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虫退治 その1

 夏になった。

 都を取り囲む大森林の緑が、立体映像のように盛り上がってくるような錯覚を覚えるほどに鮮明になってきた。

 虫も魚も鳥も大いに自己主張して騒がしくなり、むせ返るような生命の息吹で世界が溢れかえっていく。当然、気温も上昇していくので、暑さの苦手な住民たちは北へ、高地へと季節移動を本格化させていた。


 ジャムナ内海からさらに東に広がるシュナ内海へ入るには、狭い海峡(淡水湖をつなぐ水路なので『海』峡ではないのだが、慣習上こう呼んでいる)を越えないといけない。しかし流れがきついので、一般の貨物船にとってはちょっとした難所である。

 今回も水の精霊魔法を駆使したおかげで、巨大な都は海峡を越える準備を整えつつあった。


 その海峡越えのイベントは、エルフにとっても観光のネタになるようである。今も大勢のエルフや休暇をとった出稼ぎたちが都に押し寄せていた。



 その人ごみの間を荷物を背負ってかきわけて歩いているのは、ミンヤックとラウトの2人だ。ミンヤックは荷物を背負っているのだが、全くの余裕ぶりである。ついでに片手には、大きな蒸留酒のビンまで捧げもっている。

 既に顔は真っ赤になっていて上機嫌だ。

「おお。さすがに人が多いなあ。ラウトよ、海峡通過時はなかなかの壮観だぞ」

「先生、お酒に弱いのですから気をつけて下さい。一応、仕事中なんですから」

 ラウトがミンヤックを諭すが、効果は全く見込めないようである。

 ちなみに頭のハゲは完全に治っていた。それだけでなく、育毛も驚異的な短期間で成し遂げられているので、つい最近まで皿のような大きさのハゲがあったことがウソのようである。


 仕事というのは、都の空き部屋に巣くった虫退治である。

 本来は住民らが行うのであるが、出稼ぎや異世界からの商人や役人たちばかりの区画では、エルフ世界の巨大な虫を退治することに腰が引ける者が多い。そのため、役場の人が持ち回りで虫退治を代行しているのである。


「しかし、先生。都合よく海峡通過の日に持ち回りの順番が当たりましたね」

 ミンヤックがさも当然とでも言うように「フン」と鼻を鳴らした。

「魔法を使えない弱者の特権というやつだ。優先権がオレにはあるんでな」

「弱者ですか」

 ラウトがジト目になる。

「そうだ、弱者だ。弱者はいいぞ」

 ミンヤックのご機嫌な笑い声が、蒸留酒の酔いのおかげで倍近く大きくなっている。



 さて、2人が到着した区画は、予想通り出稼ぎや異世界人たちばかりの集合住宅だった。ここも例に漏れず、巨大な木々の中に埋まっている。

 しかし、ラウトが住んでいる区画とは違いそれほど立体的ではなく、木登りして帰宅する必要はなさそうだ。


 今は平日の勤務時間中なので、住宅にいるのは家族ばかりである。ゴブリンやオーガの子供らが駆け回って遊んでいるのを横目で見ながらラウトがつぶやいた。

「ああ……なるほど。この区画には虫除けの精霊魔法がきつめにかけられていますね。いるのは小さい虫程度ですよ」


 子供らがミンヤックの姿を確認するなり駆け寄ってきた。

「ドワーフのおっちゃーん、こんちはー」

 少々なまりのあるエルフ語で挨拶してきた。子供らを見守っているママ集団もミンヤックに会釈する。


「オレもこの区画に住んでいるんだよ。都の中じゃあ、虫が少ないのはここぐらいしかないからな。夜、安心して眠れるってのは魅力的だよ」

 ミンヤックの話にラウトが、ああ……と納得する。

「そういえば1日中、虫除けの精霊魔法を自力でかけ続けるのは無理なのでしたね」

「まあな。首のアクセサリーを使っても、1日に1時間も使うと頭が痛くなるからなあ。ええと……で、どこの部屋掃除だい? ラウト」

 ラウトが杖を振って、空中に矢印を表示させた。

「こちらですね」



 その部屋は石造りでかなり古いものだった。ドアが閉められていて、外には引越し荷物とともに2名の魔法使いが途方にくれた顔をして待っていた。彼ら魔法使いたちは商用で訪れているようで、荷物の半分はその商品である。


 ラウトが杖を振って空中にディスプレーを表示させ、この部屋の中に巣くった虫を探査する。

 ほどなくして、くずれた草書体のひらがなのようなエルフ語で結果が表示された。

「あ……予想通り、スズメバチの巣ができたんですね。暖かくなると連中は巣作りを始めますから、運悪くこの部屋が選ばれてしまったのでしょう」

 ラウトが気楽な表情で魔法使いたちに告げる。よくあることらしい。


 猛毒持ちの蜂なので、それを聞いた魔法使いたちが震え上がった。エルフはこういった虫の毒にもかなりの耐性を持っているので、刺されても蚊に刺された程度にしか腫れない。しかしそうでないミンヤックや魔法使いたちにとっては、刺されたら即死レベルの毒ではある。


 好奇心で集まってきていたゴブリンやオーガの子供やその母親たちを、ラウトとミンヤックが遠くまで避難させる。魔法使いたちも避難したげな素振りであったが、そこは何かの意地が働いたのだろう、現場に留まった。

「ミンヤック先生。それでは虫除け薬を体に散布して下さい。それで間違って蜂に刺されたり、噛みつかれたりすることはなくなりますから」


「うむ」とミンヤックが背負っていた大きな袋から虫除けスプレーを1缶取り出した。それを魔法使いたちに向ける。

「おい、魔法使い。虫除けをかけるから、死にたくなければこっちへこい。そんな防御障壁を張っていても蜂には効果なんかないぞ」


 ミンヤックも自身に虫除けスプレーをかけ、袋から小さな土人形を取り出した。それをラウトに手渡す。

 ラウトが気楽な表情のままでミンヤックや魔法使いたちに告げた。魔法使いたちはまだ防御障壁を展開している。

「皆さん、準備はいいですね。一応、蜂が飛んでくる恐れがありますので、姿勢を低くしておいて下さい。では、いきますよ」


 そういって、ラウトが杖を軽く振った。杖の先から3つほどの星がきらめいて、ドアが自動で開く。

 たちまち数十匹もの手の平サイズの巨大なスズメバチの群れが、重低音な羽音を響かせて飛び出してきた。


 魔法使いたちは悲鳴を上げて地面に伏せるが、ラウトとミンヤックは平然としている。蜂は攻撃しようとしているのだが、何かに阻まれているかのように近づけないでいる。

 ハツカネズミほどの大きさがある口をガチガチと噛み鳴らして、何度もラウトたちに突撃を敢行してくる。さらには、ホバリングしながら尾の毒針から毒液を霧のように散布してきた。


 魔法使いたちが展開していた防御障壁はあっけなく蜂の群れに突破されてしまっていたが、虫除けスプレーの効果で刺されてはおらず、毒霧も弾かれているようだ。

 魔法使いの住む世界では、このような巨大な蜂は存在していない。そのため、防御障壁の術式が蜂を認識できていないようである。


 そのままラウトが杖をかざして術式詠唱をし、土人形を部屋の中に投げ入れた。

 部屋の中で何かが膨らむ音がして、蜂の羽音が急激に大きくなったかと思った次の瞬間、その羽音がしなくなった。


 ラウトが杖の先で部屋の中の様子を探る。

「終わりましたね。では、出て来いゴーレム」

 すると、片開きのドアをスルリとすり抜けて、巨大なゴーレムが出てきた。土属性なので、壁をすり抜ける能力があるようである。背丈は4メートルに達していて丸々と肥えている。

 その土の体は、巨大なスズメバチの巣を丸ごと取り込んでいた。巣の直径は3メートルはあるだろうか。

 巨大なスズメバチ群もゴーレムに突撃して刺したり噛みついたりしているが、ことごとく土の体の中に飲み込まれていく。ものの1分もしないうちに、全ての蜂がゴーレムの体の一部にされてしまった。


 魔法使いたちは、初めて見る異様な光景に口を開けたまま呆然としている。手の平サイズの蜂をゴーレムの体に吸収するような使い方は、魔法世界では考えられないのだろう。


 彼らの無事を確認してラウトがうなずいた。

「うん、取り込み終了。平日でしたら、このままレストランや喫茶店へ出荷するんですが、今日は忙しいですから難しいですね。このまま予定通りに対岸の森へ巣を移植しましょう、先生」


 ミンヤックがラウトに確認する。

「移植先の森の住民には了解を取れているんだな? ラウトよ」

「はい、先生。その代わり、この後で森でも虫退治のお手伝いをする約束ですが」

 ミンヤックも手馴れたことなのか、鷹揚にうなずく。

「まあ仕方がないな。じゃあ、予定通りそうしてくれ。このゴーレムは使い捨てだから、移植先の土台にでもしておけばいいだろう。次の日には土に戻っているからな」


「はい、先生」

 ラウトが杖を軽く振ると、また3つの星が輝いた。続いてつむじ風が巻き上がり、ゴーレムがそれに飲み込まれて空中に浮かんだ。そのままつむじ風に巻き上げられて上空へ飛び去っていく。


 ラウトはゴーレムが飛んでいった先には見向きもせずに、そのまま部屋の中に入った。

「まだ汚れていますね。せっかくなので掃除しておきましょうか」

 そう言って、杖をくるんと部屋の中で回す。星が2つ3つチカチカと杖の先で輝いて、風の精霊と水の精霊が呼び出された。結構な数である。

 それらが一斉に部屋の中を駆け回り始めた。部屋の内装も石造りで、机やイスなどもない。そのため、あっという間に掃除が終了した。


 見違えるようにピカピカになっているが、水の精霊が縦横に動き回ったおかげで、部屋中が濡れてしまっている。それを無視して、ラウトが魔法使いたちに微笑みかけた。

「お待たせいたしました。何かご要望がございましたら、役場までお知らせ下さい」

 目を丸くして、ラウトの見事な手腕に驚いている魔法使いたち。彼らを部屋に残して、ラウトとミンヤックが帰路についた。


「お。ちょうどいい時間だな。海峡越えが始まるぞ、見に行くぞラウト」

 はしゃいだ様子でミンヤックがラウトを急かし、再び人ごみのなかに突入していく。背中に大きな荷物を担いでいるので、はなはだ周辺の人たちに迷惑である。その分、後ろからついていくラウトは謝りまくりであるが。



 ミンヤックの強引な場所取りのおかげで、都の護岸までたどりついた時には海峡通過の直前だった。

 岬のようにこちらに向かって突き出している向こう岸が、急速に都に近づいてくる。ラウトもミンヤックの後ろにくっついてきて(正解だったかも……)と苦笑している。


 都の護岸の水中側には、すでに無数の水の精霊がいた。巨大で長大な透明蛇のような姿だ。そららが大群となって都を取り囲んでいて、その数はなおも増え続けていた。

 以前にラウトたちがパタン王国から帰国する際に乗った貨物船と同じ仕組みであるが、規模が桁違いに大きい。

 それらを使役しているのは、あちこちに立っている水上警察官たちである。


 迫り来る岬の周辺は水が激しく渦巻いているが、都は構わずに渦の最中へ突入した。

 ここでさすがに都が揺れた。観光客から歓声が上がる。岸辺にも大波がいくつかやってきて砕けて水しぶきを派手に上げていく。その向こうでは水上を警戒しているスレイプニル隊が、高速で都の周りを巡回しているのが見えた。


 揺れたのはその1度きりで、後は何も変化は起きなかった。岬は遠ざかっていき、対岸も徐々に遠くへ退いていく。

 いつの間にか蒸留酒をラッパ飲みしていたミンヤックが、ラウトに白くて大きな歯を見せて笑った。どうやら、袋の中身は酒とツマミだったようだ。

「うむ。今年も海峡越えは無事にやり終えたな。ラウト、このまま酒に付き合え」


 ラウトがため息をつく。

「先生……まだ就業時間中ですよ。それにこれから、蜂の巣を送りつけた先の森オサたちの虫退治をしないといけません」

 ミンヤックが少し不機嫌な表情になる。

「むう。今じゃないといけないのかね? ラウト」

「そうですね。今ですね。でないと都から出向くのに船を使わないといけなくなりますよ。今でしたら私の守護樹に乗って行ける距離です」


 ミンヤックが渋々合意した。

「わかったよ、ラウト。じゃあ、さっさと仕事その2を片付けるか。船の申請は今はちょっと面倒になってしまったからなあ」

 それは先生のせいでしょう……と思わずツッコミを入れたくなったラウトだったが、ここは我慢した。


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