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第1章:10歳、最初の壁

第1章:10歳、最初の壁


 土の匂いがした。


 湿った大地をかき混ぜるような、どこか懐かしい匂い。青木幸吉は、目を開けた瞬間にそれを感じた。


 視界に広がったのは、木と土でできた粗末な家。低い天井、ざらついた壁。そして――自分の小さな手。


「……十歳、か」


 口から出た声は、明らかに幼い。だが思考は、前世のままだった。


 (左官、やってたな……)


 コテの感触、壁を均す音、乾く前の土のわずかな変化。すべてが身体に残っている。


 外から怒鳴り声がした。


「おいガキ! 水、遅ぇぞ!」


 幸吉は立ち上がる。身体は軽いが、動きに無駄が多い。まだ“この身体”は慣れていない。


 外に出ると、数人の男たちが土をこねていた。裸足で踏み、藁を混ぜ、水を足す。典型的な土壁の下地作りだ。


 だが――


 (雑だな)


 幸吉は一瞬で理解した。


 水の量がバラバラだ。藁の長さも揃っていない。混ぜ方も均一じゃない。


 これでは、乾いたときに必ず歪む。


「水だ!」


 桶を差し出すと、男は乱暴に受け取り、そのまま土にぶちまけた。


 ぐちゃ、と嫌な音がする。


 (ああ、これ割れる)


 確信だった。


 乾燥収縮。水分が抜ける過程で体積が減る。そのとき、密度が均一でなければ応力が偏る。


 結果――ひび割れ。


 幸吉はしゃがみ込み、土を指で触る。


 べたり、と重い。


 (多すぎる)


 この状態で塗れば、乾燥が遅れる。内部と表面で乾き方が違い、さらに割れやすくなる。


「おい、触んな!」


 怒鳴られる。


「すみません。でも……これ、水多いです」


「はぁ?」


 男は眉をひそめる。


「乾くとき、割れます」


 一瞬、沈黙。


 そして、どっと笑いが起きた。


「何言ってやがる、ガキが」

「壁はな、乾けば固ぇんだよ」


 幸吉は何も言わない。


 (言葉じゃ通じないな)


 なら、証明するしかない。


 その日の夕方。


 幸吉は余った土を少しだけもらい、裏で小さな壁を作った。


 一つは、現場と同じ配合。


 もう一つは、水を減らし、藁の長さを揃え、均一に混ぜたもの。


 手の感覚だけで分かる。粘り、重さ、まとまり。


 (これならいける)


 塗りは粗い。子供の身体では力が足りない。だが“違い”を出すには十分だった。


 三日後。


 現場は騒ぎになっていた。


「なんだこりゃ!」


 壁に、無数のひびが走っている。細かいものから、大きく口を開けたものまで。


 乾燥のムラ。収縮の差。


 予想通りだった。


 幸吉は、黙って自分の作った小さな壁を指さす。


 そこには――ひび一つない壁があった。


「……おい」


 職人の一人が近づく。


「これ、お前がやったのか」


「はい」


「なんで割れてねぇ」


 幸吉は少し考え、言葉を選ぶ。


「水が多いと、乾くときに縮みすぎます。中と外で乾き方が違うと、引っ張られて割れます」


 男たちは黙る。


 理解しているわけではない。だが、“結果”は目の前にある。


「……じゃあ、どうすりゃいい」


 初めての言葉だった。


 教えを乞う言葉。


 幸吉は立ち上がる。


 小さな身体で、しかし確かな目で。


「まず、水の量を揃えます」


 その瞬間――


 ただの子供だった存在が、“職人”に変わった。


 この日、幸吉は知る。


 技術は、勘ではなく――


 再現できてこそ、価値がある。


 そしてこれは、まだ始まりに過ぎない。


 彼の最初の壁は、ただの土ではなく――

 “常識”にひびを入れる一撃だった。

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