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徒花葬送歌〜橘一郎の遺言〜

作者:
 1999年10月21日
とある作家が、100年という長過ぎる生涯に幕を降ろした。

後に彼の遺体を納めた納棺師の話では、作家の体はカタギの人間とは思えないほど傷だらけであったという。

左の指は親指と人差し指が、原型を留めているだけであった。

小指は、根本から根こそぎ失われており、
薬指は第一関節から上がなくなり、中指は薬指より短くなっていた。

腹部から胸にかけては、手術痕が何本も刻まれており、背中は盛り上がったみみず腫れの痕が何本も刻まれており、その作家の人生の凄まじさを物語っていた。

しかし、幾重もの皺と共に額から右頬にかけて、縦に入った傷跡が刻まれた死に顔は、安らぎに満ちたものであったという。

その作家の名は橘一郎といい、自身の戦争体験を綴った著書「僕たちの戦争」や、主従関係にある男女の悲恋を描いた名作「月とスッポン」等の名作を生み出し、数々の文学賞を受賞した偉大な作家であった。

体の傷の数々は、太平洋戦争時に反戦を訴える行いをした事で、旧日本軍の反感を買い折檻を受けた時や、空襲を受けた際に子供を庇って出来たものだと生前の彼は、メディア出演の度に、語っていた。

その代表的な出典元は、1977年に出演した「瑠美子の部屋」である。

彼が一人で銭湯に入っていた際に、ヤクザが大勢入ってきたそうだ。「怖いな」と思いつつ湯船に浸かっていたらなんと、自身の数々の傷跡が刻まれた体をみたヤクザ達に絡まれたのだという。それも、何故か名のある組の大親分に間違われ、背中を洗い流してもらったという。

そのエピソードが話題を呼び、お茶の間を賑やかせた。

1999年の2月に橘氏は、最期の著書「徒花葬送歌〜橘一郎の遺言」にて自身の生涯を赤裸々に綴った。

明治、大正、昭和、平成と四つの時代を駆け抜けた作家の最期の作品は、大ベストセラーとなり1000万部を突破した。

それを最後に橘氏は筆を折り、有終の美を飾った。


橘氏が死んだ同日に、とあるロックバンドの新しいアルバムが、解散前最後のアルバムとして銘打って発売された。

一部の者は、そのロック過ぎる生き様を貫いた作家の生涯をロックバンドの最後のアルバムにあやかって、「生ける伝説」と称し、その死を悼んだ。

以下は徒花葬送歌の本編である。
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