サブスクから感じる虚しさ
レンタルビデオ店愛好家としては恥ずべきことだが、先日、某サブスクに入会して映画やドラマ見放題の権利を有するに至った。近所のレンタルビデオ店が閉店したためである。
一抹の寂しさを覚えながらも、ディスクの出し入れという細心の注意を要求される動作から解放され、ボタンひとつでなんでも見放題という貴族的感覚に身を任せて週末を迎えた。
先月柄にもなく旅行になど出かけた反動から、当面休日は引きこもって映画漬けの時間を満喫しようと心に決めていたのである。
公共料金の支払いに、掃除、洗濯、食料の買い出しといった雑務を手早く済ませ、家に閉じこもる準備は完了である。スマホは別の部屋に隔離し、映画を観ながら自堕落に時間を食い潰す贅沢を味わうべくリモコンのボタンを押した。
目当ての作品はあらかじめ選出していたので、それらを順に観ていくことにした。月額1000円ちょっとでこれだけの作品を観られるなんて良い時代になったものだと思っていたが、思わぬ結果が待ち受けていた。
目当ての作品を順々に観ているうちは良かった。
しかし、持ち玉が尽きると、次は何を観ようかと検索をかけることになる。これが一向に決まらない。優柔不断な性格と言われてしまえばそれまでだが、選択肢が多過ぎると何を選んでもどこか不安が付き纏う。他に観るべきものがあるのではないか、もっと好みに合うものがあるのではないかという声が聞こえてくるようだ。
これがレンタルビデオ店で借りてきた作品なら諦めがつくのだ。これと決めて借りてきたものであり、それを観る以外の選択肢はない。しかし、定額見放題の場合、すぐに別の選択肢に手を伸ばすことが可能である。これが良くない。ある作品を観ていても、チラチラと他の作品のことが気にかかる。すぐに他の作品に切り替えが可能であるという状況が、一つの作品への集中力を削りにかかってくる。
なんだが気疲れしてしまい、私はついにテレビの電源を落とした。
おかしな話だが、サブスクに入会して膨大な選択肢を得たはずなのに、却って以前よりも作品に触れる時間が減ってしまった。まず、何を観ようかと検索をしている時間が虚しい。何か文字を入れると予測検索でずらっと作品が示される。すると、目の前に絵品を並べられた幼児のような気持ちになる。子供扱いされている、というよりも馬鹿にされているような気分になる。
あなたが気に入りそうな作品、という表示も不躾で野暮な感じがする。
消費生活に没頭させることで頭を使わない人間を量産しようとする社会の圧力のようなものを感じ、人生に対して悲観的な気持ちになる。流石にこれは誇大妄想である。
気分次第で簡単に別の作品に切り替えられる、というのはある種の特権のように思えるが(人間関係でこれが出来るの人間を私はいつも悔しい思いで眺めている)、同時に何もかもが自分のものになっていないような手応えのなさを感じてしまう。
映画館で映画を観る、ソフトを買うまたはレンタルするというのは、永続的にしろ一時的にしろ、然るべき対価を払うことで作品を自分のものにしている感覚を得ることができる。それが作品が自分の身になっている気持ちに繋がっていると感じる。結果がどうあれ、選択し、対価を払って向き合ったものは何かしらの爪痕を残してくるように思える。
この当たりの感覚がサブスクだと希薄になるように感じる。他人の家の様子を外から覗き見ているような、他人事として作品に触れているような気分になるのである。一口に言えば、虚しいのである。どれだけの時間を費やしても、全てが上滑りし、後にはなにも残らない。
何か良いものを観たという充実感がドンドン遠のいていく危機感を覚え、私はBlu-rayソフトを買いに走った。話題になっていることは知っていたが、劇場で観る機会を逸していた作品だ。
観賞後に後悔した。この出来なら、せいぜい定額見放題で観るのが正解だった。終わり




