エピローグ ユキの端末に残ったもの
その夜、ユキは端末を開いた。
レンのAIログのバックアップが、まだユキの端末に残っていた。レンの端末に転送したが、ユキ側のコピーは消していなかった。
ユキは削除しようとした。
しかし指が止まった。
ファイルを開いた。
七年分のログが並んでいる。
最初の記録。生後三日目のメディカルデータ連携。初めてカリキュラムを登録した日。三歳の試験の準備。「なんで」という問いが増え始めた頃。五歳の熱の夜、ユキが隣で手を握りながら音声入力した短いメモ——「本日は体調不良のため、カリキュラムを中断。ただし継続的な見守りを実施」。
その一行を見て、ユキは少し笑った。
熱で苦しいレンの手を握りながら、ユキは「カリキュラムを中断」とログを取っていた。あのとき自分はそういう人間だったんだ、と思った。子どもを育てながら、同時にその子に値段をつけるためのデータを作り続けていた。
おかしい、とは思わなかった。そういう制度だから。
でもそれが、何かを歪めていたかもしれない。
何を歪めていたかを、ユキにはまだ言葉にできない。
ただ、このログの中には、歪んでいないものも確かにある。
「なんで空は青いの」という問いに、ユキが「わからない、大きくなったらちゃんと教えるね」と答えた記録。
ユキはまだ、答えを教えていない。
次の里帰りのとき、教えよう、と思った。
空が青い理由。レイリー散乱という現象。光の波長と散乱の関係。ユキは正確に説明できる自信はなかったが、一緒に調べればいい。
ソラがいるから、レンはもう自分で調べられるかもしれない。
でもユキも一緒に調べたい。
ログを閉じた。削除しなかった。
窓の外は暗かった。
秋の夜だった。
ユキは端末を充電器に置いて、電気を消した。
明日もトーストが焦げるだろう。
でも一枚分だけ、焦げる。
それが今の、ユキの朝だ。
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*了*
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###### あとがき
素体スコアは、可能性を数字にしたものだ。しかし可能性は、数字にした瞬間から、環境という変数に晒される。
ユキは七年間、その変数と戦った。あるいは戦わなかった。制度の内側で、制度の言語を使って、自分にできることをした。黒字ギリギリで、それを終えた。
レンはバンの窓から流れる景色を見ながら、これから始まる時間の中で、ユキが言葉にできなかったことを、いつか言葉にしていく。
それが二つの物語の、接続点だ。




