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チーズの季節

 トリポカラ王国の都バクタプルは相変わらず、避暑地であるシュナ内海の北岸から、東の水路を越えた先にあるメグナ内海の北岸をうろうろしていた。

 一ヶ所に長く停泊していると、その土地の虫をかなり食べて減らしてしまい、地元住民からクレームが殺到するので昔からこうなっている。


 このあたりになると、かなり内陸になる、空気は乾燥気味で、気温が高いとはいえ過ごしやすい気候である。

 都から見える岸辺の森も温帯の落葉樹ばかりだ。虫の種類や数も亜熱帯の森に比較すると少ないのであるが、それでも都の住民たち1万人の胃袋を満たすには充分である。



 昼休みの都では、今日も多くの役場の役人たちを中心に外で昼食をとる人の流れができていた。弁当派の人もいて、公園や岸辺のベンチで食べているのがあちこちに見える。

 しかし、店で外食をする人の方が多いようだ。


 ここ、森派向けの料理もメニューに載せているいつもの食堂では、今日はとりわけ森派の信者が多くやってきていた。

「ごめん、ちょっと待っていてくれるかな。すぐに戻ってくるから」

 そう言って、嬉々とした表情でラウトが1人で店の中へ駆けていく。

 コラールとセリアは食堂の外の木陰で待つことにしたようだ。手には何かの果物ジュースが入っている紙コップを持っている。食堂に集まっている客は、普段の2、3倍の人数もある。


「今日は、すごい人だかりね。何かイベントでもあるのかしら」

 コラールが首をかしげながら紙コップのジュースをストローで吸っている。その横でセリアが鼻をくんくんさせている。早くも何かを察知したようだ。

「コラール。何か変な臭いが店の奥からするわよ」


 ラウトが浮き浮きとした顔で戻ってきた。手には袋をぶら下げている。

「さすがだねセリアさん。実はね、今日は発酵熟成チーズの初出荷の日なんだよ。メグナ内海の北の丘にチーズ工房があってね、そこで作って熟成させたチーズなんだ。すごく香りがよくておいしいんだよ」

「へえ……」と感心するコラールの横で、ジト目になるセリアである。

「ちょっと待ってよ。てことは、クサい物体じゃないのよ! お昼時に食欲をなくすようなイベントは不要なんだけどっ」


 ラウトが慌てて補足説明した。

「ごめんセリアさん。大丈夫だよ、きちんと封をしているから臭いは漏れてこないよ」

「じゃあ、このうっすらと漂う悪臭は何なのかな? ラウト君」

 セリアの容赦のない追求にたじたじになるラウト。慌てて杖を取り出して精霊魔法を袋にかける。風の精霊が袋を包み込んだ。

「こ、これでどうかな?」


 セリアとコラールが顔を見合わせてクスクスと笑った。

「もう、セリアってば。大丈夫よ、ラウトさん。そんなに神経質になることはないわ」

 セリアも苦笑する。

「あはは。そこまでしなくてもいいのに」

 しかし、ラウトは精霊魔法を解除する気はないようだ。さらに申し訳なさそうな顔をする。

「岩派の人からすれば、確かに悪臭だよね。気持ちが舞い上がって配慮を欠いてました。すいません」


 そこまでされると、コラールも居心地が悪くなったようである。ポン、とラウトの背中を軽く叩いて微笑んだ。

「もう。そんなだから、いつもドワーフにこき使われるのよ。でも、それってそんなに人気なの?」


 ラウトの大きくて青い目がキラキラと輝きだした。袋からその物体を取り出して見せる。

 風の精霊がラウトの手ごと包んでいるので、臭いは全く漏れてこない。しかしながら、杉の樹皮に包まれているので、どんなチーズなのかは判別できない。

「うん。北の丘は寒くて木が生えない土地なんだ。だからエルフでも陸上に農園を構えているんだけど、そこで飼っている家畜の乳を発酵させて型に入れて固めるんだ。ある程度固まったら取り出して、丘の寒風に曝しながら、蒸留酒を散布して布で磨いていく。その作業を2、3ヶ月間ほど続けると、発酵が進んでチーズ内部が液状になってくるんだよ。それを杉の樹皮と這い松の葉で包んだものがこれなんだ」


 好奇心に駆られたコラールとセリアが、その物体に顔を近づけてきた。特にコラールは興味がわいたようだ。

「ねえ、ラウトさん。どんなチーズなのか見せてくれてもいいかな」

 ちょっと戸惑ったラウトだったが、うなずいてゆっくりと樹皮を外して松葉を取り除き、その物体を夏の太陽の下にさらした。大き目のシュークリームのような感じである。フルフルとプリンのように揺れている。


「へえ。意外と見た目はマトモじゃない」

 セリアががっかりしたような口調になった。

 ラウトが苦笑する。

「そりゃあ、食べ物だからね」

 コラールが指でツンツンとつつく。フルフルと揺れるチーズが面白いようである。しかし、そのつついた指を鼻にあてると顔をしかめた。


 ラウトがもう1つ風の精霊を呼び出して、コラールの指を脱臭する。セリアが勝ち誇ったような顔になった。

「ほーら見なさい。悪臭の塊じゃないのよ。そんなもの食べ物とは認めないわよ。川に捨てなさい」

 ラウトがむっとした顔になって反論する。

「外側の皮が一番臭いんだよ。中はクリーミーで絶品なんだよ」


 結局、ラウトがその場でチーズを食べて見せることになった。

 ただでさえフルフルして外皮が薄いので、外皮が破れて中の液状チーズが溢れ出ないように、慎重にツマヨウジのようなものを差し込んで……引き抜いた。

 それを何の迷いもなくラウトが口に運ぶ。コラールとセリアは好奇心丸出しの視線を投げかけている。


「んまーい」

 ラウトの声が裏返って、幸せ真っ最中の表情になった。その表情の激変に驚くコラールとセリアである。

 はっと我に返ったラウトが赤面しながらも胸を張った。

「ね。食べ物でしょ?」

「ぐぬぬ……」とうなるセリアの横で、コラールが一歩前に踏み出した。

「ね。おいしかった?」

 ラウトの顔が再びにやけて崩れた。

「うん。そりゃあ、季節限定の発酵熟成チーズだからね。森派で良かったと心から思うよ」


「へえ……」と目をキラキラさせていたコラールがマジメな顔になった。

「私も味見していいかな?」

 驚くラウトとセリアである。特にラウトの驚きようはなかった。危うくチーズを落としかけるほどだった。

「え、ええ!? 本気なの? コラールさん」

 セリアがコラールの両肩をつかんで後ろへ引き戻す。

「ばか。死にたいの?」


 ラウトが怒り混じりで反論する。

「いや、だから食べ物ですってば。ええと、コラールさん。じゃあ味見してみる?」

「うん」

 コラールに即答されて、さすがにセリアはあきらめ、ラウトはもう1本ツマヨウジを取り出すしかなくなった。

「じゃ、じゃあ一番臭いが少ない中央から取るね」


 プス、とツマヨウジを刺して取り出す。先に微量の液状のチーズがついている。それを慎重にコラールに手渡した。

 風の精霊のガード範囲の外に出たので、本来の臭いがコラールとセリアに届いた。「うげ……」とセリアが3歩ほど後ろに後退していく。

 ラウトが心配そうな顔でコラールに告げた。

「あの、コラールさん。やっぱり臭いがきついでしょうから、無理して食べなくてもいいですよ」


 しかし、コラールは意を決したようだ。目をつぶって「えい!」とツマヨウジを口に含んだ。そのまま口をモゴモゴ動かす。ふわふわした腰までの金髪も同調して揺れている。

 セリアが杖を取り出して、悪臭浄化用の水の精霊を呼び出す。ラウトも同じ精霊を呼び出した。


 ……が、コラールは目を白黒させて引きつった微笑みをしながらも、大丈夫だからと水の精霊の呼び出しを辞退した。

「……お、思ったよりは美味しいかな。大スズメバチのサナギのような食感ね。味もクリーミーで重厚だし」


 ラウトがほっとした表情になった。セリアは反対にニヤニヤしている。

「でも、何か一言あるんでしょ? コラール」

 コラールがツマヨウジをラウトに返して苦笑した。ちょっと涙目になっている。

「下水処理場の中で食べてるようだった」

 それを聞いて、少なからずショックを受けているラウトであった。


 その足で3人は別の食堂に入り、コラールとセリアはこの土地特産の虫の幼虫の姿揚げとスープに舌鼓を打った。ラウトも同じものを頼んでつき合う。

「ああ、確かに。南で食べるような幼虫とは風味が違うね。こっちの方が、土の香りが強いかな。何となくキノコのような香りがするね」

 ラウトの感想に同意するコラールである。

「良い表現ね。南では気温が高すぎて腐葉土が蓄積しにくいのよ。こういった味は温帯のここならでは、なのよねー」


 セリアがにやにやしている。

「ね、岩派に宗旨替えしない? 今なら、この姿揚げをもう1皿サービスするわよ」

 ラウトが余裕たっぷりに微笑んで手を振った。

「魅力的な提案だね。だけど、悪臭がないと生きられない体質になってしまったので遠慮しておくよ」



 昼食が終わり、談笑しながら3人で食後の果物を食べていると、突然、警報が鳴り響いた。赤く光って点滅する風の精霊群があちこちに湧き出て、警戒を始める。

「な、なんだ? どうしたんだろ」

 ラウトたちが驚いていると、すぐに空中ディスプレーが店内に出現して事件を速報で知らせてきた。

 それを見てラウトたちがジト目になる。

「また、ゴーレムが暴走したのかよ」


 警報は10分ほどで解除されたが、ニュース速報の続報が流れ始めた。

 病院内で看護用ゴーレムが多数暴れている映像と、薬草園でもゴーレムが暴れている映像が出るとラウトの表情が青くなっていく。席から慌てて立ち上がって、コラールとセリアに申し訳なさそうに謝った。

「途中退席でごめんなさい。急いで薬師部屋に戻ります」

 ワタワタしながらも、3人分の代金を支払おうとするラウトをコラールとセリアが制する。

「ここは私たちが支払うから、ラウト君は急ぎなさい」

「あ、う、すいません。この埋め合わせは後日必ずしますからっ」


 そう言い残して、待機させていた自身の守護樹に乗って去っていった。

 見送って再び席に戻るコラールとセリア。速報で都でのゴーレム暴走被害のニュースが流れているのを見上げる。

「前回の暴走は大変だったけど、安全装置が取り付けられたんでしょ? 図書館のゴーレムも緊急停止しているわよ。ラウト君青くなってたけど、薬師部では安全装置がまだ取り付けられていなかったのかな。病院や農園では暴れているから、まだなのかもね」

 コラールが首をかしげながら、果物を口に運ぶ。


 セリアも同じく口に運びながらニュース速報を見上げていたが、「あ」と直感するものがあったようだ。

「うーん、安全装置の取り付けがまだだったみたいね。ほら、薬草農園でトゲアカの木が全部ゴーレムによって引き抜かれたってあったわよ。木を引っこ抜くなんて、前回以上に大暴れしてるわね」

「トゲアカの木? ああ、出稼ぎさんたちが使っている虫除けスプレーの主原料よね。これも輸出して稼いでいるのかしら」

 セリアも肩をすくめた。

「さあ。精力剤の件もあったし、色々な裏があるんじゃないの? それよりも、さ」

 と、セリアが机の上に置き去りにされた、チーズの入った袋を指差した。

「どうする? コレ。捨てちゃう?」


 コラールが苦笑しながら、セリアを小突いた。

「捨てたい気持ちはよーく分かるけど、さすがにダメでしょ。私が後でラウトさんの家まで届けるわよ」

 セリアがジト目になる。

「お人よしなんだから、もう。じゃあ、私も同伴するか。悪臭除去は1人よりも2人がかりで一気にやった方が効率的だものね」


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