レマックの実験
レマックが昔考えた調合メモを元に、80年熟成クルーグモルト、バージンカプシオイル、20年もの発酵豆腐、20年もの深海発酵チーズを集めに奔走することになったラウトであった。
でも場所が分からないのでコラールに頼んで、図書館で調べてもらうことになった。
そのコラールも、眉をひそめて疑いのまなざしをラウトに向けている。2人がいるロビーの奥にある司書室からは、疑いを超越して『排除すべきよね』と無言で訴える司書長のジト目姿が見える。今やラウト君の名前もブラックリストに登録されたようだ。
「ねえ、ラウトさん。精力剤なの、これ?」
検索用に送り出した数匹のフェアリーを見送りながら、コラールがラウトに聞く。ラウトが頭をかきながら困ったような顔になった。
「うん。薬師部って、精力剤や接着剤、虫除けに医薬品なんかを輸出用にも作っているんだ。かなりな評判だそうだよ。で、レマック先生が改良版を考案していたらしくて。その実験用に今回、薬剤や生薬を集めることになったんだ」
それを、冷ややかな目で見るコラール。
「そうね、仕事ですものね」
その検索の結果によると、材料は全てトリポカラ王国のあちこちにある薬草園や民間農園で調達できることが分かった。
今回は計6ヶ所の場所を調べたので、飛び回ったフェアリーも皆1回ずつ決めポーズをすることができ、とても満足している様子だ。
しかし、1匹だけ2回検索に成功したフェアリーがいた。彼は同じ決めポーズを2回繰り返すことについて、これでは芸がないと考え込んでいた。フェアリーの世界も色々あるようで、決めポーズを1つにするか2つ以上にするか、これは深い議論を呼びそうである。
ラウトとコラールが「そうなのか?」と首をかしげているところへ、セリアがちょっかいを出してきた。
「ねえねえ、ラウト君。その精力剤、誰がテストするのよ。まさかラウト君が実験台にされるのかな」
言葉に詰まるラウト。一呼吸おく。
「や、やだなあ。僕なんかを実験台にするわけないじゃないですか」
……が、一瞬悪夢が頭をよぎったのか、一瞬表情がこわばった。で、もう一呼吸おく。
「するわけないですよー」
と、乾いた笑いを浮かべる。
それがツボにはまったのか、セリアが「ぶ」と吹き出して、肩を激しく震わせて笑いをこらえている。
コラールも必死で笑いをこらえていたが、とりあえずマジメな表情になってラウトを励ました。
「大丈夫ですよ、ラウトさん。その際はドワーフの先生にやってもらえば解決しますから」
キョトンとしているラウトにセリアが付け加える。
「彼の神経波動は解析済みなのよ。ちょちょいのちょいで、どうとでも操ることができるから。対精神魔法障壁を作れないドワーフなんか、そこらの森アリより扱いやすいものよ」
このセリフで理解したラウトが蒼白な顔になった。
「ま、まさか、ミンヤック先生を精神系の精霊魔法を使って操るんですか? どうやって先生の波動を全スキャンしたんです」
コラールがいたずらっぽい顔でウインクした。
「ちょっとね。諸悪の根源は基本的にドワーフ先生の暴走でしょ。因果は巡るのよ」
ラウトが慌てて否定する。
「だ、だめですよ、コラールさん。それって完全に犯罪ですからっ。お願いですから止めて下さい」
あまりの必死さに、意表をつかれたコラールとセリアが互いの顔を見合わせた。エルフ世界の法はエルフに対して有効で、異世界の住人には適用されないのだが……ラウトはそれを知らないようである。
やがて、ため息をついたコラールがラウトに微笑みかけた。
「分かりました、ラウトさん。さっきのは冗談ですから、気にしないで下さいね」
セリアもニヤニヤしながらうなずく。
「そうそう。冗談だよ、冗談。精神の去勢なんてするわけないじゃない」
落ち着いた色合いの司書の制服姿でそう言われると、何となくそうなんだと納得してしまったラウトであった。
ラウトはその足で早速、王国各地の薬草園へ高速艇を飛ばして行って採集を開始する段取りになった。その間はテランがレマック薬師の助手を務める事になる。
華奢なテランがラウトの肩をがっしりとつかんで念をおした。
「寄り道なんかするなよ、ラウト。レマック先生の暴走はオレが何とか抑えてみるから、とにかく早く帰ってきてくれな」
ラウトも力強くうなずく。
「うん、任せておけって。高速艇は前に使ったことがあるから、できるだけ早めに切り上げて戻るよ」
さすがに超音速艇は使用する許可を得られなかったが、通常の高速艇は難なく使うことができた。あのマグロのような姿の帆のない船である。
以前に使用したことがあったので、ラウトが作成した飛行プランとプログラムは、高速艇のパイロットゴーレムを上手に運用させることができたようだ。
おかげであちこちの目的地をスケジュール通りに巡って素材を入手でき、日没までに最後の薬草園へ到着することができた。
前もって連絡しておいたので、薬草を持った現地の森オサが薬草園の入り口付近で待ってくれていた。
上手に高速艇を減速して川に浮かぶ薬草園に着陸し、そのまま船から飛び降りて森オサに礼を述べるラウト。
「急な要望を聞いてくださり、本当に感謝します。これで材料が全てそろいました」
森オサが守護樹に乗ったままで、穏やかな微笑を浮かべた。彼もこれまでの森オサと同様に市販の衣服は一切見につけておらず、木の皮にコケ、地衣類を器用に体にまとっている。
「いえいえ。レマック先生にはいつも世話になっておりますから、この程度の申し出は大歓迎ですよ」
そう答えてから、少し遠い目をした。
「……しかし、新しい精力剤ですか。確かに最近の若い者は何度も結婚したがりますからな。伝統的な精力剤では、子供を授かることが難しいのかもしれませんね」
薬草を受け取って、それをガラス瓶の中に押し込んだラウトが少し難しい顔になった。
「やはり2度目の結婚をした方は、伝統的な精力剤は効きにくいのでしょうか」
森オサが微笑みを崩さないまま、鷹揚にうなずいた。
「左様ですな。そういう話はよく聞きますね。我々エルフは精霊魔法に通じているだけあって、薬品に対する抵抗力がすぐにできてしまいますから。ですから我々エルフは長命でいられるのですが、こういった薬も効果がすぐに薄れてしまうのは考え物ですな」
ラウトが納得した様子でうなずいた。
「なるほど。確かに、この試作品がうまく機能すれば、子宝に恵まれる方も増えるかもしれませんね。レマック先生にはそう伝えておきます。ご協力重ねて感謝します。何か必要な資材などはありますか?」
森オサは微笑んだままで否定した。
「いえ。この森からの恵みで充分ですよ。ただ……そうですね。そろそろ下り酒の季節なので、都の酒蔵の銘柄情報がいただけると、楽しみが増えますな」
「分かりました。しばしお待ちを」
ラウトが早速自分の杖をかざしてディスプレーを空中に表示させ、都の酒蔵の情報をスキャンし始めた。
すぐに必要な情報がまとまったようだ。それを森オサの守護樹に転送する。
「今回参加する酒蔵と、出品する酒の銘柄、酒についての酒蔵のコメントに、この地域を通過するおおざっぱな予想時間をファイルにまとめてみました。参考になれば良いのですが、どうでしょうか」
森オサが早速ファイルを自身の守護樹から呼び出して確認する。満足した様子だ。
「うむ。良いまとめです。では、楽しみに待つとしましょう。この周辺にいる他のエルフにも伝えておきますよ」
「では」
と、ラウトが高速艇に戻って一礼した。そのまま高速艇が上昇して風の精霊に包まれたかと思うと、急発進して森オサの視界から消えた。素晴らしい加速である。
森オサも深い森の中へ戻っていった。薬草園に残るのはいつもの作業用のゴーレムたちだけである。
下り酒というのは、エルフ世界での大きなお祭りイベントの1つである。ちょうど冬に仕込んだ新酒が出来上がるのが今で、できた新酒を一斉に王国中の大きな町に船で輸送するのである。
エルフ世界では珍しく、どの船が1番先に目的地の港へ到着するかを予想する賭け事も行われ、国中が活気に包まれてにぎやかになる。
都に戻ると、早速レマックが他の薬草や薬剤と調合して薬を作り始めた。電子レンジが回り、油ナベや圧力ナベが音をたて、黒煙が立ち始めていく。
その騒々しい作業を手伝いながら、祈るラウトとテラン。
「どうか失敗しませんように」
かなり複雑な処理で、悪臭も延々と立ち込める。それでも、これまで見たこともないような技巧を駆使していくレマックに感心するラウトたちだ。新人役人にとっても勉強になることばかりである。
薬はその後1週間かけて完成したが、試食を誰にさせるかでやはり大騒ぎになった。
結局は通常の精力剤の品質検査で使う、出稼ぎトロルに服用させることになったのであるが……これといった違いは出なかった。
落胆するレマックたちだ。しかし、たくさんできたので試供品サービスとして精力剤のお得意様宛に送ることになった。
報告を受けたバランも苦笑している。
「そうか、期待したがダメだったか。まぁ、仮に成功していても手間がかかりすぎて、大量生産は難しいな」
さて……箱詰めされた試供品だが。貿易課の空間転移ゲートを介して、お得意様へ渡っていく。
ゲートの向こうで、坊主がそれを手にした。
「あ……これはいかんぞい」
手に持った瞬間に、そうつぶやく。すぐに試供品に魔法をかけてグチもこぼした。
「全く。エルフ世界の連中は自分たちの基準で全てを判断するからなぁ、困ったものだわい」
しかし死者の国宛と、魔法生物世界宛には、ちょっと考えて含み笑いをした。
「まあ……ここはいいか」
後日、その死者の国から喜びの返事が届いた。『オークの繁殖スピードが上がった、しかも遺伝している』という知らせが死者の国から。ついでに齢2万歳の2組の貴族夫婦に子供が産まれたとも。
一方、魔法生物世界を統治する3姉妹からも『こんな物騒な試供品は久しぶりで楽しかった』と、礼状が届けられた。
トリポカラ国王がこれを読んで、首をかしげる。
「おい、一体どうしたんだ? 確か、この試作品は失敗作だったのだろう?」
レマックは恐縮しているが、バランは笑って軽く言ってのけた。
「成分が伝統的な薬とは違いますので、種族によっては効果が出たのかもしれません」
喫茶店にはラウトとテラン、コラールがお茶を飲んでいた。もちろん、彼らには何も知らされていない。
コラールがラウトを元気づけている。
「元気出して下さいな。新薬って、ほら難しいんでしょ」
「うん、そうだね……ありがとう」
力なく笑うテランとラウト。
「ああ――この1週間は、何だったんだろう」
さて、さらに1週間が経過してミンヤックが戻ってきた。早くも二日酔いしている。
呆れるスタッフ。
しかし、頼まれていた道具は全て要求どおりの品質だったようだ。皆満足している。
バランがそれらを魔法処理させるために、今度はノーム世界と連絡を取り始めた。
その手続きを何となく不満げな様子で眺めているミンヤック。それでもラウトに訊ねられて、得意げに説明を始めた。
「当たり前だ。今だにトンカチでテンテン叩いて鍛えている、エルフ世界とは根本から違うよ。針状分子の向きまで揃えているから切れ味はすごいぞ」
しかしまだ酒臭いので、今日はそのままミンヤックは家へ戻っていった。後から彼の守護樹がついていく。
レマックは嬉しそうだ。
「お、今日は帰るか。うん、二日酔いでは仕事にならんものな。うんうん。ではラウト君、もう一つ実験を手伝ってくれ」
「えええ……」
夕方になり、ぐったりしたラウトが薬師部から出てきた。
守護樹に乗って、その帰りしなにミンヤックの部屋に差し入れを持っていく。
ここの集合住宅も巨木に完全に飲み込まれている。10世帯ほどが住んでいるらしく、30本ほどの守護樹が外で集まって、夕日を浴びながら何かザワザワやっている。
ミンヤックは頭痛がひどいらしく、ラウトの差し入れをありがたくもらったが……そのまま爆睡したので帰ることにする。
ラウトの家でも両親がラウトの激務に心配していたが、ようやくミンヤックが戻ったのを知りほっとしたようである。
すぐに夕食になった。やはり、発酵してドロドロになったものが食卓に所狭しと並んでいる。それを囲んで食べるラウト一家。壁際の空間にはニュースと各地の天気の映像が現れて流れている。
それを何気なく見ながら、ラウトが葉野菜の漬物をバリバリかじりつつ納豆状のものをすすり、父に話しかけた。
「そういえば、この間マンナールに行きましたけど、3時間ごとの天気予報じゃ不満だって言ってましたよ」
父も同じ意見らしく、肩をすくめてみせた。
「うん、要望がきているのは父さんも知ってるよ。でも、実現は難しいんじゃないかな。上司も難しい顔をしていたしね」
そう言って、ヨーグルトに何か浮かんでいるものを口に運んだ。
「そうだ母さん。ソン王国との国境付近のビハール湿原の調査は、あれから進んでいるのかい?」
母がモグモグしながら手を軽く振った。
「いいえ。遠いでしょ。それに国境近くだから何かと面倒らしいわよ。せっかくラウトたちが新しい薬草を見つけたというのにね」
ラウトは微炭酸の乳酒を飲んで微笑んだ。
「構わないよ。あれは不足した時のための代用だから」
「ただいまー」
姉が帰宅したようだ。「おかえり」と一同が応える。が、ラウトの顔を見るなり、姉が文句を垂れ始めた。
「こらラウト。あんたたちの薬師部、試供品の梱包がなってなかったわよ。おかげでお昼の時間が削られたじゃないの」
などなど、かばんを鏡棚に置いて上着を脱ぎながら、なおも文句を言い続けている。相当、時間を削られたようだ。
ラウトは、所々青い色がついているチーズをパンに乗せて食べようとしていたが、手を止めて謝った。
「え、そうなの? ごめん姉さん。ゴーレムのプログラムがうまくいかなかったのかな。明日からはミンヤック先生が復帰して、レマック先生も趣味に走ることはなくなるから安心して」
「まったく、そうでなくても下り酒の注文書を大量に仕分けして、郵送しなくちゃいけない時なんだからね」
そのまま食卓について、乳酒をあおった。
「ぷはー。うめえ。それじゃ、いただきまーす」




