第31話 黒い汗と日常
【リク・アルベリア男爵(16歳)視点】
『ヴァルディス歴311年 6月13日 早朝 晴れ』
「よいしょぉぉぉっ!!」
僕は腹の底から声を出し、太い樫の丸太を肩に担ぎ上げた。
ずしり、と重みが腰にくる。樹皮のゴツゴツした感触が、服越しに肩に食い込む。
「おっ、領主様! いい腰が入ってるじゃねぇか!」
「無理すんなよ、リク様! 腰を痛めたら、リュシア様に俺たちが怒られちまう!」
周囲で作業をしていたおじさんたちが、白い歯を見せて笑い声を上げた。彼らの顔は、舞い上がる煤と汗で真っ黒だ。もちろん、僕の顔も同じように汚れているだろう。
ここは村の裏手、森との境界にある炭焼き小屋だ。
昨晩、僕たちは盗賊団を撃退した。初めての実戦、初めての人殺し(直接手を下したのはノアやゴルバさんだが)。
興奮と恐怖で眠れないかと思ったけれど、泥のように眠り、目が覚めたら、体が無性に「日常」を求めていた。だから僕は、朝一番でここへ来て、作業を手伝っているのだ。
「へっちゃらだよ! これくらい働かないと、ゴルバさんへの借金が返せないからね!」
僕は丸太を窯の前に運び、どさりと下ろした。
額から流れる汗を袖で拭う。袖がまた黒くなる。でも、その汚れが今は誇らしかった。
「……リク。並べ方はそうじゃない。隙間なく、だが空気の通り道は確保しろと言っただろう」
窯の中から、煤だらけのエリクが顔を出した。彼はこの炭焼き場の責任者だ。普段は無口で愛想がないが、仕事に関しては誰よりも厳しい。
「あ、ごめんエリク! こうかな?」
「ああ。樹皮を外側に向けて、ぎっしりと詰めろ。そうすれば、火持ちの良い硬い炭になる」
エリクの指示に従い、僕はおじさんたちと協力して丸太を窯の中に組み上げていく。
単純だが、根気のいる作業だ。
木を切り、運び、乾燥させ、窯に詰め、火を入れ、何日もかけて蒸し焼きにする。
剣を振るうのとは違う、地味で長い戦い。
(でも……こっちの方が、ずっといい)
僕は木の手触りを確かめながら思った。
昨夜握った剣の柄は、冷たくて、どこか血の匂いがした。振るうたびに、命を削るような寒気がした。
けれど、この木は暖かい。太陽の匂いがする。これが炭になれば、誰かの家を暖め、美味しい料理を作り、そして村に銀貨をもたらしてくれる。
「よーし! 詰め込み完了だ! 入り口を塞ぐぞ!」
リーダー格のおじさん、バーツが声を張り上げた。
赤土を練った泥で、窯の入り口を慎重に塞いでいく。わずかな空気穴だけを残し、完全に密閉するのだ。ここからは火と空気との対話になる。
作業が一段落すると、ちょうど太陽が真上に昇っていた。
お待ちかねの昼食タイムだ。
「ほらよ、領主様。今日はカブの葉入りのおにぎりだ」
バーツさんが、竹の皮に包んだ巨大なおにぎりを放り投げてきた。
僕はそれを煤だらけの手で受け取り、そのままかぶりつく。
「んぐっ……う、うまいっ!」
塩加減が絶妙だ。カブの葉のほろ苦さと、米の甘みが口いっぱいに広がる。労働の後の飯は、どんな高級料理よりも美味い。
「はははっ、いい食いっぷりだ! それでこそ俺たちのボスだ!」
「全くだ。昨日の夜は、リク様が鬼みたいな顔で槍を構えてたからよ、俺たちもビビっちまったが……こうしてると、いつものリク様だな」
おじさんたちが、水筒の水を回し飲みしながら笑う。
彼らは皆、元奴隷だ。背中にはムチの痕がある。辛い過去を共有している。だからこそ、こうして肩を並べて働き、同じ釜の飯を食うこの瞬間が、何よりも愛おしい。
「……昨日は、怖かったかい?」
僕がぽつりと尋ねると、場が少し静まり返った。
バーツさんが、おにぎりを飲み込んでから、真剣な目で答えた。
「そりゃあな。足がすくんで、ションベン漏らしそうだったさ」
「だよね……」
「だがよ、リク様。俺たちはもう『誰かのモノ』じゃねぇ。自分の畑、自分の家、自分の家族……守るもんがあるからな。だから戦えたんだ」
バーツさんの言葉に、他のおじさんたちも深く頷いた。
「それに、あの新しい武器がある。ゴルバの旦那のしごきもある。……いけるさ。俺たちは、もっと強くなれる」
「ああ。それに、この炭がある限り、俺たちは豊かになれるんだ」
窯の煙突から、白い煙がもくもくと立ち上り始めた。
水分が抜け、木が炭へと変わり始めている合図だ。この煙の匂いが、たまらなく好きだった。
「リク。煙の色が変わるまでは、目が離せないぞ。交代で見張りだ」
エリクが隣に座り、おにぎりをかじりながら言った。
「うん、わかってる。……エリク、ありがとう」
「何がだ?」
「いろいろと、さ。この炭焼き場を作ってくれたことも、昨日の夜、僕の背中を守ってくれたことも」
エリクはふん、と鼻を鳴らし、少し照れくさそうに視線を逸らした。
「礼を言うのは俺の方だ。……お前が立ち上がらなきゃ、俺はまだ鎖に繋がれたまま、死んだ魚のような目で生きていただろうからな」
エリクの言葉に、胸が熱くなる。
午後の作業が始まる。
僕たちはまた、黒い汗を流しながら、新しい丸太を切り出すために森へ入っていった。
戦いは終わった。
野盗の脅威は去り、村には静寂が戻った。
でも、僕たちの戦いは続いている。
剣を鍬に持ち替え、槍を斧に持ち替え、生きるために、豊かになるために、今日という日を積み重ねていく。
空は青く、風は心地よい。
炭窯から昇る白い煙が、平和の狼煙のように、アルベリアの空高く吸い込まれていった。
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