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2015.11.02(Mon) 迷走 1/3

【大学生編 17 迷走】


 [2015年11月2日(月)]




 ――笑い声が聞こえる。

 "あの時"坂の上で聞いた、耳障りな笑い声だ。

 姿さえ見えるなら一発ぶん殴ってやるのに。

「…ん」

 笑い声が着信音に変わって、意識が浮上する。

 ――あ、この音は現実の電話だ。

「もしもし…」

 寝ぼけながらスマホを手に取ると笑い声が聞こえた。だが、今度は耳障りじゃない。思わず央弥の頰が緩む。

「うん、うん、そう寝てた…え、ほんと?そっか…良かった」

 時計を見るともうすぐ昼時だった。外は晴天の気持ちが良い休日だ。

「じゃあ早速だけど、どっか行かない?お祝いしようよ」

 通話を終えるとすぐに立ち上がって、着ていく服を考えながら歯を磨いた。めでたいことに辰真の就職先が決まったらしい。



「葛西さん!」

 駅の地下の待ち合わせ場所に着くと既に辰真は到着していた。

「ごめんお待たせ。何食べる?」

「ちょっと調べてた。ここどうかな」

 開かれたスマホのページに表示されているカフェは央弥も前から気になっていた店の一つだった。

「あ!ここ良いらしいよ、行こ行こ」

 こっち、と地下街を歩き出す央弥に続いて辰真も歩き出す。今まで人の集まる場所は苦手だったが、央弥と居れば人混みの中に奇妙な何かが見えても不思議と怖くなくなった。

「どしたの?」

「いや…行こう」

 央弥は誰かと付き合うのは初めてではない。むしろそれなりにモテる人生を歩んで来て、恋人とのランチデートなど当然、経験済みである。

 しかし思い出すと会いたくなって、それが無理ならせめて声だけでも聞きたくて……人生で初めてそんな風に思った相手とこうして並んで歩くのは全くの初体験で、まるで初心な中学生のように心臓がドキドキと高鳴っていた。

「…葛西さん」

「ん?」

 無性に手を繋ぎたかったが、男同士という要素が気持ちに歯止めをかける。

「んー、なんでもない」

 それに、こうして並んで歩くだけでも十二分に満ち足りるほど幸せを感じた。


 ニコニコとご機嫌な央弥に、辰真もよく分からないが悪い気もしない。しかし妙な感覚がするのは何なのか。この違和感の正体がなかなか分からなかったが、地上に向かうエレベーターに乗り込んだ時にようやく気が付いた。


 近いのだ。


「…お前、なんか今日は近くないか?」

 別に狭いエレベーターでもない。十分に余裕があるというのに、央弥は辰真と肩が触れ合いそうな距離に立つのだ。

「え!まだ触ってもないのに、だめ!?」

「なんだよ触るって」

「えっ…えーと…」

 手を繋ぐとか。とおそるおそる口にした央弥に対して、辰真は心底不思議そうにする。

「手を繋ぐ?俺とお前が?」

「だって、付き合ってるわけじゃん」

 央弥の言葉に辰真は驚いたような顔をした。しかしその時エレベーターが目的階についたので、無意識のように足を踏み出しながら考え込む。

「そ……そう、なるのか」

 その後を追いつつ央弥も一瞬だけ考え込んだ。

「ちょ、ちょちょちょ!ちょっと!なんだと思ってたわけ!?」

 そして思わず大きな声が出たが仕方がない。こんなにも舞い上がっていたのが本当に自分だけだったと思い知らされて悲しくも恥ずかしくもなる。

「…なんだと…というか、何にも考えてなかった、本当に」

 恥ずかしさで頭を抱えてしまった央弥にさすがに申し訳なくなったが、謝るのも違う気がして気まずさを誤魔化すように頰をかいた。

「あ…その、東丸」

「いいよ別に、いいんだけどさ」

 謝らないで…と冗談まじりに涙を拭く。

「葛西さん、ちなみになんだけど」

 打って変わって真面目な瞳で見つめられて、空気が変わったことに辰真は少しドキリとした。

「俺、下心も含めて葛西さんが好き…なんだけど…もしかして、それもわかってなかった?」

 それも含めて、嫌ではないと思ってくれてる、と…思っていた。真剣に向き合ってくれていると思っていたのに。

「し、下心…」

「キスしたり、抱きしめたりしたいよ」

 周りに人もいる場所でハッキリ言われて辰真は気まずそうに辺りを見回して声量を抑えた。

「い…一緒にいて、好きって言えるだけでいいとか言ってたじゃねえか」

「それも本心だけどさ…分かってないとは思ってないし!」

「わ、分かってたとしても、少なくとも今はそこまでは受け入れられないから」

「それは分かってる!受け入れられるかどうかじゃなくて、理解の話っしょ!俺の気持ち何だと思ってたわけ!!」

 声が大きすぎる。通り過ぎる人々が喧嘩かと不安そうにこちらをチラ見してはそそくさと離れていく。しかし怒らせた手前、叱るような事は間違いなく状況を悪くするばかりだろうし、どうにも言いにくい。

「そんな怒ることか…?」

「…怒ってないよ、悲しいだけ」

「ごめん」

「謝んないでってば」

「……」

 もうランチどころじゃない気分だが、無言のまま二人の足は店に向かう。結局、二人ともその日食べたイタリアンの味など微塵も覚えていないのだった。



【迷走 1 】

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