第6話:血に染まる髪飾りと、沈黙する侍女
蓉妃の仮死から三日後。
後宮の静けさは表面だけのものとなっていた。
「今朝未明、朱凌殿下の侍女──翠蘭が倒れているのが見つかったそうです」
春琴が告げたのは、清蘭が薬草の調合をしている最中だった。
「倒れていた? 死亡ではなく?」
「ええ……ですが、奇妙なことに“喋らなくなった”んです」
「声を出さないのではなく、“出せない”?」
「はい。太医も喉に異常はないと言っていました」
清蘭は着替えもせず、そのまま現場へと向かった。
翠蘭が横たえられていたのは、朱凌の側室が使っていた離れの離宮。
彼女は目を開けており、意識もある。だが、声を出せず、筆も持てず、ただ震えていた。
「唇がかすかに裂けている……無理に何かを叫ぼうとした痕跡。
舌の裏に針傷。──これは“刺針毒”の痕ですね」
清蘭は翠蘭の口元をそっと開け、丁寧に観察する。
「刺針毒?」
春琴が首を傾げる。
「極細の金属針に仕込まれた毒を、無理やり口に含ませる手法です。
舌下の粘膜から吸収され、声帯の神経を一時的に麻痺させる。
致死性は低いけれど、言葉を“奪う”には十分です」
春琴は眉をひそめた。
「じゃあ……誰かがこの侍女の“口を塞いだ”んですか?」
清蘭はうなずいた。
「彼女は、“何かを見た”。それを誰かに告げる前に、沈黙させられた」
そして、もうひとつ。
翠蘭の枕元に置かれた、血に染まった髪飾り。
金細工の華やかな細工に、滴るような紅。
それはまるで、意図的に“見せつける”ように置かれていた。
「この髪飾り、芙蓉妃のものですね。先日まで彼女の髪に挿されていたのを覚えています」
「じゃあ、侍女は妃様に関する何かを……?」
清蘭は首を横に振った。
「妃様を陥れるためなら、髪飾りなど捨てずに“持って逃げる”はず。
けれど、これは“置かれていた”。つまり、脅し。『見たことを喋れば、次は主がどうなるか分からない』という……」
春琴の顔がこわばる。
「それって、貴妃の仕業……ですか?」
清蘭はしばし考えたあと、小さく首を振った。
「まだ分からない。でも、これは明らかに“犯人が焦っている証拠”。
本来なら証人を完全に消すはず。それができなかった──“何か”が、犯人を急がせてる」
そのとき、翠蘭の目がわずかに動いた。
視線は、机の上の墨壺へと向かっている。
「……書きたいんですか?」
清蘭が訊ねると、彼女は必死に瞬きを繰り返した。
清蘭はすぐに薄墨と筆を手にし、彼女の手に握らせる。
震える手で、翠蘭は紙にひとつの漢字を書く。
──「双」
「……“双”?」
春琴が困惑した顔をする。
だが清蘭の目が鋭く光った。
「“双”──双子、二重、重ね。
もしくは、同じ顔の二人が存在する。……“替え玉”か─!」
その瞬間、すべての謎が一本に繋がった。
「芙蓉妃は本当に“仮死”だったのか……それとも、彼女を騙った“もう一人”が?」
静かな薬苑の空気が、突如として緊張を帯びた瞬間だった。