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不穏な影と冬の入り口

【リク視点】


 あの男が去ったあとの森は、まるで音が消えたようだった。


 さっきまで確かに聞こえていた鳥の声も、風が木々を揺らすざわめきも、今はぴたりと止んでいる。まるで、世界全体が息をひそめて、僕たちのことを見ているような、不気味な静けさだった。僕とカイは、互いに無言のまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。


「……戻ろうぜ、リク」


 ようやく絞り出すように響いたカイの声は、いつになく低く、張り詰めていた。僕も黙って頷き、重い足取りで拠点へと向かった。


 盆地に戻った僕たちは、すぐに皆へ見知らぬ男のことを話した。案の定、ディノやユナは怯えたように顔を曇らせ、カイは悔しそうに地面を蹴りつけた。そんな中、エリクだけが腕を組み、燃え盛る焚き火の炎を見つめながら深く考え込んでいた。


「……追われている身か。あるいは、俺たちと同じように……逃げてきた、元農奴かもしれねえな」


 エリクの冷静な呟きに、皆の間に重い沈黙が落ちた。


(敵意は、なかった。ただ、警告だけだった……)


 「ここはお前たちだけの土地じゃねえ」という男の言葉が、頭の中で繰り返される。あの言葉は、ここに何か僕たちの知らない秘密があると告げているようでもあった。けれど、僕たちに行く場所は他にない。村へは戻れない。前に進むしか、道はなかった。


 次の日から、僕たちの生活は一変した。


 まず畑だ。エリクが中心となり、ディノとサラが懸命にそれを手伝った。刃こぼれした鍬を振るい、石の槌で土を砕く。原始的な作業だったが、三人の手にかかれば、黒い土の畝は着実に広がっていった。一方で、マリルとカイは簡易な小屋づくりに取りかかった。森から切り出した丸太を組み、その隙間に泥と草を混ぜたものを塗り固めていく。雨風をしのげる程度の粗末なものだったが、自分たちの寝床があるという事実は、何よりの安心につながった。


 僕とユナは、食料集めと水汲みを担当した。だが、そんな生活が数日続いたある日のこと、ユナが小屋の中でぐったりと動かなくなった。


「……さむい……さむいよ、リク……」


 真っ赤にほてった頬。乾ききった唇。ユナは小さな体でぶるぶると震えながら、僕の手を力なく握りしめた。


 サラが必死に焚き火で温めた布で体を拭き、マリルが森で採れた果実を石ですりつぶして、その汁をそっと口に運んでやる。


「ユナ、しっかりして。これ、甘いから……ね?」


「……うん……」


 か細い返事だけが、暗い小屋の中に響いた。それは、この盆地に来て初めて、僕たちがはっきりと意識した『死の影』だった。


(このまま熱が引かなかったら? このまま、ユナが……)


 誰もその先を口にはしなかったが、全員が同じ恐怖に囚われていた。小さな体が、目に見えない何かに引きずり込まれるように冷たくなっていくのを、ただ見ていることしかできない。その無力感が、鉛のように全員の胸を締めつけていた。


 悪夢のような二日間が過ぎ、三日目の朝が来た。


 小屋の中を覗き込むと、それまで荒い息を繰り返していたユナが、静かな寝息を立てていた。そして、僕に気づくと、ゆっくりと瞼を開いたのだ。


「……リク……おなか、すいた……」


 その一言が出た瞬間、そばにいたサラの目から大粒の涙がこぼれ、皆が一斉に顔を見合わせた。


「よ、よかったぁ……! ほんとに、よかった……!」


 ディノが顔をくしゃくしゃにしながら泣き笑いし、いつも無表情なエリクでさえ、こらえきれないように小さく頷いた。カイが、ぽつりと呟く。


「……生きてるって、こういうことなんだな」


 そうだ。僕たちはまだ何も持っていない。でも、もう『何も知らない子供』ではなかった。


 火がある。道具がある。雨風をしのげる屋根がある。そして何より、共に泣き、笑い合える仲間がいる。


 森の中には、まだあの男が潜んでいる。この谷には、まだ知らない秘密がある。それでも、僕たちはここで生きていく。


 吹き抜ける風が、また少し冷たくなった。冬が、もうすぐそこまで近づいてきていた。


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