最初の夜、種麦は守る
【リク視点】
どれだけの時間、闇の中を歩き続けたのか。最後の急な坂道を転がるように越え、俺たち七人は、ついにあの場所へとたどり着いた。
アルベリア。七年前、偶然見つけたこの土地を、僕たちは心の中でそう名付けていた。
目の前に広がる光景は、記憶の中にあるものと何一つ変わっていなかった。夜の訪れを告げる静かな風が、どこまでも続く草原の穂を揺らしている。変わってしまったのは、ただ泥と汗にまみれた僕たちが、無邪気な子供ではなくなったということだけだった。
太陽はすでに、西の山の稜線の向こうにその姿を隠しかけており、空は燃えるような茜色から深い藍色へと刻一刻と表情を変えていた。
「……よし。今夜は、このあたりで休むか」
先頭を歩いていたカイが、重い荷物をどさりと地面に下ろし、大きく一つ、背伸びをした。彼のその一言に、張り詰めていた糸が切れたように皆がその場にへたり込む。もう一歩も歩けないほど、体は鉛のように重かった。誰も異論を唱える者はいなかった。
マリルはすぐに立ち上がると、鋭い目で周囲を見渡し、やがて斜面の麓にある小さなくぼみを指差した。
「あそこなら、夜風を少しは防げるはず。枯れ葉も溜まっているし、地面も乾いてる」
「火が、必要だな」
短く、しかし確信に満ちた声でエリクが言った。見れば、その手にはもう村から持ち出した火打石が握られている。その言葉に弾かれたように、俺とカイは近くに見える雑木林へと駆け出した。湿っていない枯れ枝や、よく乾いた落ち葉を、腕が一杯になるまでかき集めて戻る。
エリクは僕たちが集めた枯れ葉と小枝で小さな山を作ると、その前に屈み込み、黙々と火打石を打ち始めた。カチッ、カチッ、という硬質な音が、静かな盆地に響く。何度か繰り返すうちに、闇の中でオレンジ色の火花が散り、やがてか細い一筋の煙が立ち上った。エリクが慎重に息を吹きかけると、煙は勢いを増し、小さな赤い火種が草の間で揺れ始めた。
「……ついたぞ」
「おおっ! すげえ!」
「エリク、ありがとう!」
ユナとディノが、歓声を上げる。パチパチと音を立てて燃え始めた炎が、僕たちの疲れた顔を赤く照らし出す。じんわりと伝わってくる暖かさに、凍えていた体がゆっくりと解されていく。強張っていた肩の力が、自然と抜けていくのがわかった。
「……お腹、すいた……」
火を見つめながら、ユナがぽつりと呟いた。その小さな声は、僕たち全員の心の声を代弁していた。村を出てから、まともなものは何も口にしていない。けれど、エリクが命がけで手に入れた種麦の袋は、まだ決して開けるわけにはいかなかった。
僕はすぐそばに置いていたその袋を、そっと自分の胸に抱き寄せた。ずしりとした重みが、未来の重さのように感じられる。これは明日のための、そしてこの先を生きていくための糧だ。生きるためには、今日この夜を、なんとか耐え抜かなければならない。
(何か、何か食えるものは……)
焦る俺の耳に、サラの少しだけ弾んだ声が届いた。
「リク、あれを見て!」
彼女が指差したのは、川辺の茂みに隠れるように生えている低木だった。夕闇の中でもはっきりとわかる、黄色く色づいた小さな実が、枝もたわわにぶら下がっている。
「……ノイチゴか。ああ、それなら食える」
僕は大きくうなずいた。飢えがひどい時に、村の裏山で口にしたことがある。酸っぱいが、腹の足しにはなるはずだ。
「こっちにも何かあるぞ! ドングリ……いや、これはシイの実かもしれない!」
今度はディノが、少し離れた場所で叫んだ。カイがすぐにそちらへ駆け寄り、マリルと一緒に手早く地面に落ちた実を拾い集め始める。
炒れば渋みも消えて食えるはずだ。エリクが火の上に平たい石を乗せて即席の鉄板を作り、俺たちは見つけ出したわずかな山の恵みを、分け合って口にした。
ノイチゴの甘酸っぱい果汁が口の中に広がると、ユナの大きな瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。誰も何も言わなかった。けれど、その涙の意味は、ここにいる全員が痛いほどよくわかっていた。それは、ただ空腹が満たされた喜びだけではない。村を出てきた悲しみ、ここまでたどり着けた安堵、そして未来への不安。その全ての感情が入り混じった、しょっぱい味がした。
火の向こうで、カイが口を開いた。
「この麦は……絶対に、蒔こうな」
誰も返事はしなかった。ただ、燃え盛る炎の向こう側で、仲間たち全員が、力強くうなずいたのがわかった。
秋の夜風は肌寒かったが、それ以上に、燃える火と、ささやかな果実の味と、そして何より隣にいる仲間の存在が、僕たちの体を芯からあたためていた。
麦の袋には、手をつけない。
今夜は、ただこうして、七人で生き延びる。それだけが、僕たちの全てだった。
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