第2話:死人の血と、嘘つきの鼓動
「──妃様、第二寵妃が亡くなったそうです!」
いつものように薬草の整理をしていた清蘭の元に、侍女・春琴が駆け込んできた。
「死因は?」
清蘭は手を止めずに訊ねた。
反応は薄い。驚かない。それが“薬妃”としての彼女の日常。
「第一発見者の侍女が言うには、ベッドの上で冷たくなっていたそうで……太医の診断も、“心肺停止”だと……」
「その太医、いつ来たの?」
「……一刻前だそうです」
清蘭は一拍置いて、ふぅとため息を吐いた。
「じゃあ、行きましょう。死体を見るのが私の仕事だなんて、本当に市井に居たころから出世したものだ」
薬師から妃へ、妃から半分太医へ──
後宮とは、ある意味で“役割の再定義”の場らしい。
第二寵妃・芙蓉の部屋に入ると、部屋は不自然なまでに静かだった。
御簾の中、布団に寝かされた芙蓉妃はまるで人形のようだった。
顔は青白く、唇は紫色。胸は上下せず、冷たい香油がまだ額に残っていた。
「……なるほど」
清蘭は膝をつき、脈を取り、手首の柔らかさを確かめる。
「冷たい、けど……まだ柔らかい」
死後硬直が始まっていない。
体温も完全には下がっていない。
つまり──これは“まだ死んでいない”。
「春琴、紙を。脈は微細、呼吸もほぼ停止……でも、これは“仮死状態”」
春琴が目を丸くする。
「仮死……って、死んだように見えるけど、生きてるってことですか?」
「ええ。生薬の中には、心拍や呼吸を著しく鈍らせるものがある。たとえば“烏頭”や“附子”を極少量、煎じて飲めば……」
清蘭は布団をめくり、口元に細い金針を差し込む。
「──ほらね、瞬きした」
確かに、芙蓉のまつ毛が微かに震えた。
その瞬間、部屋の外から小さく「あっ」と声がした。
清蘭が振り向くと、部屋の隅に隠れていた若い侍女が、逃げるように走り出していった。
「……あれが第一発見者、ってやつ?」
春琴がうなずく。
「たしか“桃梅”という名の侍女。『朝、様子を見に来たら妃が動かず、唇が紫で、冷たかった』と……」
清蘭は嘲笑のように笑った。
「嘘でしょ?仮死を“冷たい”と表現できるほど、触っていない手の感触を覚えらない。誰かの入れ知恵がなければ、あんな証言できない
「では、妃様は自身で仮死になったんですか?」
清蘭はわずかに目を細めた。
「……理由があるとすれば、“追われていた”から?」
春琴が息を呑む。
「つまり……暗殺ですか?」
「もしくは、密会の記録を隠すため。彼女が生きている間に誰と会っていたか──その事実を闇に葬るには、“一度死ぬ”のが一番都合がいい」
薬を使って仮死状態になり、第一発見者に“死んだ”と嘘をつかせる。
私には誰が仕掛けたかはまだわからない。
でも、目的は明確だ。
「命を奪うためじゃなく、命を隠すための毒。……なかなか洒落てる」
清蘭はゆっくり立ち上がった。
「でも、“薬妃”の目はごまかせない」
芙蓉の唇に、小さく赤みが戻る。
それは、心がまだ“生きている”証だった。