第1話 種麦と川と、盆地の秘密
【リク視点】
グリマ村の農奴の子は、豪農の子と遊んではいけない。
物心ついたときから、そう教えられていた。言いつけを破れば、革の鞭が飛んでくる。麦畑のあぜ道で、ただ笑い合っていただけなのに、背中にみみず腫れの赤い筋を作った仲間もいた。
それでも、僕たちは遊んだ。遊ばなければ、きっと泣いてしまうからだ。
この村では、子供は七歳になると畑仕事に出される。大人用の重い鍬をどうにか持ち上げ、どこまでも続く麦の間を這い回る。大人たちは無言で、そんな僕らを見ていた。笑い声もなく、叱咤の声もなかった。まるで、そうなるのが当たり前だとでも言うように。
けれど、あの夏の日だけは、少しだけ違った。
「川をさかのぼろうぜ!」
元気な声をあげたのは、カイだった。カイはいつもそうだ。年上の豪農の子供に殴られて口の端から血を流したあとでさえ、あいつはすぐに立ち上がって不敵に笑ってみせた。
「お、おれ、行く!」
顔中にソバカスを散らしたディノが、ためらいなく飛びついた。
「どうせ暇だしね」
それはマリルの口癖だった。どんなときでも、少しだけ飄々としている。けれど、彼女はたいてい、誰よりも最初に動き出すのだ。
「おいで、ユナ!」
「まってよ、サラ! わたしも行く!」
一番年下のユナが叫ぶ。姉のサラは振り返らず、その小さな手を強く引いて走り出した。
その日は、川沿いの細い道を、僕たちはどこまでも進んだ。じりじりと照りつける太陽の下、すぐ隣を流れる川の音だけを追いかけて、汗と泥にまみれながら。
やがて、両脇の木々が密生しはじめると、あれほど騒がしかった水音がふっと消えた。
突然、目の前が開ける。
「……な、なんだよ、これ」
誰かが、かすれた声でつぶやいた。
どこまでもひらけた空と、目に痛いほどの緑の盆地。ぐるりを険しい山に囲まれた平地には、誰の手も入っていない柔らかな草原が広がっていた。僕たちがたどってきた川は、その中心をなだらかに蛇行し、きらきらと光る小さな池となって静まっていた。
誰もが言葉を失った。
そこだけ、息苦しい村とは違う匂いがした。甘い草いきれと、湿った土の匂い。
(ここなら……)
誰もいない。誰にも見つからない。
この場所を僕たちだけの秘密にしようと、七人は無言でうなずき合った。
それから、七年の月日が流れた。
『ヴァルディス歴310年』
年貢に加えて、新たに人頭税が課されるという布告が、貴族の使いから届けられた。
「子供にも、だと?」
村の広場に集められた農奴たちの間に、不安などよめきが広がる。満足に口も利けない老人でさえ、かすれたうめき声を漏らした。
「払えぬ分は、数を減らせばよい」
冷たい声が響き渡った。この土地を支配し、僕たちの生殺与奪の権利を握る豪農、ガラムだ。
彼の言葉に、大人たちは何も言えず、ただ深く頭を垂れた。
つまり、余剰な子供は「売る」ということだ。鉱山か、どこかの屋敷か。売られた先でどうなるかなど、誰も知らない。
埃っぽい納屋の隅で、ディノがぽつりとつぶやいた。
「やっぱり、売られるんだな」
その声は、麦わらの束に吸い込まれるように、小さく震えていた。僕には、返す言葉が見つからなかった。
「逃げるしかねぇよ」
静寂を破ったのは、カイだった。誰も、それを冗談だとは思わなかった。
あの盆地。七年前のあの夏に見つけた、誰にも知られていない場所。
その名を、誰からともなく口にした。
「……アルベリア」
自由の盆地。僕たちが勝手にそう名付けた、たった一つの希望。
その夜、僕たちは村を出た。親にも、兄弟にも、誰にも別れを告げずに。
エリクが豪農の倉庫から盗み出した種麦の袋が一つ。カイが大切に握りしめた火打石。ディノが見張りをしている間に、全員が井戸の冷たい水で顔を洗い、覚悟を決めた。
七人。みんな、十五歳。
子供と大人のあいだにいる、何者でもない半端な年頃。
それでも、僕たちは決めたのだ。
このまま家畜のように売られて、どこかで朽ち果てるぐらいなら。
自分たちの手で、あの土地を耕すほうがずっとましだ。
肌を刺すような冷たい夜風が、僕たちの頬を撫でていく。もう誰も、後ろを振り返らなかった。ただ前だけを見据えて、僕たちは暗い山道へと、その第一歩を踏み出した。
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