第25話 炭の消失
【商人ルギン(26歳)視点】
『ヴァルディス歴311年、6月3日 昼下がり 曇り』
アルベリア村を出て二日目。
俺が御者を務める荷馬車の車輪は、泥道を重々しく、しかし快調に回っていた。
荷台に積まれているのは、リク男爵たちから買い付けた『炭』だ。
麻袋が山のように積まれている。ただの焦げた木ではない。これは、今のランドベルト領において、銀貨に化ける『儲かる品物』なのだ。
(ふふっ、笑いが止まらんとはこのことだ。この荷馬車一台で銀貨5枚。往復するだけで、俺の懐は温まり、辺境伯様からの覚えもめでたくなる……)
俺は手綱を握りながら、頭の中で皮算用を弾いていた。
ゴルバの馬車は先行している。あいつは足の速い馬を使っているからな。俺の馬車は炭の重みで遅れがちだが、焦る必要はない。安全運転で街へ着けば、それで勝ちなのだ。
街道が狭い谷間に差し掛かった、その時だった。
ヒュンッ――ドスッ!
風を切る音と共に、目の前の地面に一本の矢が突き刺さった。
「ヒヒーンッ!」
驚いた馬がいななき、前足を上げて立ち止まる。俺は慌てて手綱を引き絞った。
「な、なんだ!?」
心臓が早鐘を打つ。
周囲の茂みがガサガサと揺れ、そこから薄汚れた男たちが姿を現した。一人、二人ではない。十人……いや、もっとか。
手に持っているのは、錆びた剣や斧、そして弓。目は飢えた獣のようにぎらついている。
(野盗……! くそっ、こんな街道の真ん中で!)
「おいおい、止まれよ商人さん。急いでどこへ行くんだ?」
リーダー格らしき男が、ニヤニヤと笑いながら近づいてくる。頬には古い傷跡があり、歯が何本か欠けている。
俺は瞬時に状況を計算した。
護衛はいない。武器は旅用のナイフ一本。相手は十人以上。戦えば、勝率はゼロ。死亡率は百パーセント。
「……何の用だ。俺はただの貧乏商人だぞ」
俺は震える声を必死に抑えて虚勢を張った。
「貧乏? へえ、馬車の車軸があんなにきしんでるのにか? 重そうな荷物を積んでるじゃねえか」
男が剣先で荷台のシートをめくり上げる。
そこには、ぎっしりと積まれた麻袋。
「なんだ、こりゃ。……炭か?」
男が袋の一つをナイフで切り裂く。中から黒い塊がこぼれ落ちた。
一瞬、男たちの間に落胆の空気が流れた。金銀財宝を期待していたのだろう。だが、リーダーの男だけは目を細めた。
「炭か……。悪くねえ。街じゃ薪が高騰してるって噂だからな。それに、野営にゃ火が必要だ」
男が俺の方へ向き直り、剣を突きつけた。
「置いていけ」
「なっ……!?」
「荷馬車ごとだ。馬も、荷物も、全部置いていけ。そうすりゃ、テメェの命だけは見逃してやる」
俺の頭の中で、天秤が激しく揺れた。
この炭は、リク男爵たちが汗水たらして作った結晶だ。辺境伯との約束の品だ。これを失えば、俺の信用は地に落ちる。300ソルの損害どころではない。
だが。
(命がなけりゃ、商売はできねえ……!)
商人の鉄則その一。損切りは素早く行え。
死んでしまえば、取り返すチャンスさえ永遠に失われるのだ。
俺は、血がにじむほど唇を噛み締め、ゆっくりと両手を挙げた。
「……わかった。くれてやる」
「賢明だな、兄ちゃん」
男たちが下卑た笑い声を上げる。俺は馬車から転げ落ちるように降りた。
男の一人が俺の腰袋を奪い取り、蹴りを入れる。泥の中に這いつくばる俺を見下ろして、彼らは馬車に乗り込んだ。
「ありがとよ! また稼いでこいよ、商人さん!」
嘲笑と共に、俺の馬車が、俺の『儲け』が、遠ざかっていく。
馬車が角を曲がって見えなくなるまで、俺は動けなかった。
静寂が戻った街道に、ポツリ、ポツリと雨が降り始める。
俺は泥だらけの拳で、地面を殴りつけた。
「くそっ……くそぉぉぉぉっ!!」
奪われたのは金じゃない。誇りだ。
あの子たちが、リク男爵たちが託してくれた未来を、俺は守れなかった。
冷たい雨が頬を打つ。だが、俺の腹の底では、どす黒い怒りの炎が燃え上がっていた。
(覚えてやがれ、野盗ども……。タダで済むと思うなよ)
俺はふらりと立ち上がった。
金も、荷物も、馬もない。あるのは、この身一つと、商人の意地だけ。
俺は雨に濡れた街道を、街へ向かって歩き出した。
必ず、借りは返してもらう。
商人は、絶対に損をしたままでは終わらないのだ。
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