第24話 アルベリア村の価値
【ランドベルト辺境伯ノルベルト(37歳)視点】
『ヴァルディス歴311年、5月18日 夜 小雨』
領主の執務室というものは、常に静寂と紙の匂いに満ちているものだ。
机の上に積み上げられた書類の山。その一つ一つが、領内の陳情であり、税の報告であり、揉め事の種だ。私はインクの切れたペンを置き、眉間を指で揉んだ。
「……燃料不足、木材の高騰。どこもかしこも、その陳情ばかりか」
先の戦での火計は、確かに勝利をもたらした。だが、その代償として我が領の森林資源は一時的に枯渇している。冬が来る前に手を打たねば、民が凍えることになる。
そこへ、ノックの音が響いた。
「入れ」
入室してきたのは、腹心の部下であり、私の目となって動く女騎士、セレス・ノワールだ。
普段の彼女は、鉄仮面のように表情を崩さない堅物なのだが、今日の足取りはやけに軽い。
「ただいま戻りました、閣下。アルベリア村の視察報告です」
「うむ。して、あの元奴隷の少年男爵は、うまくやっていたか?」
「はっ。……驚くべきことに、彼らは村で『カブ祭り』なるものを開催しておりました」
「カブ祭り……?」
私が怪訝な顔をすると、セレスは報告書を差し出しながら、口元を隠すようにして小さく噴き出した。
「はい。村人総出で、カブを焼き、煮て、踊り、祝っておりました。……私も、その末席に加えさせていただきましたが、なかなかの盛況ぶりで」
彼女の言葉の端々から、楽しげな余韻が伝わってくる。微かだが、彼女から甘い野菜の香りが漂っているような気さえした。
あの堅物のセレスを、ここまで骨抜きにするとは。
「それで、重要な報告があります。かの村には、極めて良質な『炭』が大量に生産されておりました」
「炭だと?」
「はい。煙が少なく、火力が強い。彼らはそれを大量に保有しています。商人のルギンを仲介させ、当家への納入ルートを確保いたしました。これで、領内の燃料問題は解決に向かうかと」
「……ほう」
私は椅子に深く座り直した。
リク・アルベリア。あの少年は、ただの理想家ではないらしい。この短期間で、領地経営の基盤を作り、さらにこちらの喉から手が出るほど欲しい物資を用意してみせたか。
(面白い。実に面白い村だ)
セレスが退室した後、私は一人、口元を緩めた。
だが、安堵する時間は長くはない。
深夜。雨音が窓を叩く中、執務室の隠し扉が音もなく開いた。
「……戻りましたぜ、旦那」
現れたのは、金髪の男。昼間は武器商人を名乗る、私のもう一つの目、ゴルバだ。
セレスが『表』の視察者なら、ゴルバは『裏』の調査員である。
「どうだった、アルベリア村は」
「へえ。ルギンの奴が『300ソルの価値がある祭りだ』なんて吹っかけたもんで、リク男爵たちは腰を抜かしてましたよ。ですがね、旦那。あそこの村、今は金がなくとも、いずれ化けますぜ」
ゴルバは私の前の椅子にどっかりと座り、ニヤリと笑った。
「炭の生産力、開墾された農地、そして何より、あの若い連中の熱気。ありゃあ、カネを生む匂いがぷんぷんします」
「だろうな」
私も同感だ。だが、だからこそ懸念がある。
「俺が武器を売り込んでみましたがね、リク男爵は断りましたよ。『今は買えない』と。賢明な判断ですが、装備は貧弱なままです。棒きれと、刃こぼれした剣が数本。あれじゃあ、野盗はおろか、狼の群れにも勝てません」
ゴルバの報告に、私は腕を組んで天井を仰いだ。
富める場所には、必ずオオカミが寄ってくる。
アルベリア村が炭や麦で利益を上げれば、その富を狙って野盗や、あるいは近隣の強欲な貴族がちょっかいを出してくるだろう。バルドロの残党が動く可能性もある。
せっかく芽吹いた苗を、早々に摘ませるわけにはいかない。
「ゴルバ」
「へい」
「次回の商談で、武器をもう少し安く売ってやれ。……型落ちの中古品という名目でもいい。奴らが買えるギリギリの値段まで下げろ」
ゴルバは目を丸くし、それから意地悪く笑った。
「へえ? 『鉄の男』と言われる辺境伯様が、随分と甘いじゃありませんか。あの子たちが気に入りました?」
「勘違いするな。先行投資だ」
私はゴルバを睨みつけ、言葉を継いだ。
「資金のある村なら、いずれ必ず襲われる。その時、自衛してもらわねば、私が軍を出さねばならなくなる。五人の兵士を送れという契約も、奴らが死滅しては意味がないからな」
自分の身は、自分で守れるようになってもらわねば困るのだ。
「へいへい、承知しましたよ。安く売りつけて、恩も売っておきます」
ゴルバが影のように消えた後、私は再び書類の山に向き合った。
ふうっ、と息を吐き、ガシガシと頭をかく。
為政者とは、因果な商売だ。若者の成長を喜びつつも、常に最悪の事態を想定して手を打たねばならん。
(リクよ。武器を持て。そして守ってみせよ。お前たちが作った、その小さな楽園をな)
窓の外では、まだ冷たい雨が降り続いていた。だが、私の心の中には、できたてのカブスープのような温かい予感が残っていた。
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