第7話:もうひとりの妃と、真夜中の手鏡
夜。後宮の廊下に風が走り、紙灯籠の火が揺れた。
清蘭は静かに芙蓉妃の寝所に向かっていた。
背には、鏡──それも、“特製の手鏡”が一枚、布に包まれている。
「やはり……私の疑いは間違っていなかった」
侍女・翠蘭が書き残した「双」の一文字。
それは、“双子”であることを示していた。
清蘭は、芙蓉妃──いや、“芙蓉を名乗る女”の顔を見つめながら問いを放った。
「妃様。あなたは、何者ですか?」
女は微笑んだ。
「芙蓉です」
「そう……それなら、この鏡をのぞいてください」
差し出された手鏡。
それは、通常の鏡ではない。“冷鉱石”を研磨したもので、反射の質がわずかに異なり、
生薬を摂取した者の瞳の変化が微細に映る。
女が鏡を覗き込むと──その瞳に、一瞬、光の滲みが現れた。
「……あなたの瞳孔は、微細に縮んでいます。
それは“安神香”と呼ばれる鎮静薬を、日常的に用いていた証拠。
本物の芙蓉妃は“薬を一切摂らない”ことで知られていました」
女の顔から、すっと笑みが消えた。
「──まさか、鏡で見抜かれるとは思いませんでした」
その口調も、僅かに変化していた。
冷たく、整いすぎている声音。そう、彼女は“作られた妃”だったのだ。
「あなたは……?」
「芙蓉の双子の姉、蓮珠と申します。
妃の影として育てられ、必要なときだけ交代させられていた。
あの方が皇子に恋をしたと知ったとき……私は初めて、彼女に嫉妬した」
蓮珠は、鏡をそっと伏せた。
「芙蓉は甘すぎた。後宮では、想いなど弱さでしかない。
あの密書が出回った日──私が入れ替わり、代わりに“仮死薬”を飲んだ。
そして、芙蓉を─“消した”のです」
清蘭の眉がわずかに動く。
「では、翠蘭が見たのは……あなたが芙蓉妃を毒殺するところ?」
蓮珠はかすかに笑った。
「ええ。でも、彼女には話せなかったでしょう? 声を封じたから」
その瞬間、蓮珠が懐から細い針を取り出した。
「あなたも、鏡で見抜くような目を持つ限り、後宮には不要です」
だが、その手は振り下ろされる前に止められた。
──からんっ!
床に転がる針。蓮珠の背後に、朱凌が立っていた。
「……芙蓉は、生きている。君の手は届かなかったよ」
朱凌の懐から、一通の手紙が差し出される。
「これは芙蓉が残した“本物の密書”。君の罪を明らかにする証だ」
蓮珠の顔が蒼白に染まる。
清蘭はそっと言葉を添えた。
「影であっても、“誰かを傷つけて良い理由”にはなりません。
あなたが羨んだ芙蓉妃の想い──それは、この後宮で最も“強い”ものでした」
静かに涙を流し、蓮珠は手を下ろしたのだった。