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柊と南天

作者: 幾乃 葉

 年が開けて、初めて雪が降った日。

 神社の境内で、私は竹箒を手に立っていた。

 人が通るため、参道の雪はすでに除雪されているが、人の通らないところでは足首が埋まるくらいの雪が積もっている。

 寒いな、と思いながら、慣れた動作で参道を掃いていく。巫女の装束を着、手になじんだ竹箒で、掃き掃除。すっかり日課になってしまった。

 空はまだ薄暗い。当たり前だ、さっき日の出を迎えたばかりなのだから。

 今日は温かくなるだろうか、と考えたところで、緋色袴の裾を引かれた感覚がした。

 振り向くと、七、八歳くらいの幼い童子。しかし、その服は現代にそぐわない水干だった。

「あの」

 童子が口を開く。

「しんねんの、ごあいさつにきました」

 幼子特有の、可愛らしい声。可愛いなぁと思いつつ、ご挨拶ということは、神主に用かな、と頭の片隅で考えていた。

 ……部屋にいるかな。

 童子を客間に通し、ちょっと待っててね、と言い置いて私はある部屋へ向かった。

 この神社の神主がいるであろう部屋。しかし襖は開けっ放しにされており、中に人はいない。

 いや、いた。

 部屋の反対側、障子で仕切られた縁側で、寝ている人の影が映っている。

「ひ、い、ら、ぎ、さん」

 さん、のところで、障子をスパンと開ける。しかし、そこにいた神主はまだ寝ていた。

 だが、私は見逃していない。障子を勢いよく開けたとき、一瞬肩が跳ね上がっていたことを。

「…………狸寝入りするなバ神主」

 イラッとして、思わず足袋をはいた爪先で軽く脇腹を蹴る。うっ、と呻いて、神主──柊さんは、ようやく起き上がった。

「南天……もう少し大目に見てくれたって」

「お客様が来てるのに大目に見るもなにもないでしょう」

 え、と柊さんが固まる。次の瞬間には、傍らにあった眼鏡をかけてすでに部屋を出ようとしていた。

「南天、お客様と俺の分のお茶、よろしく」

 振り向きざまにそう告げると、私と色違いである若竹色の袴のすそをさばきながら、柊さんは足早に部屋をあとにした。

 この落差はなんなんだろう、普段の仕事もこれくらいきびきびやってくれればいいのに……

 思わずこぼれたため息。いけない、幸せが逃げてしまう。

 子どもなら茶菓子でもあれば喜ぶかな、と思いながら、炊事場へと足を向けた。


 失礼します、と客間の襖を開けると、柊さんと先ほどの童子が向かい合って座っていた。

「お茶をお持ちしました」

 そう言って、まずは童子の前に小ぶりの湯飲み、そして三色団子の皿を置いた。

「ありがとうございます」

 案の定、童子は団子に目を輝かせた。うん、可愛い。

 それから大ぶりの湯飲みを柊さんの前に置く。ちゃっかり自分のお茶を持ってきて隣に座った私に、柊さんはあきれたような目を向けてきた。もちろんそんなもの無視するが。

 柊さんは肩をすくめると、改めて童子に向き直った。

「今日はどうされましたか?」

 柊さんは穏やかに微笑んでそう問う。これがさっきまで縁側で惰眠をむさぼっていた人だとは到底思えない。

「はじめまして、かんぬしさま。しんねんのごあいさつにきました。えっと、ぼくはひさめといいます」

 ぺこりと童子、もとい氷雨くんが頭を下げる。

 あいさつは礼儀正しいし、和装もしっかりしている。しかし三箇日はもうとっくに過ぎているのだ。

 氷雨くんは何者?

 柊さんをちらりと見上げるが、気づいてくれない。そのうちわかるかな、と思い、今は深く考えるのをやめた。

「氷雨くん、はじめまして。神主の柊といいます。こちらはこの神社に仕えている巫女の南天」

 柊さんに紹介されて、私も頭を下げる。

 今年もよろしくお願いします、とお互いに言い合い、それからは雑談に興じた。


「なんてんさまのめもと、ぼくとおそろいですね」

 桃色の団子を飲み込んだ氷雨くんは、不意にそんなことを言い出した。

「目元?」

 思わず、自分の目元に手をやる。氷雨くんの目元を見て、氷雨くんが何を言いたいのか私はやっと理解した。

「このお化粧ね」

 私は、目元に朱色で化粧をしている。一般人でこの化粧をしている人はそうそういない、まして子どもなら尚更。

 氷雨くんの化粧は透き通るような水色だった。

 珍しいねー……と口にしようとしたとき、何かが記憶を掠めた。

 もう一度、氷雨くんの目を見る。今まで気がつかなかったが、その瞳は群青色だった。

 私がずっと氷雨くんに抱いていた違和感の正体が、ようやくはっきりした。

「氷雨くん、もしかして……雪の精?」

 そう、いつぞや挨拶に来た雪の精にそっくりだった。もっとも彼はもう少し大人びていたが。

「…………えっ今頃」

 それに答えたのは氷雨くんではなく柊さんだった。おかしい、何故だかすごく馬鹿にされている気分。

「あっごめんなさい! いいわすれてました!」

 氷雨くんがあまりに申し訳なさそうに謝るから、気にしないでと顔の前で手を振った。

「氷雨くんは気にしなくていいですよ、南天が鈍感なのが悪いんですから」

 隣から聞き捨てならない言葉が聞こえてきたが、ひとまず無視を決め込む。氷雨くんが帰ったら箒の柄で叩けばいいか。

「なんてんさま」

 どうして、めもと、あかいんですか?

 こてん、と首をかしげて尋ねられた。……うう、可愛いけど、これは、

「ああ、それは私が命じたんです」

 言おうか言わまいか迷っていたら、隣から答えが聞こえた。

「っえ、柊さん、それは」

「貴女は黙って聞いてなさい」

 さらりと反論を封じられる。命令されたらさすがに逆らえないのだ、何故なら私は巫女で、柊さんが神主だから。

「昔、神主が私に代替わりしたころです」

 柊さんは目を細めて語り出した。

「当時の私はまだ若く、神主のいろはのいの字もわかりませんでした。そしてその頃は、多くの巫女がこの神社に仕えていたのです」

 巫女は全員が同じ格好なので、もちろん私には誰が誰なのか、まるで区別ができませんでした、と柊さんは冗談めかして笑った。

 ……このあと柊さんがなんと言うか、容易く予想できてしまう自分が嫌だ。

「ある日、私とあまり歳の変わらないような巫女を見つけました。その巫女は新米だったらしく、しょっちゅう失敗をしては泣いて目元が赤くなっていました。

 しかしその巫女は一生懸命で、神に対する敬意もちゃんとありました。だから、私はその巫女を自分のそばに置いたのです」

「そのひとが、なんてんさまなんですか?」

 柊さんは笑って、その通りです、と氷雨くんの頭を撫でた。

「南天とほかの巫女を区別できるように、私が目元に朱を入れるよう言ったのです」

 その話を、氷雨くんのお父さんお母さんにもしたから、真似をして、君にも水色を入れたのでしょう。

「南天?」

 私はうつむいていた。顔が火照っているのがわかる。

 だって、昔泣き虫だったこととか、柊さんがずっと覚えてくれていただとか、恥ずかしい。

 もう顔上げられない、無理。もうこの話題も終わるだろうから、それまでの辛抱だ。自分にそう言いきかせて、ひたすら畳とにらめっこする。

 しかし、最後に爆弾が投げられた。


「じゃあ、なんでなんてんさまは、まだめもとをあかくしているんですか?」

 ――今この神社には、巫女は一人しかいない。


 え、と柊さんがわずかに声をあげた。隣でかすかに身じろぐ気配がする。

 氷雨くんは悪気があって尋ねたわけじゃない。それは私も柊さんも十分わかっている。それでも、これはかなり答えにくいことだった。

 混乱しながらも脳を回転させる。どうしよう――

「……私が、言ったんですよ。

 その朱色は似合うからずっと、って」

 思わず、顔を上げてしまった。珍しく赤く色づいた頬をしている柊さんと、ばっちり目があって、慌てて目を反らす。

 あ、私も顔赤いんだ、と今更思い出すがあとの祭りだった。

 ほら、貴女も理由があるんでしょう、とそっぽを向いたままの柊さんに言われる。普段通りの口調だったが、その耳は赤くなっていた。

 私は、意を決して口を開いた。

「気に入っているの、この朱色」

 柊さんに言われて始めたことだけど、私も気に入ってるから、今更やめられない。

 それだけ言って、また目線を落とした。たったこれだけのことなのに、さっきとは桁違いの恥ずかしさだった。

 氷雨くんはというと納得したようで、ありがとうございました、と律儀に頭を下げ、それから白の団子をほおばった。


「きょうはおじゃましました」

 あれから雑談をして、私たち三人は今、鳥居の近くに立っていた。

「こちらこそわざわざありがとうございました。ご両親にも、柊がよろしく言っていたとお伝えください」

 柊さんは心底嬉しそうに、氷雨くんの頭を撫でていた。……氷雨くん困惑してる、可愛い。

「それじゃあそろそろ、」

「ごめんちょっと待って!」

 いけない、忘れそうだった。慌てて『手みやげ』を持ってくる。

 その『手みやげ』を見た氷雨くんは目を丸くした。

「……ゆきうさぎ」

「そう、雪うさぎ。氷雨くんのところなら溶けないだろうから、よかったら持っていって」

 木の板にのっている雪うさぎは、耳はヒイラギの葉、目はナンテンの実でつくってある。

「……かわいい」

 ありがとうございます、と言った氷雨くんの目は、今日一番の輝きだった。

「氷雨くん、また来てくださいね」

「いつでも歓迎するよ!」

 私たちの言葉に、またきます、と嬉しそうに答えて、氷雨くんはその場から浮かびあがった。

 雪が降るように、ふわふわと、氷雨くんと雪うさぎは上昇していく。その手が遠慮がちに振られたのに、私たちはちゃんと気づいた。

 私たちは、氷雨くんの姿が見えなくなるまで、並んで手を振っていた。

「……いつのまにあの葉とったんだ」

 手を下ろすと、柊さんが若干不機嫌そうに訊いてきた。もう口調戻ってる、早い。

「柊さんが寝ているときですよ」

 え、気づいてなかったんですか、と少しからかってみる。しかし、それには乗ってくれなかった。

「どこから」

「てっぺんだから……髪の毛?」

そう答えたら、ハゲるわ! と叫ばれた。非常に納得がいかない。

「たかだか髪の毛二本じゃないですか! しかも私だって二本とったんですよ」

 思わず口調がきつくなってしまう。本当、なんなんだこの人。どうしてこんな人が神主なんだ、と時々考えてしまう、それもかなり真剣に。

 だから、まあ許そう、と言われた時は驚いた。しかし、

「あの雪うさぎは俺ら二人がいて初めて完成するものだしな」

 柊さんが突然私の肩を軽く引き寄せた。そう、柊さんが仕返しをしないはずないのだ。

「気安く触らないでください」

 バシッと肩に乗っていた手を払いのける。その手が意外と骨張っていて、あ、男性の手だ、とか一瞬でも考えてしまったなんて絶対認めない。

 ……ああ、なんかもう生理的に無理なのかもしれない、この人。だって心臓が痛いほどうるさいのだから。

「その割には耳赤いよ、南天」

「──このっ、」

「ん?」

「この、バ神主!」

 げしっ「痛っ!」

 ……思わず柊さんの足を蹴ってしまった。勢いあまって、というやつだ。

「……もういい寝る」

 柊さんがふてくされてしまった。大の大人なのに、格好悪い。

 なんと言って返そう、と私はしばらく考えていたが、結局、ありきたりなものしか思い浮かばなかった。

 ──私は、本当は柊さんを、いつか当たり前に励ましたり、支えたりできるようになりたい。今はまだ、意地を張ってしまうけれど。

 私は息を吸いこんで、口を開いた。

「仕事してください」


 ひらひらと雪が舞い始めた、神社のやしろの近く。

 深緑の葉を持ったヒイラギの木と、真っ赤に熟れた実が鈴なりになっているナンテンの木が、寄り添うようにして立っていた。


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