第1話:香炉の毒と、薬妃の目利き
「お前さ、いつから“死んだふり”してた?」
そう問いかけた瞬間、床に転がっていた女官の肩がピクリと動いた。
ここは景梁国・後宮の薬苑。
毒だの香だの薬だのを扱う、一部の妃と官女しか立ち入れない特殊な場所だ。
そして、私──清蘭は、
そんな場所で“妃”という立場でありながら、香炉に金針を突っ込んでいる奇妙な存在である。
元・市井の薬屋の娘。
ひょんなことから皇帝の命を助けてしまい、「面白いやつだな」と笑われ、後宮入り。
それからというもの、毒と陰謀と事件に、なぜか事欠かない毎日だ。
今日の事件も例に漏れず、香炉が主役。
「これは“忘魂香”に、斑蝥と烏薬を加えてる。……記憶混濁、幻聴、情緒の不安定化。で、どういう目的だったの?」
問いながら、女官の脈を取り、唇の色を確認する。
……おそらく自白剤代わりに使おうとしたのだろう。
ただし、この調合は雑すぎる。素人の手だ。
「妃様、それ以上は危険です」
横で侍女の春琴が、少し慌てて制止した。
「わかってる。もう一歩踏み込めば、こっちまで幻覚見せられるところだった」
私は金針を収め、香炉を布で包む。
「で、動機は何? この子、誰の配下?」
「尚衣局の侍女のひとりだそうです。三日前から様子が変だったと、同僚が」
尚衣局──衣装を担当する部署。
毒物とは無縁そうに見えるが……逆に言えば、怪しい。
「つまり“お仕着せ”と“香”のラインを使えば、妃を狙えるってことね」
後宮では、毒殺の多くが“香”を経由する。
食事は毒見がいるが、香炉は誰も気にしない。
“香り”が命を奪う時代。だからこそ私は、それを見逃さない。
「春琴、火頭の名簿を全部持ってきて。あと、香の納入記録も」
「また“暴く”おつもりで?」
「ええ。こんな雑な毒を放っておくの、薬妃の名が廃るもの」
それに──この香り。
どこかで嗅いだ気がする。もっと、ずっと前に。
……あれは、そう。皇帝陛下が倒れる前夜──
あの夜の香炉にも、よく似た香りが……。
「なるほど。これは偶然じゃないかもね」
私は静かに微笑んだ。
この後宮、やっぱり“病気”だ。
でも大丈夫。
私には薬も知識も、そして──金針がある。
どんな毒でも、刺し通して見せようじゃない。