プロローグ:この後宮、どう見ても毒まみれなんですけど
香炉の煙が変だった。
普通、香炉から漂う匂いってのは、清らかだったり甘かったりするものだ。
でも目の前のそれは──微かに焦げた棗の香りに、鉄の匂いが混じっている。
「……やっちゃってるな、これ」
後宮の薬苑に呼び出されて、最初に目に入ったのは、倒れた女官と、奇妙な香炉。
ふつうの妃なら怯えるところだけど、私は違う。
もと薬師、いま妃──名前は清蘭。
医術の腕を買われて、後宮に“押し込まれた”女である。
「春琴、紙と炭筆持ってきて。灰の成分書き出す」
「また事件ですか、妃様」
侍女の春琴は呆れ顔だけど、慣れている。なんせ、最近これで三件目だ。
倒れている女官の唇は紫、瞳孔は散大、脈は不整──
で、香炉からは“忘魂香”らしき成分が。だが、それにしては反応が妙だ。
「……たぶん混ぜてあるな。烏薬と少量の斑蝥、それに……生乾きの丁香?」
つまり──これは、“誰か”が細工した香。
しかも忘れさせるためじゃない。
記憶を狂わせて、自白させる系の毒。
こんなもの、後宮で誰が何のために?
「で、これを“事故”ってことで処理しようとしてるんだから……」
私は深くため息をついた。
「まったく。上の連中は“毒”よりよっぽどタチが悪い」
金針を一本、香炉に突き立てる。
火傷する寸前の温度で、針先が黒く染まった。
やっぱりな、これは──殺意だ。