2018.03.17(Sat) 最終話
【最終話 約束】
[2018年3月17日(土)]
約束の場所に、とうとう央弥は来なかった。
今日は央弥の卒業と就職祝いのついでに、ひっそりと2人だけで将来でも誓い合おうか……なんて恥ずかしい事を話して、少し前からわざわざ高級なレストランを予約していた。
――特別な日になる予定だった。
昨夜の、終電を逃したから2駅歩いて帰るというメッセージが携帯に残っている。
央弥からの連絡はそれが最後だった。
まだ真っ暗な時間に目が覚めて、あいつがまだ帰って来ていないことに気がついた時、友人との就職祝いに浮かれて酔いすぎて路上寝でもしているのか?と呆れながらすぐに電話をかけた。
数コールの後に応答があり、「電車が来た」とだけ、央弥らしき声が聞こえたかと思うと電話は切れ、それから通じなくなった。
何度かけても"この番号は現在使われておりません"というガイダンスが流れるだけだ。
それと同時に、自分の中から何かがスッポリと失われたような感覚があった。いや……本当はもともと消えかけていた火が、完全に消えたような感覚と言った方が近い。
嫌な予感がする。
しかし何も出来ることがない。
メッセージは既読にならず、電話はもはや無意味だ。
朝になっても帰らず、警察に連絡はしたが……いい歳をした男が酔った後に半日行方が分からないだけでは何も動いてくれなかった。
俺は予約していた店の前で、央弥が現れるのを待った。
店が閉店時間を迎えても、待ち続けた。
店員に心配されても、構わず待ち続けた。
「電車が来た」って、なんなんだ。
電車が無いから歩いて帰ってたんだろ。
まだ始発も出てない時間だったぞ。
――お前、その電車に乗ったんじゃないだろうな。
認めたく無いのに、絶望が足元から這い上がってくる。
絶対に考えちゃいけない事なのに、頭に浮かんでくる。
もう怖がらなくていい。
それは、いつか央弥が言った言葉だ。
俺は、いつだってその言葉をお守りみたいに思って……。
「あいつ、持っていっちまったんだ」
俺の霊感を全部。
俺はほとんど呆然自失状態になりつつ、まだどこか冷静な部分で、これ以上待っても意味がないとなんとか自分に言い聞かせて、足を引き摺るように帰路を歩き出した。
でも帰っても1人だ。
こらえていた涙が勝手に次から次へと溢れ出して、飲み会帰りで終電を急ぐ人たちの足元にポタポタと落ちる。
「あ、危ないことは…すんな、って…や、約束…っふ、う…ぅ…」
――何度も何度も言ったのに、願ったのに。
この手をすり抜けて、あいつはいってしまった。
嗚咽が漏れて、とうとう地面に膝をつく。
キーケースがポケットから転がり落ちた。それは俺があいつと確かに一緒に過ごした唯一の証拠だ。
一度心が折れてしまったら、もう立ち直れない。俺は人目も憚らず地面にうずくまって大声を上げて泣いた。
いつか、こんな日が来てしまう事をずっと恐れていた。
―――
それから、道端でどれくらい泣いていたのか分からない。
いや、気付かないうちに少し寝ていたのだろうか。携帯の充電なんてとっくに切れていた。
夜中まで営業しているバーやラウンジのある繁華街だというのに、あたりに人の気配は全くない。
ということはおそらく、もうすぐ日が昇る時間なのだろう。
息も出来ないくらいに泣いて、体も喉も疲れ果てて、激痛がする重い頭を少し持ち上げると近くにティッシュと水のペットボトルが置かれていた。
通りすがりの優しい人たちが、よほどの事があったのだろうと情けをかけてくれたみたいだ。
俺はどこか他人事のように冷静になれて(自分の心を守るための防衛本能から、一時的な離人症のような状態になっていたのかと思う)
ああ、泣きすぎて心臓が痛いな。と呟きながらフラフラと立ち上がった。
長時間ずっとうずくまって泣き叫んでいた体に久しぶりに酸素が巡るような感覚がして、身体中の関節が痛んだ。
置かれていた水を飲んで、ティッシュでボロボロの顔を拭いた。
まだ嗚咽が収まらず、ヒックヒックと子供のようにしゃくりあげてしまう自分をどこか遠くから眺めているような気持ちになりながら、しかし家に帰らなければと歩いた。
ここから家まで、歩けば3時間はかかるだろう。
更に今は体のあちこちが痛くてゆっくりしか歩けない。
それでも歩いた。
「辰真さん、ちゃんと帰って」……と、央弥の心配する優しい声が聞こえた気がしたから。
―――
このごろ、俺はすっかり幽霊が見えなくなっていた。
それと反比例するように、央弥の霊感が上がっている事にも気が付いていた。
何が原因かは分からない。ただ、俺と関わったせいである事は間違いない。
足を引きずって、何時間くらい歩いたのか。
辺りが明るくなり、途中で通勤や通学する人々とすれ違っては、親切な人に「大丈夫ですか」と声をかけられた。
優しい言葉に触れるたびにまた涙が溢れてきて、恥も外聞もなく、どうしようもなく泣いた。
なんとか家に帰る頃には太陽は上りきっていて、疲労と空腹で体の感覚がおかしかった。
俺は諦め悪くも、玄関を開けると全てが夢だったかのように央弥が飛びついて来てくれるのでは無いかという妄想に取り憑かれながら鍵を開けて、薄暗い部屋を見てまた泣いた。
―――
それからの事は、ぼんやりしている。
仕事をして、家事をして、取り繕って生きている。
ただ全てにぽっかりと穴が空いている。
もう怖いものを見る事はなくなった。
――辰真さん、風邪ひかないでね
――案外じゃないよ。いっつも心配してる
――ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、ちゃんとあったかくしてね
「……わかってるよ」
あれから俺はずっとひとりで、電車が来るのを待っている。
【約束 完】
【旧題"怖い話はお好きですか" 終】




