第30話 闇に溶ける影
【盗賊の頭目ガリウス(32歳)視点】
『ヴァルディス歴311年 6月30日 深夜 深い森』
月明かりさえ届かぬ深い森の奥。
俺、ガリウスは、部下四人を引き連れて、アルベリアとかいうふざけた名前の村へ近づいていた。
足元の枯れ枝をわざと踏み鳴らしながら歩く。隠れる必要などないと思っていたからだ。
先日、あの村から出てきた商人の馬車を襲った時は、実に良い稼ぎになった。抵抗らしい抵抗もなく、大量の炭を置いて逃げていったあの腰抜け商人。
その商人が取引している村だ。どうせ、鍬しか持たぬ貧弱な農民どもが震えているに違いない。
「へっ、チョロいもんだぜ。今度は村ごと焼き払って、残ってる炭も女も全部いただくとするか」
俺が下卑た笑みを浮かべると、後ろを歩いていた手下のザックが相槌を打つ。
「違いねぇっす! あそこの炭、街じゃイイ値で売れるって噂ですからね。しばらく遊んで暮らせますぜ!」
「違いない。おい、ベック。お前、女を見つけてもすぐ手を出すなよ? 商品価値が下がるからな」
俺は最後尾を歩く大男、ベックに声をかけた。
……返事がない。
「おい、ベック? 聞いてんのか?」
立ち止まり、振り返る。
そこには、闇が広がっているだけだった。
「ああん? どこ行きやがった、あいつ。小便か?」
俺はいら立って舌打ちをした。だが、奇妙だ。
足音が遠ざかる音も、茂みをかき分ける音もしなかった。まるで、煙のように消え失せたかのような静寂。
ただ、風が木の葉をざわざわと揺らす音だけが、耳障りに響いている。
「……チッ、薄気味悪い。おい、お前ら、離れるなよ」
俺は残った三人の部下に警戒を促した。
その直後だった。
――グフッ。
右側の藪の中から、短く、空気が漏れるようなうめき声が聞こえた。
「なんだ!?」
俺と部下たちが一斉にそちらを向く。
だが、そこには誰もいない。ただ、地面に何かが引きずられたような跡だけが残っている。
「ひっ……! が、ガリウスの兄貴! ギルがいねぇっす! 今、隣にいたのに!」
左側にいた部下が悲鳴を上げた。
俺がそいつの方へ視線を戻した、その瞬間――。
シュッ、と風を切る音。
何者かが投げた縄のようなものが、部下の足首に絡みついた。
「えっ――うわあああああっ!?」
部下は地面に激しく転倒し、そのまま凄い勢いで闇の中へと引きずり込まれていく。
「た、助け……!」
ドスッ、という鈍い音が響き、その叫び声は唐突に途切れた。
あとには、シーンとした森の静寂だけが残された。
「な、な……何が起きてやがる……!」
俺の背筋を、冷たい汗が伝い落ちる。
獣か? 魔物か? いや、違う。もっと質の悪い、知性を持った何かの気配だ。
残るは俺と、腰を抜かして震えている手下のザックだけ。
「だ、誰だ! 出てこい! コソコソ隠れてねぇで姿を見せやがれ! 俺たちは泣く子も黙るガリウス盗賊団だぞ! 農民風情がナメた真似しやがって!」
俺は腰の剣を抜き放ち、闇に向かってがなり立てた。恐怖をごまかすための叫びだった。
だが、闇は答えない。
ただ、圧倒的な『狩る側』の殺気が、じわりじわりと俺たちを取り囲んでいくのを感じる。
「ひ、ひいいいいっ! 兄貴、俺、帰るっす! もう嫌だぁぁぁっ!」
ついに恐怖に耐え切れなくなったザックが、俺に背を向けて走り出した。
「おい待て! 馬鹿野郎、背中を見せるな!」
俺の制止も聞かず、ザックは無防備に森の出口へと駆ける。
その背中に向かって、闇の中からヒュンッ、と鋭い音が走った。
「げふっ」
ザックが前のめりに倒れ込み、ピクリとも動かなくなる。
背中には、訓練用ではない、本物の矢が深々と突き刺さっていた。
四人……。
たった数分の間に、俺の部下たちは全滅した。音もなく、姿も見せず。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
俺の呼吸が荒くなる。剣を持つ手が震えて止まらない。
俺は一人残された。
「……よう、夜の散歩か、兄ちゃん? 俺はゴルバってモンだ」
不意に、背後から低い声が聞こえた。
心臓が止まりそうになる。振り返ると、木の陰から、ゆらりと長身の男が姿を現した。金髪の、目つきの鋭い男だ。その手には何も持っていないが、全身から発する威圧感が異常だった。
「ここの通行料は高いぜ。命で払ってもらわなきゃならねぇ」
「て、テメェは……!」
俺は叫び声を上げ、その男――ゴルバに向かって剣を振りかぶった。
だが、剣を振り下ろすより速く、反対側の闇からもう一つの影が滑り込んできた。
騎士風の男だ。その動きは風のように速く、音がない。
男は俺の懐に潜り込むと、剣の柄で俺のみぞおちを強打した。
「がはっ……!!」
息ができなくなる。視界が白く明滅し、俺はその場に崩れ落ちた。
胃の内容物を吐き出しながら、地面に這いつくばる。
「……確保完了。手荒な真似をしてすまないね」
俺を見下ろす騎士風の男――ノアが、冷ややかな声で告げた。
そして、薄れゆく意識の中で、俺は見た。
闇の奥から、さらに数人の影が現れるのを。
槍を構えた少年たち。
その中の一人、青いシャツを着た少年が、静かに俺を見下ろしていた。その目は、獲物に怯える農民の目ではない。覚悟を決めた、戦士の目だった。
その横には、泥臭い大剣を構えたガキ大将のような男もいる。
「ば、馬鹿な……ただの、村じゃ、ねえのか……」
俺はわなわなと唇を震わせた。
情報が、違いすぎる。ここは羊の群れなんかじゃない。
狼の巣だったんだ。
「お休み。悪い夢は見ないことだ」
ゴルバの声が遠くに聞こえ、俺の意識は深い闇の底へと沈んでいった。
森には再び、虫の声と風の音だけの静寂が戻った。
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