2015.05.26(Tue) 視えないもの 1/2
【大学生編 16 視えないもの】
[2015年5月26日(火)]
あの事故の後、お互いの親を介して央弥の家から辰真に治療費だけは払ったが、ふたりはしばらく顔は合わせていない。
「このマンガ続きねえの?」
「この前誰かに貸した」
「勝手に冷蔵庫開けていい?」
「いいよー」
またいつもの部屋に集まってグダグダと過ごす。
「…なぁ」
その時、座椅子でずっと黙ったまま目を瞑っていた央弥が唐突に口を開いて全員の視線が集まった。
「なんか良いバイト無いかなぁ…」
「だから俺のロードバイクは後でもいいから焦んなって。マジでやつれてんぞお前」
「俺はチャリ無いと困るけど、安いのでいいよ別に」
「てか親にも借金してんでしょ?病院代」
「いいよ、忙しい方が気が紛れるし…」
いつも飄々としている央弥らしくなく、落ち込んでいる様子に仲間たちは顔を見合わせる。
「教習所は?」
「行ってる、次仮免」
「大学とバイトと教習所は無理だって、お前も怪我してんだろ?」
「まじ何かしてないとヤバいんだって…」
「まさかとは思うけど、聞いていい?失恋でもした?」
「いや、俺も思ったけど、まさか…なあ?」
央弥が黙り込んで頭を抱えてしまったので空気が固まって静まり返った。
「…そう、なのかも…自覚ない…」
「あんま聞かない方がいい?」
「整理ついたら、相談する」
教習所行く、と言って央弥は立ち上がった。
「ま…まじで?」
「え、だれだれ?」
「わかんね、あいつ顔広いし」
「恋愛とかしないタイプだと思ってた…」
「うっわやっべ!なんかわかんねーけどショック!」
央弥のいなくなった部屋では大騒ぎが起こっていたが、当の本人はそんな事を知る由もなく。ただぼんやりと電車に乗り込むのだった。
どうして、好きだなどと口走ってしまったのか。考えるより先に言葉が出ていた。しかし、そのことを思い出すとまたムズムズとおかしな気分になってくる。
困らせたくないのに、言ってはいけないのに、何故かこんなただの言葉を…"好きだと言いたい"というこの欲はどこから湧いてくるのか。これが恋をするという事なのだろうか。
治療費のやり取りの後、メッセージの返事はないし、電話をしても出ない。大学でも見かけなくなって、謝ることも、弁解することも、説明することも、何も許してもらえない。
怪我の具合も、元気にしているのかも分からない。こんなにも気になる。関わりを断ちたくない。これが本当に恋だって言うなら、酷い負け戦だ。
央弥は力なくため息をひとつ溢して教習所の扉をくぐるのだった。
ーーー
辰真の目に幽霊らしきものが視えるようになったのは、あの事故がきっかけだった。
坂の下の交差点で乗用車と衝突して、子供だった辰真の体は5メートルほど宙を舞い、軽い体が幸いして命に別状は無かったが派手に切れた右目の下は3針縫った。
今回は央弥が助けてくれたから、転がっただけの怪我で済んだが、腕は折れた。こんな時期に利き手が使えないと非常に不便だ。
あれは辰真に憑いている霊なのかもしれない。もしかしたら子供の頃からずっと。
そうすると、むしろ巻き込まれたのは央弥の方なのだが、辰真が正直にそう伝えても治療費は払うの一点張り。もう、このまま全て無かったことにしたい。
あの告白も。
――いや、あれは果たして告白だったのだろうか。
なんだっていい、もう何も考えたくない。辰真は怪我で不便なこともあり実家でぼんやりと過ごしていた。
「辰真、ゴロゴロしてるなら買い物してきてよ」
「履歴書の内容考えてるんだよ」
「外の空気吸ったら良いのが浮かぶかもよ」
結局行けということだ。母に逆らえずに外に出るとスマホが着信で震えた。画面を確認してポケットに仕舞う。不本意ながら見慣れてしまった名前だ。連絡を取り続ける義理もない。
もう考えたくないんだ。第一、巻き込んで怪我をさせた上に金まで出させて…合わせる顔もない。
そうだ、これで何もかも元通り。出会う前に戻るだけ。このまま終わりにするのが良い。
……そう思っていたが、同じ場所に通っている上にあちらが意識的に辰真を探しているとなれば、顔を合わせないように避け続ける事は難しかった。
「葛西さん」
歩きスマホをしていると真横から声をかけられて慌てる。
「危ないよ、画面ばっか見てちゃ」
「…ああ」
「手、もう大丈夫?」
「ああ。手首はもうしばらく固定されてるけどな」
気まずくて目が合わせられない。しかし央弥の視線を横顔に痛いほどに感じて、ついに顔ごと逸らした。
「お前も、怪我しただろ…」
「俺は大丈夫」
会話が続かない。この空間に耐えられない。辰真が逃げ出そうとした瞬間、央弥が先手を打った。
「ビビらないでよ。一回ちゃんと話そう」
向き合う事を強要されなければならない関係でもない。たった一言、嫌だと言えば終わらせられるのだ。
辰真は勇気を振り絞って拒否しようとしたが、チラリと視線を向けると真っ直ぐに見据えられて、うやむやにさせる事は許されないと感じてしまった。
「わ、わかったから」
「あんま人がいない方がいいよね」
しかし央弥も到底、冷静とは言えない精神状態だった。こんな風に誰かに執着するのは初めての事なのだ。拒絶されたらどうしよう…そう思うと手が震えた。
「サークル棟の裏行こ。昼間は人いないし」
ぎこちない空気を漂わせたまま2人は無言で歩いた。
何から話すべきか、ぼろいベンチに辰真を座らせて、隣に座るのも憚られた央弥はその前に立ったまま、言葉を探し続けていた。
「……その、まずはごめん」
「それは、何に対して」
辰真はいつも通りの返しをしようとしたのだが、あからさまに冷たい返事になってしまって変な汗をかく。対する央弥もその一言で何か言う勇気が一気に削がれて、長い沈黙を誤魔化すようにズボンで掌の汗を拭った。
「ま、まずは怪我させた事…それから、勢いで変な事言っちゃった事」
「怪我に関しては…むしろ、本当は俺のせいだと思ってるんだけど」
「それは無い!マジでそれはっ…無いから」
央弥は慌てて辰真の言葉を否定すると覚悟を決めたようにじっとその目を見つめた。しかし辰真はこの期に及んでまだ目を逸らそうとする。
「聞いて、葛西さん」
「…聞いてるだろ」
「ちゃんと聞いて、こっち見て」
「なんだよ…。怖いよ、お前」
「なんでそんな怖いって思うわけ?見えてんのに」
――俺は俺の全てを見せた。言葉にしたのは初めてだったけど、今までにも態度で見せてきたつもりだ。
それは俺自身にさえ無自覚のうちに…だったけど。何も隠してないし、不安があればなんでも話す。後は、アンタがそれとどう向き合ってくれるつもりなのか、それだけ……。
「見えてるから怖いんだろ!」
辰真は薄々それを感じながらも、自分の中で答えが出せずにいた。だからそういう雰囲気にならないように逃げ続けて来たのだ。
なのに、それがこんなにも唐突に現実を叩きつけられて、無理やりに向き合わされて。本心では今すぐにでもここから逃げ出したい。
「見えてなかったら?」
「え…」
「見えてなくても、そこにあるんだろ?だったら俺は…」
すう、と息を吸って、央弥は弱々しく瞳を揺るがせた。
「見えないモンの方が、よっぽど怖いよ」
いつでも堂々としていて、何が現れても飄々としていて…。そんな央弥のこんな姿を初めて見る。その事に辰真は酷く動揺した。
――いや…隠してる姿、さっそくあるじゃねえか。
「アンタの心が、見えない事が…一番怖いよ」
今にも泣き出しそうな声にドキリとする。
――泣かないでくれ。そんな気持ちをぶつけられても、俺にはどうする事も…。
「アンタが好きなんだ」
「やめてくれ!!」
――知りたくない。聞きたくない。何も受け入れられない。
「アンタのそうやって知らないフリをする所は悪い癖だ、目を逸らしてたってどうしようもない、嫌なら嫌って言ってくれたらいい!」
「嫌じゃない!」
思わず口から出た言葉に辰真は自身でも驚いた。
「…嫌じゃ、無いから…困ってる」
好きか嫌いかしか無いのか?辰真は何度も言いかけたその言葉をどうにか飲み込んだ。
――分かってるんだ。そうじゃ無いってことは。
「答えが出せないならいくらでも待つよ。ただ、はぐらかさないで、目を逸らさないで欲しいって言ってるんだ」
「……わかってる」
考えるから、と言って辰真は立ち上がった。
「考える時間くらいくれてもいいだろ」
「うん、ありがとう」
それで十分、と笑って央弥は先に立ち去った。
【視えないもの 1】




