第3話 始まり
「……日本語…?」
瑞希は動けなかった。
口から零れたのは、十数年前に心の奥底においてきた、故郷の言葉。
彼女の脳内で、佑真が発した言葉の意味が直に届く。
この世界の誰もわからない、そしてこの場所で誰も発することのない言葉。
発音、抑揚、選び取られた言葉一つ一つが、遠い故郷の記憶を鮮明に呼び覚ます。
その時、観察室の扉が開き廊下の蛍光灯を遮るように、佑真の取り調べをしていた男が立っていた。
瑞希は一瞬で研究員の顔に戻った。
彼は先程佑真の頭部に装着してエラーを吐いたデバイスを手に持っている。
瑞希のそばへ歩み寄り、デバイスを台の上に静かに置いた。
「やはり駄目なようだ」
男はそう告げた。
深く息を吸い込み、冷静さを取り戻しながら足元のキャリングケースに手を伸ばした。
ケースを開き、中から新たな装置を取り出す。
それは台に置かれたデバイスよりも遥かに小型で、シンプルなデザインだった。
「これを使ってみますか」
瑞希は機械的に男へ提案した。
「これは?」
「これは開発中の新型デバイスです。従来のシステムに加えて、音声解析の他に脳波パターンを組み合わせた複合解析方式を採用しています」
男は興味深そうに新型デバイスを眺めたが、手は出さなかった。
「使用方法を」
「あなたと対象者がデバイスをそれぞれ装着します。その後、ペアリングするだけです。使えばわかります。私が設定しますので」
男は頷く。
「よろしい。だが早急に」
瑞希は新型デバイス『TLD Mk.2』を持ち取調室へ向かった。
取調室の奥、机の向こうの佑真へ歩み寄り、男に背を向け屈んだ。
佑真の側頭部にデバイスを装着し、デバイス横の小さなパネルを操作しながら佑真の耳元へ、僅かな吐息とともに小声で囁いた。
「あなた、日本から来たのね…彼に言っちゃダメよ。殺されちゃうわ」
言わずにはいられなかった。
瑞希の過去がそうさせた。
佑真の顔が一瞬強張ったが恐怖でそれすら消え去った。
日本語?殺される?佑真の頭に衝撃が走る。
何とか平静を取り戻し、何もなかったかのように目を伏せた。
男は聞き逃さなかった。その言葉を。この世にはない言葉を。
だが表情は崩さない。まるで何も聞いていないかのように。
瑞希の手際がよく、ペアリングはすぐに終わった。
「準備できたわ」
瑞希の合図で男が佑真に話しかける。
「何を言っているかわかるか?」
佑真の脳内にはっきりと意味が伝わった。
「は、はい…わかります…」
「そうか。私は、地方治安局外事課1等調査官のレアン・フォルクだ。お前の取り調べを担当する」
男もといレアンは取り調べを開始した。
「お前は何者だ?どこから来た?」
「佐伯佑真と言います。どこから来たかは覚えていません。ひ、光の中からあの草原に落ちたのは覚えています…」
『殺されちゃうわ』という瑞希の言葉が耳から離れず、咄嗟に取り繕った。
レアンは淡々と尋問を続けた。
「瑞希、早くおいで」
「瑞希、ご飯できたわよ」
観察室で1人、過去においてきたはずの言葉が瑞希の脳内で反芻していた。
優しく、温かい、それでいて力強い父と母の声とともに。
観察室のドアが開き、レアンが相も変わらず無表情で入ってくる。
瑞希は我に返り顔を向ける。
「君に確認したいことがある。奴は異界人の可能性がある。いや、私はそう確信している。なぜ異界人の言葉を翻訳できるのだ?」
「機密事項です」
「そうか」
レアンはやはり無表情だったが、どこか余裕のある返事を残して戻っていった。
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