第13話 黒旗と白馬の使者
【リク視点】
轟音と共に、仕掛けた岩が崖から崩れ落ちた。地鳴りのような振動が足元から突き上げ、谷全体が揺れる。先頭を進んでいた馬が甲高い悲鳴を上げて倒れ込み、その下敷きになったバルドロ男爵は、土と血にまみれて身動き一つできなくなった。
舞い上がった土煙が晴れると、そこは地獄絵図だった。兵士たちは混乱の中、誰ともなく武器を構えたが、その刃を向けるべき相手の姿はどこにもない。ただ、矢が届かぬほど高い岩の上から、何人かの影が静かにこちらを見下ろしているだけだった。
「降伏するんだ! これ以上、誰も死なせたくない!」
僕の声が、風に乗って谷間に響き渡る。兵士たちは、驚きと恐怖が入り混じった目で僕たちを見上げていた。やがて、誰からともなく武器を捨てる音が響き始め、それは鎖が断ち切れる音のように、次々と続いていった。
「ひっ、ひいいいいっ、殺さないでくれぇ!」
バルドロ男爵が命乞いをする。
勝敗は、剣を交えずに決した。
ファルケン村の夜明けは、信じがたい光景と共に訪れた。昨日まで恐怖の象徴だったバルドロ男爵が、その部下たちと共に縄に繋がれ、力なく村道を歩かされている。村人たちは息を殺し、扉の隙間から、その現実離れした行列をただ見つめていた。
僕たちは男爵の屋敷を占拠したが、誰一人として略奪はしなかった。誰かを傷つけることもない。ただ、ここがもう『恐怖で支配される場所』ではないと、その静かな事実だけを村に知らせたかった。
それから三日後の朝だった。すべてを覆い隠すような濃い霧を裂いて、一騎の馬が現れた。
白銀の鎧の上に黒いマントを羽織った、凛々しい女騎士。その背に掲げられた旗には、見慣れぬ紋章が風に翻っていた。鋼の十字に、金の梟。辺境伯ランドベルト家のものだ。
「わたしは辺境伯ランドベルト様よりの使者。このファルケン村に現れたという反乱の徒に、話を聞きに参った」
馬を止め、女騎士は堂々とした口調でそう告げた。その声は、村の隅々にまで凛と響き渡る。
「わたしが知りたいのは、敵か味方かではない。男爵を打ち倒した『者たち』が、いかなる意志でこの挙に出たのか。その代表者と、直接話したい」
屋敷の中で、僕たちは顔を見合わせた。重い沈黙を破ったのは、カイだった。
「……リク、お前が行け。こういう交渉ごとは、俺よりお前の方が向いてる」
「冷静に状況を判断できるのは、あなたしかいない。異論はないわ」
マリルの言葉に、サラも静かに頷く。
「ええ。あなたの言葉なら、きっと相手にも伝わるはずよ」
「う、うん……リクなら、大丈夫だよ……!」
ディノが震える声で俺を励ます。仲間たちの視線が、一身に俺へと注がれていた。
(そうか……僕が、行くんだな)
僕は覚悟を決め、ただ一度、力強く頷いた。
屋敷の前に集まった仲間たちに見送られ、僕は使者の引く白馬の前に立った。すると、ミレイが輪の中から進み出て、僕のそばに歩み寄ってきた。そして、小さな手でそっと、僕の袖を掴んだ。何かを言いたげに、でも言葉にならない想いが、その指先から伝わってくる。
「……大丈夫。すぐに戻る」
僕がそう言うと、ミレイは小さく頷き、名残惜しそうに手を離した。
女騎士の手を借りて、慣れない鞍の上にまたがる。馬がゆっくりと歩き出すと、彼女は僕に背を向けたまま、ぽつりと言った。
「初めてか? 馬に乗るのは」
「……はい」
「ならば無理に姿勢を正すな。ただ、胸だけは張っておけ。『誰かの代表』として行くのだからな」
その言葉が、ずしりと重く胸に響いた。
(誰かの……代表……)
ただ生きるために逃げてきただけの、名もなき農奴の子供だった僕が、今、仲間たちの未来を背負って、領主の元へ向かっている。
こうして、僕は生まれて初めて、馬上の人となった。ファルケン村の石畳を、白馬の蹄が静かに叩く。見送る仲間たちの姿を背に、僕は新たな世界へと一歩を踏み出した。
霧が晴れ始め、道の先には、まだ知らぬ土地の気配が広がっていた。
(僕たちの運命は、もう後戻りできない場所まで来てしまったのかもしれないね……)
馬の背に揺られながら、僕は初めて、自分の意思で運命を『選ぶ』という感覚を、確かに感じ始めていた。
「とても面白い」★五つか四つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★二つか一つを押してね!




