虫退治 その2
ラウトの守護樹に乗って対岸の深い森に到着すると、既にここの住民のエルフたちが数名出迎えにきてくれていた。もちろん服は全員身につけておらず、樹皮と草にコケを上手にまとった姿である。
その先頭に立つ森オサに挨拶するラウトとミンヤック。ここの森オサは比較的若そうである。
「ようこそ。何もありませんが歓迎いたしますよ」
穏やかな声と表情の森オサに、ラウトが用件をうかがう。
「わざわざのお出迎え感謝いたします。それで、ご用命というのは何でしょうか」
森オサの表情が少し曇った。
「はい。実は、この地域を修めるオサの木が落雷で枯れてしまいまして、精霊場が不安定になっているのです。そのため、シロアリやキクイムシなどの森を荒らす虫が増えてしまいまして困っています」
ラウトも事態を察して同情する。一方のミンヤックには理解できていないようだ。
「なるほど。それは大変ですね森オサさま。新しいオサの木が機能するまで時間がかかりそうなのですか?」
森オサが少し考え込む。
「……そうですね。現在、我々全員で新しいオサの木を育てあげておりますが、モノになるまでには、あと10年ほどかかると思います」
ラウトがうなずいた。
「分かりました。都へ戻りましたら、関連部署に連絡して対処するようにお願いしてみますね。確か様々な補助制度があったと思います」
森オサと数名のエルフが、ほっとしたような表情になった。
「助かります。よろしくお願いします、お役人さま」
話に全くついていけなかったミンヤックが、たまらずラウトに質問した。
「なあ、ラウトよ。どういうことだい? オサの木って何だ?」
「ああ、先生には耳慣れない単語ですよね」
ラウトがミンヤックに解説を始めた。
「ええとですね。エルフ世界では生命の木や守護樹が強力な精霊魔法を使えるのですが、普通の一般の樹木でも初歩的な精霊魔法を使うことができるんですよ。ただ、それは非常に微弱ですので、一般の木が単独で行使できるほどではないんです。そこで、核となる木が周辺の樹木からの精霊魔法の支援を集めて、代表として精霊魔法を使用しているのですよ」
ミンヤックが少々驚いたような顔をした。
「へえ。そんなことがあるのかよ。さすがはエルフの世界だな」
ラウトと森オサたちが顔を見合わせて微笑む。
「多分、他の世界でも起きていると思いますよ。ただ、精霊魔法に詳しい人がいないので知らないだけかと」
「へえ。そんなもんかね」
ラウトが話を続ける。
「……ええと。それで、森のオサの木が使用する精霊魔法は、ほとんどが虫除けや病気治療なんですよ。次に花粉や種子を運んでくれる虫や鳥たちを支援する魔法ですね。その魔法を使う核であるオサの木が枯れてしまうと、こういった魔法が使えなくなってしまい、害虫や病気が発生しやすくなるんです」
ミンヤックが納得した様子でうなずいた。
「なるほど、了解したよ。新しいオサの木が、その集団精霊魔法を発揮できるようになるまでの間、代わりにここのエルフたちが肩代わりするということか」
森オサが素直にうなずいた。
「ええ。このオサの木が担当していた地域が結構広いので、我々だけでは充分に対処しきれていなかったのです。それで、害虫を餌にするスズメバチを都から移植していただいたという次第ですよ。彼らの食欲は相当なものですからね。本当はもっと大きな大スズメバチが来れば良かったのですが」
ラウトが森オサに尋ねる。
「それで、そのスズメバチは無事に機能していますか?」
森オサとエルフたちがうなずいた。
「ええ。大丈夫ですよ。巣の損傷も軽微でしたので、期待した働きをしてくれるでしょう」
ラウトが杖を森の中へかざした。星を2つ3つチカチカと点滅させて、その蜂の状態を確認する。
「……そうですね。波動は正常ですから大丈夫でしょう。都からの各種補助も得られると思いますから、少しはあなた方の負担を減らせると思いますよ」
森オサたちが微笑んでラウトに礼を述べた。
「助かりますよ。ありがとう、お役人さま」
ラウトが照れて頭をかく。そしてミンヤックに告げた。
「では、虫退治を始めましょうか、先生。1時間ほど作業して、都へ戻りましょう。それでちょうど就業終了時刻になると思います」
ミンヤックも苦笑しながら同意した。
「やれやれ、マジメだなあ。分かったよ、何から退治するんだ?」
森オサが深い森の奥を指差す。
「そうですね、この先に巨大なシロアリの巣がいくつかできています。それと、この森全体にキクイムシの幼虫が蔓延しています。それを排除して下されば、かなり楽になりますね」
ラウトが杖をひと回りクルンと回す。それだけで全方位の森の状態が解析できたようだ。空中ディスプレーにいくつもの反応点が現れる。
「その通りですね。では、まず先に樹木の中に寄生しているキクイムシの幼虫と卵を樹木の外にテレポートさせます。先生、1体のゴーレムを出して下さい。それを使って虫を川へ捨てさせます」
「よしきた」
ミンヤックがうなずいて、大きな袋の中から土人形を1つ取り出して地面に投げた。酒とツマミだけ持ってきたのではなさそうだ。たちまち高さ3メートルほどのゴーレムに成長する。
それを確認したラウトが精霊魔法の術式を唱え始めた。風の精霊が急速に集まってきてラウトを包み込み、ラウトからの指示を読み込んでいく。ラウトの守護樹が抱えている岩もぼんやりと緑に輝き始めた。
「術式の読み込み完了。作業開始」
ラウトがそう言って、杖を再びクルンと1回まわすと、大量の風の精霊が一斉に森の中へと入り込んでいった。
ミンヤックと森オサたちに忠告する。
「すいません。虫が運ばれてきますので、ゴーレムから少し離れた方が安全だと思います」
ラウトが予想した通り、ものの1分もすると森の中から大量の幼虫を抱えた風の精霊群が現れて、ゴーレムに体当たりしてきた。そのたびに大量の幼虫がゴーレムの土の体の中に吸収されていく。
卵は小さすぎて見ることはできないが同様に吸収されているのだろう。キクイムシにも様々な種類がいるようで、風の精霊が運んできた幼虫の色や形も様々である。まあ、基本的には芋虫なのであるが。
また、幼虫に混じって黒光りした色の成虫も大量に運ばれてきている。
それを半ば呆れたような表情で見ているミンヤックがラウトにつぶやいた。
「ははは……こりゃあ大漁だな。レストランに売りさばいたら大儲けできるぞ、ラウトよ」
ラウトも苦笑する。
「そうですね、先生。観光客が少ない時期でしたら引き取り手もあったと思いますが、今日は海峡越えのメインイベントの日ですからね。どこも食材保管庫は一杯だと思いますよ」
ミンヤックが残念がった。
「そうか。保管する場所が空いていなければ仕方がないな、残念」
そうこうするうちに、風の精霊の突撃も終わったようだ。
ラウトがゴーレムに杖をかざして状態を確認する。キクイムシを大量に飲み込んだので、大きさが3倍くらいに膨れ上がっている。
「まだ余裕がありますね。じゃあ、このまま次のシロアリ退治を始めましょうか」
ラウトたちが丸々と太ったゴーレムを連れて深い森の中へ入っていく。
しばらく進むと、森オサの案内で目的のシロアリの巣がある場所へ到着した。ラウトとミンヤック以外は皆、浮遊魔法を使えるので森の中での移動はお手のものである。ラウトとミンヤックはラウトの守護樹に乗っての移動だ。ゴーレムは重過ぎるので徒歩であるが。
「おいラウトよ。運動オンチにもほどがあるぞ。エルフのくせに浮遊魔法も使えないのかよ」
ミンヤックが蒸留酒をラッパ飲みしながらラウトをからかう。ラウトも反論できないようで、くしゃくしゃの癖のある金髪をかいて謝った。
「すいません、先生。どうしても真っ直ぐに進めないんですよお。守護樹の自動運転で我慢して下さい」
ミンヤックがにやけて問う。
「ラウトよ。お前、方向音痴だろ」
「ど、どうして知っているんですか!?」
ミンヤックのにやけ顔がさらに崩れてきた。
「ドワーフの直感を甘く見るなよ。良かったな。ナビゲーションシステムが完備されてて」
「あうあう」
そんなやりとりを微笑んで見ていた森オサが、ラウトたちに告げた。
「お役人さま。あれがそうです」
行く手に高さ10メートルほどの巨大な土の塔が、森の木々の隙間から見えてきた。この辺りの森の冠を形成する背の高い層の木々は高さが平均して30メートルほどなので、それほど巨大には感じられない。
「何だ。もっと巨大かと思ったが、そうでもないな」
ミンヤックが素直な感想を口にすると、エルフたちが苦笑した。ラウトが遅れて到着したゴーレムを指差して指摘する。
「先生。周りの木々が巨大なので相対的に小さく見えるだけですよ。ほら、5メートルの背丈があるゴーレムと比べてみて下さい」
確かにキクイムシを大量に飲み込んで体積が3倍に膨れ上がったゴーレムが、子供向けの太った人形のように見える。ミンヤックが「おお」と納得した。
ラウトがそれを見て首をかしげる。
「先生。シロアリは確か薬の原料にも使いますよね。巣を見たことがないんですか?」
ミンヤックが照れ笑いをする。
「ははは。すまんな。オレの調薬の知識はドワーフ世界の政府から直接脳へインプットされたものなんだよ。そもそも、ドワーフ世界では害虫は全て遺伝子改造されて別物に成り下がっているんでな」
今度はラウトたちエルフが驚いたようだ。
「そ、そうなんですか。虫が改造されているなんて、すごい技術ですね」
ミンヤックが咳払いする。
「ごほん。まあ、虫はさておき、技術情報のインプットなんかエルフ世界でもしているだろ。ラウトもそうじゃないか」
ラウトがうなずく。
「はい。私も薬師の助手に任命されてから、必要な情報を全て脳にインプットしました。でもそれは、精神の精霊魔法を駆使した方法でしたから、その……魔法がないドワーフ世界では無理だと勝手に思っていたんです。すいません。機械を使った記憶処理なんですか?」
ミンヤックが屈託のない笑顔でうなずいた。大きな白い歯がよく目立つ。
「まあな。脳に負荷がかかるから、記憶が定着するまで眠くて仕方がなかったけどな。さて、このゴーレムじゃあシロアリの巣を吸収することは無理だろ。どうするんだ?」
ラウトも苦笑して巨大な土の塔を見上げる。
「そうですね。ここまで巨大とは予想していませんでした。ゴーレムに吸収させるには容量オーバーですね。採集ビンに吸い込ませることにしようと思うのですが、先生、どうでしょうか」
ミンヤックがニヤリと笑って、巨大な袋の中からガラス瓶を1つ取り出してラウトに投げて渡した。
「空間設定は適当でもよいだろう、気楽にやってみろ。ビンはいくつ壊しても構わんぞ。オレの経費で全部落とせるからな」
こうして、終業時刻までの間にシロアリの巣を4つガラスの採集ビンの中へ吸い込ませ、最後に岸辺へやってきた。丸々と太ったゴーレムも少し遅れて到着した。
ついでだからと、ミンヤックが健康診断していた森オサが代表してラウトとミンヤックに礼を述べる。
「どうもありがとうございました。これで害虫の数も半分ほどに減らせました。後は、都の補助を活用しながら何とかやってみます」
ラウトが少々照れながらうなずく。
「明日にでも、担当部署の人に伝えておきますね。では、このゴーレムと採集ビンの中身を川に流しましょうか」
そう言ってラウトが杖を振って星を2つほど輝かせると、ゴーレムが川の中へ豪快に飛び込んだ。
たちまち川の流れで土のボディが崩れていく。同時に取り込まれていた大量のキクイムシの成虫や幼虫が水面に浮かび上がってきた。
ゴーレムがまだ動く両手に持っている採集ビンを握りつぶした。これまた4つの10メートル級の巨大な土の塔が出現して、川の流れで崩されて崩壊していく。やはり大量のシロアリが水面に浮かび上がった。
それを見てミンヤックが驚いた顔をしている。
「おお。すごい量の虫だな。水面が見えないぞ」
ラウトが微笑んで、杖を川の方へかざした。杖の先に青い色の星が3つチカチカと輝く。
「大丈夫ですよ、先生。もう呼びましたから」
ラウトがそう言い終わるか終わらないかのうちに、川面が真っ黒に染まった。かと思うと、爆発したかのように一面に水しぶきが立ち上がった。無数の魚が水面から飛び上がり、水面を押し合いへし合いしながら占領する。
その密集圧力でゴーレムと土の塔4つが、あっけなく崩壊して水中に没して見えなくなった。
森オサと仲間のエルフたちがその様子を微笑みながら見守る。
「今日は、彼らにとって御馳走の日でしたね。今日の水浴びは遠慮しておきましょうか」
ラウトが川に杖を向けて状況をモニターしていたが、しばらくしてうなずいた。
「……はい。虫はほぼ全て食べつくされたようですね。泥も水の精霊を呼んでおきましたから、明日までには希釈されて元通りになっていると思います」
そして既に1人で酒盛りを始めているミンヤックに顔を向けた。
「先生。お待たせしました。都へ戻りましょうか」
結局、ミンヤックと都へ戻ってバーで飲みなおしたのだが……ミンヤックは蒸留酒1本目を空にしただけで力尽きてしまい、そのまま大イビキをかいて爆睡してしまった。
仕方なく、ラウトが彼を自身の守護樹に乗せて、部屋まで送り届けることになってしまった。すっかり帰宅が遅くなり、姉を筆頭とする家族に怒られたのは言うまでもない。
特に姉は――
「こらハゲ。残業手当が出ないような付き合いなんてするな。料理を温めなおす私の手間賃の方が高いんだぞ、分かってんのか、このハゲ」
……などと手厳しい。




