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2015.12.16(Wed) 迷走 3/3

【大学生編 17 迷走 3】


 [2015年12月16日(水)]




 いつの間に、こんなにもあの後輩の存在が大きくなっていたのか。勝手に付き纏われて、初めは鬱陶しさしか無かったというのに。

 構内を歩いているとどこからともなく現れては、機嫌良さそうな笑顔で話しかけてくれるあの大型犬のような後輩の姿を思い出す。


 しかし今は話しかけてくる人などいない。辰真は、央弥の学部さえ知らないのだ。

 無意識にその姿を探してしまっている自分がいるのだが、ここのところ全く見かけなくなった。

 ――やはり避けられているのだろうか。

 これまでは偶然その姿を見かける事は何度でもあったが、人気者の央弥はいつでも誰かと一緒で、辰真には見せたことの無いくだけた表情で友人たちとはしゃぎあっていたのを覚えている。


 ――やっぱり、俺とは違う人種だっただけだ。

 その時、パタパタと背後から軽やかな足音がして、思わず脳内に「葛西さん」という嬉しそうな声が浮かぶ。しかし足音の主は見知らぬ誰かで、辰真を追い越してその先にいる学生に向かって行った。


「……」

 ――情けない。

 まだ講義はあったが、どうしても気持ちが沈んでしまって辛かった辰真は家路についた。



 そして自宅の最寄駅に降りた時、"ソレ"はホームの真ん中に立っていた。ゆらゆらと揺らめくぼんやりとした影だ。

「かわいそうに」

 辰真は自分の口から無意識に漏れた声にハッとして慌てて歩き出す。

 ――しまった。影響させられてしまった。

 頭のすぐ後ろから声がする。

『かわいそう?かわいそう?』

 聞こえないふりをして足早に改札をくぐり、自宅へ向かう間も足元にぼんやりとした影がまとわりついていたがとにかく部屋に入って扉を閉める。

 ――大丈夫、扉は結界だ。

 背後でずっと扉をノックする音が鳴り続けていたが、辰真は振り返らずにリビングに入った。



 ーーー



 それからというもの、行く先々に影がついて回るようになってしまい、辰真は精神的に参っていた。精神的に落ち込むと余計に引きつれてしまうとは分かりつつも、気を強く持とうと思って持てるものなら苦労はない。

 幸い部屋には入って来られないらしく、何も現れなかった。いつか央弥が撒きまくった塩がまだ効いているのかもしれない。清め塩の使い方としてはあれは間違えているわけだが。やはり気持ちも大事という事なのかもしれない。

 あと少し単位を取れば卒業に問題は無く、卒業制作に関してはカフェや図書館に行くより部屋で作業に没頭した方が捗る事もあり、問題を後回しにしているだけだという自覚はあったが、辰真はそんな風に作業を理由にして、どんどん部屋から出なくなっていった。




 しかし、ストックしてあったカップ麺や冷凍食品の類ばかりの食生活と、日の光もろくに浴びず昼夜逆転の中でパソコンと向き合うばかりの日々はすぐに体調不良をもたらした。

 こんな時は無性に寂しくて堪らなくなる。だが連絡を取る友人さえいない。唯一慕ってくれた央弥との縁は、自ら断ち切ってしまった。

「……」

 熱でもあるのか、くらくらと不快な目眩にため息をついてベッドに横になると、余計に寂しさが襲って来た。

 ――別に、友人をやめたつもりなんかない。一度恋人関係になってそれを解消しただけだというのに、途端に連絡の一つもぱったりと寄越さなくなって、冷たい奴め。

 そうだ。別に東丸の事が嫌いと言ったわけでもないし、話しかけるなと言ったわけでもない。

 そう思ったが、問題はそんな事ではないと辰真自身もわかっていた。大体、本当にそう思うなら自分から連絡をすれば良いだけの話だ。

「……そういうことじゃ、ないんだよな…」

 あんな、人前で大声を出すほどの感情を一体どこに隠し持っていたと言うのか。全て見せた、隠してることなんか無い、と言いながら。

 ――もう、友人には戻れないのか。

 そう考えた途端、心細さに胸が苦しくなり耐えきれず涙が溢れた。

「……っ」

 体は熱っぽいし、頭も痛い。子供みたいだ。寂しくて泣くだなんて。しかし一度流れ出した涙は止まりそうもなく、心も体も弱りきってしまった辰真は項垂れたまま央弥に電話をかけた。


 数コールののち、呼び出し音が途切れる。

『も、もしもし……葛西さん?』

 久しぶりに聞く声に安心して、また涙が出た。

「……と、まる……」

 情けなく声が震える。熱に浮かされてぼんやりとした意識の中、ただ名前を口にする。電話越しに驚くような気配がした。少し恥ずかしさを感じたが、それは一度吐き出してしまうともう止まらなくて。

「ふ…東丸っ……」

 ひく、と喉が痙攣してグス、と鼻も出る。涙に濡れた情けない声が出た。

『今どこ』

「俺の、部屋…」

『すぐ行くから』

 ブツッ、と通話が切られて、無機質な電子音が繰り返される。少しだけ冷静になった辰真は子供のように泣いたりしたことを恥ずかしく思ったが、央弥が来てくれると思うと、そんな事はもうどうでもよく思えてしまった。

 自分から突き放したくせに、なんとも勝手な話だ。



「葛西さんっ!!」

 どれくらいぼんやりしていたのか、チャイムの音と扉の外から聞こえてきた遠慮の無い大声にハッとする。まだ夕方とはいえ、廊下に響き渡るその声に慌てて立ち上がった。

「葛西さん、大丈夫!?」

「いま開けるから」

 大丈夫だからあまり騒ぐな、と扉の向こうに声をかけながら慌ててドアノブに手を伸ばす。

 ――早く、早く。

 もどかしく思いながら鍵を開けると、間髪入れずに扉が開かれて、一も二もなく抱きしめられた。辰真も反射的にその背に手を回してしがみつく。そうして二人は玄関でお互いに無言のまま、しばらく抱き合っていた。

 走ってきたのか、央弥の呼吸は軽く乱れている。ドキドキと心臓がうるさい。それが自分のモノなのか、相手のモノなのか、もはやわからない。

「…はぁ…っ葛西さん、どうしたのいきなり…ビビるよ…」

 まだ息が整わない央弥はそう尋ねながらようやく体を離して額の汗を拭う。

「いや……悪い」

「てかすっげ熱くない?熱あんの?」

「そう、かも」

「いや絶対にそうでしょ。早く寝て寝て」



 ろくなものを食べていないという辰真の為に食材の買い出しをしながら、央弥はようやく冷静になってきた。ひと月ぶりに突然電話をして来たかと思うと、ただただ泣きながら何度も名前を呼ばれたりして。一体何があったのかと、顔を見るまで生きた気がしなかった。

「…はぁー、もうまじでさぁ…」

 ため息と共に思わず独り言がこぼれ落ちる。しがみつかれた感触がまだ背中に残っていて、あわよくばもう一度抱きしめたいと思う。

 しかし今はそんな場合ではない。なんで泣いてたのかも分からないし、前に取り憑かれていた時と同じように酷くやつれていたし。



 食べやすそうなものやスポーツドリンクを買い込んで部屋に戻ると、辰真は暑かったのか寝苦しそうに眉を顰めながら掛け布団を蹴り飛ばしていた。

「葛西さん、冷えちゃうから」

 息苦しくない程度に布団を直してから、お粥でも作ろうと立ち上がりかけた央弥の服を辰真が引っ張った。

「……ごめん」

「え?」

「電話したりして」

 予想外の発言に央弥は声が裏返りそうになる。

「な、なんで謝んの?そんなこと…」

 なんかあったら頼ってって前にも言ったよね?頼ってくれて嬉しいよ?と央弥は付け足した。

「だって」

 俺の方が、突き放したのに。そう呟いて辰真は気分が悪そうに呻いた。

「突き放したって、そんな大袈裟な…」

 そりゃこっちから連絡は取りにくかった部分はあったが、そんな風には感じていなかった央弥は首を傾げる。

「あんなに絡んで来てたくせに…あれから一度も顔すら見せなかったじゃねぇか。俺のこと避けてたんじゃ」

「えっ!?それは、ほとんどいなかったんだよ!ガッコーに…俺ほらもうすぐ実習行くから…!」

「実習?」

「そう、教育実習の前指導を受けたりしてて…え、俺、教育学部だよ、言ってなかっ…た?」

 ――知るか。そんな事。

 顔から火が出るかと思ったが、言ってしまった言葉は引っ込められない。黙り込んだ辰真に央弥がいじわるに質問を投げかける。

「俺に会えなくて寂しかった?」

 嘘はつきたくないが、肯定するのも何か(しゃく)に触る。代わりに辰真は素直な気持ちを吐き出してみることにした。

「お前と、キスをしたとき」

 唐突な話題に央弥は一瞬ドキッとしたが、辰真の態度が落ち着いているのですぐに姿勢を正して聞き手に回った。

「全然ドキドキしたりしなくて」

「……え、でも、嫌でもなかった?」

「嫌とかは無いけどさ」

 当然のように言い返されて、男同士があんまり普通ではないって事、この人ちゃんと分かってんのかな?と央弥は少し心配になる。

「お前の言う好きと、俺がお前と居て心地いいのは別物なんだと思って」

「ちょっとちょっと待って、ストップストップ」

 辰真の告白のような言葉に央弥は思わず片手で額を押さえて、努めて冷静に聞き返した。

「俺と居るの、心地いいの?」

「ああ、お前って本当に怖いもの知らずだし、一緒にいると安心するというか、ぬるま湯に浸かってる時みたいな…」

 だから、ズルズルと一緒に居てしまうが、同じ種類の好きを抱いているわけでも無いのに、央弥をそんな事で自分に縛っておくわけにいかないと思ったのだ…と、つまりはそういった事を、辰真は丁寧に言葉を選びながらゆっくりと話した。

「あの、葛西さん」

「んん……」

 体調が悪いというのに話しすぎて喉が痛くなった辰真は眉を顰めて少し億劫そうに返事を返す。

「ドキドキしたりキュンってしたりするのは、いわゆる恋だと思うけど、それだけじゃないじゃん」

「どういう事だ?」

「葛西さんって、もっと深いトコロで俺のこと愛してくれてるんじゃない?」

「お前さ……よく自分で言うよな」

 でも、もしかしたらそうなのかもな。と呟いて辰真は目を閉じた。

 病人だというのに、疲れさせてしまった。

 央弥は辰真が起きた時に食べられるよう、胃に優しいものでも作ろうと今度こそキッチンへ向かった。



【迷走 完】

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