんどの虫や獣、鳥は一撃でマヒして動けなくなる。

 しかし、狩った獲物を食するのは水派の信者しかいない。ほとんどのエルフは釣りのように記念写真だけ撮影して解毒し、野へ返している。


 同様に、毒草であるムシカブトも、土地によって草丈が高かったり低かったりして多様性がある。見た目はうぶ毛がびっしり生えた濃い緑色で、葉の小さなヨモギに見える。花の形は別でスイセンを小さく細くしたようである。

 毒は草全体に含まれているが、特に地下茎と種子に強い毒が含まれている。これも神経毒で、毒芋虫と同じく夏に南から渡ってくる草食性の獣や虫から身を守るために、獲得したものだと考えられている。

 この草は、北に自生している種類のものほど毒性が強い傾向があるので、エルフの好みを巡ってしばしば口論のネタにされている。例えて言うならば、目玉焼きをどう焼くかの口論に近いだろうか。


 もちろん、ミンヤックのような異世界の人にとっては、どれもこれも即死級の猛毒であることには違いはない。


 役人も休暇をとって買いに行く者が多く、事実上の休日のようなものになっている。病院も例外ではなく、新規受付の窓口は閉鎖されて閑古鳥が鳴いている。

 薬師部も仕事がほぼなくなって、暇を持て余しているミンヤックとラウトであった。貿易課や倉庫も開店休業状態なので、輸出用の薬や接着剤などをつくることもできない。


 ただ、この日は酔っ払って酩酊状態に陥るエルフが大量に発生するので、救急外来だけは準備万端だ。薬師部もそこで使われる薬の調製のためにスタンバイしていなくてはならない。

 部屋の中にある大きめの冷蔵庫の中に入れてある、毒虫と毒草の毒を中和するための薬が入ったガラス瓶の数を、ラウトが確認する。

「とりあえず100人分は準備できています。これで足りそうですか? 先生」

 ミンヤックが窓際にもたれかかって外を眺めながら、面倒臭そうに答えた。

「いつもの年だったら、それだけあれば充分だよ。まあ、バランの指示で消費した分は補充しないといけないから、今日は100ビンほど様子を見ながら追加してつくることになるだろうな。むう、即売会が始まったか」


 窓の外からファンファーレの音が聞こえてきた。大勢の歓声も聞こえてくる。

 ラウトが目を輝かせて、空中ディスプレーを出現させた。生中継の映像が映し出されている。

 会場は結構大きいのだが、エルフの群集で埋めつくされていた。ほとんどが都周辺からやってきた住民なので、樹皮やコケなどをまとった姿ばかりである。

「あっ。始まりましたね。コラールさんいるかな」

 ミンヤックがラウトの横へやってきてニヤリと笑った。

「大したグルメお嬢様だよ、まったく。しかし毎年思うが、群衆というよりは木々が動いているようにしか見えないな」


 ラウトがディスプレーに映し出されている映像を、指を振って切り替えていく。風の精霊に乗った光の精霊が送っている映像なので、ゆらゆらと揺れている。

「あ。大食い大会が始まりましたよ、先生」

 ミンヤックが呆れたような声を上げた。

「今年も性懲りもなくやるのかよ。で、何を食ってる? 毒芋虫か?」


 ラウトが画面をズームさせる。壇上にいる参加者は20名くらいか。皆、見事に樹皮やらコケやらをまとって着こなしている。夏なので、服や髪に飾りつけてある野生のランも数多く花を咲かせていた。

「ええと……はい。今は芋虫の踊り食い競争ですね。先頭集団は20匹台で並んでいます。プログラムを見ると、次は毒草ジュースの一気飲みだそうです」

 ミンヤックが少々怒ったような顔になった。

「確か、去年は100匹食ったあたりから、ぶっ倒れた奴が出てきたな。このペースだと、そろそろか。こいつら全員ぶっ倒れるぞ。20名分を準備しとけ」

「はい、先生」


 ラウトが冷蔵庫の方へ歩いていこうとした時、別のディスプレーが生じてバランの姿が映し出された。

「やあ、ジャンビ君。先ほど、出品された全ての毒虫と毒草の成分と波動の検査が終了したよ。突然変異種は確認されなかったから、いつも通りの対処でいこう」

 ミンヤックがうなずく。

「うむ。余計な仕事が増えなくて良かったよ。まあ、この夏のイベントは心配していないさ。問題は次の秋のイベントだな。野生キノコは成分が時々変わるから面倒だよ」


 ラウトも冷蔵庫の方へ歩きながら同意した。

「その通りですね、先生。熱帯や亜熱帯のキノコですからねえ。同じキノコでも生えている場所で成分が違うと言いますし。では、風の精霊をスタンバイさせますね。薬ビンの送付先は緊急外来宛でプログラムします」

 バランがうなずいた。

「うん、そうしてくれ。じゃあ、私は病院で待機しておくよ。指示はいつもの通り、署名付きで風の精霊を使うからよろしく」


 夜になった。

 患者が集中する恐れがあるので、ミンヤックとラウトの2人は薬師部屋に宿直しての泊まりこみである。

 隣のレマック薬師の部屋も明かりがついているので、同じく宿直なのだろう。向かいの病院も明かりがついたままである。

 一方、その周辺の建物は完全に消灯して真っ暗になっている。ここからは見えないが、王宮方面も暗いままなのでほとんど誰もいないのだろう。


 ミンヤックがジト目になった。

「おいおい。王宮も開店休業かよ。まったく、エルフの世界は平和すぎるな」

 ラウトも苦笑しながら、冷蔵庫の薬ビンの在庫を確認する。

「ははは……一応、勤務時間外ですから。ええと、補充は20ビンで良いでしょうか、先生」

「うむ。まあ、そんなもんで良いだろ」


 そこへ、ラウトの姉がやってきた。毒虫を食べて酔っているのか、頬と耳の先が赤い。

 その後ろにはコラールとセリアがくっついてきている。3人とも私服姿であるが、そこはエルフなので、大しておしゃれではないのが残念である。


 ミンヤックの世界では恐らく、下町の縁側で酒を飲んで昼寝しているオッサンあたりが着ていそうな、いわゆる『芋ジャージ』と呼ばれるスタイルだ。ただ、今晩は人が多いので、足先を踏まれても大丈夫な靴のようなサンダルにしているのが、いつもと違う点だろうか。

「よお、我が愛しの腐れハゲ。仕事してるか? 優しいお姉さまが差し入れ持ってきてやったぞ。感謝しろよ腐れハゲ」


 ラウトの引きつった笑い顔のこめかみに青筋が浮かんだ。

「姉さん。後で表に出ようか。思いっきり話があるから」

 そんなラウトを完全に無視して、ミンヤックに姉が挨拶する。

「こんばんは、夜分失礼いたします。パギ‐ミンヤック‐ゴレン‐モス薬師さま。腐れハゲの姉のレガ‐ナンティ‐ジャンタン‐モスと申します。いつも、この腐れハゲがご迷惑をおかけしているそうで申し訳ありません。意気込みだけはありますので、どうぞ、腐ったハゲではありますが、よろしく取り扱って下さい」


 立て板に水が流れるように、スラスラと口上を述べる姉の後ろで、コラールとセリアが必死で笑いをこらえているのが見える。

 ミンヤックもこの口上が気に入ったようで、白くて大きな歯を見せて笑った。

「がはは。聡明な姉上じゃないか、ラウトよ。上司のパギ‐ミンヤック‐ゴレン‐モスです。ラウトにはよく助けられておりますよ。なかなか優秀な弟さんだ。して、ここへの入場許可はバランから得たのですかな?」

 姉がにっこりと微笑んでうなずいた。

「はい。せっかくだから驚かそうとバランさまがご提案なさいまして。ささやかな物ですが、差し入れです。どうぞ召し上がって下さい」


 そう言って、姉がコラールとセリアから袋を2つ受け取って、近くの机の上に置いた。

「ドワーフということでしたから、酒と魚の干物をメインに取り揃えてみました。お気に召して下されば幸いなのですが、いかがでしょうか」


「おお、気が利くねえ……どれどれ」

 早速、ミンヤックが袋を開けて中身を確認する。かなり満足できるような差し入れだったようだ。満面の笑みになるミンヤックである。ラウトの背中をバンバン叩いて褒める。

「おい! 良い姉を持って幸せな奴だな、コラ」


 そのままの勢いで、早速酒ビンを開けてラッパ飲みを始めるミンヤックである。

 ラウトのジト目がひどくなる。

「姉さん……一応、僕たちは勤務中なんだけどな」

 姉はニヤリと微笑んでウインクを返した。

「大丈夫よ。先生が酔いつぶれたら、電撃と興奮の精霊魔法で強制復帰させるから」

 セリアも同じような顔をする。

「ついでに、二度と暴走しないように精神改造もしちゃうよ」

 ラウトが冷や汗をかきながら手を振った。

「いや、だからそれは犯罪ですから、止めて下さい」


 そのまま、この2人に関わり続けるのは事態を悪化させるだけだと判断したラウトが、コラールに笑顔を向けた。

「コラールさん、こんな悪臭漂う部屋に来て下さって恐縮です。暇だったので眠気覚ましになりました」


 コラールは先ほどからキョロキョロして興味深そうに部屋の装置やゴーレムたちの作業を見ていたが、ラウトに視線を戻して微笑んだ。彼女も少し酔っているのか、頬とそばかすが散っている鼻頭が少し赤く、長いふわふわ金髪がゆらゆらと揺れている。

「どういたしまして。図書館にはこんなに機械が入っていないから新鮮だわ。でも、確かに臭いが色々すごいわね。お向かいの病院の方は活気があったから、ここも忙しいのかと思ってたけど……そうでもないのね」


 ラウトが差し入れの魚の干物を1つかじりながらうなずいた。ちょっとしょっぱかったようだ。

「うん。基本的に今晩は、毒虫と毒草酔いの対応がメインだからね。作業もマニュアル化されているから、ほとんどをこのゴーレムたちに任せておけるんだ。今は薬の在庫が少なくなったら、僕が指示してゴーレムたちに作らせるだけだから暇なんだよ」


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