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2015.02.05(Thu) 痛み

【大学生編12 痛み】


 [2015年2月5日(木)]




「央弥、今日の飲み行く?」

「おー…」

 呼びかけられてスマホからふと顔を上げ窓の方を何の気無しにチラリと見ると、先輩の姿が見えた。

「わり、後で連絡する」

 そう言い残すと、小走りで階段を降りて中庭を目指す。

「葛西さんっ」

「お、どうした」

「上から見えたから、挨拶しに来た」

「お前って律儀な」

 別にゼミやサークルの先輩ってわけでもないのに、と笑う辰真。

「アンタいっつも1人だよね」

「人付き合いが下手だからな」

「下手っていうか、嫌いなんでしょ」

「まあ好きではない」

 そんな事を言いながらも、当然のように隣に並んで歩く事を容認してくれる事が少しだけ嬉しくなる。どこに行くんだろう?と思いながらついて歩く。

「皆がお前みたいにグイグイ来てくれたらいいんだけど」

「葛西さんって、拒絶の壁がすっげーもん」

「そうか?無意識だな」

 珍しくポンポンと繋がる会話は嬉しいが、どこか違和感を覚えた。

「なんか機嫌いい?」

「ああ、ここんとこ妙に快眠でな」

 気分良さそうに笑っているのはいいが、どうもその言葉とは裏腹に目の下にはクマがあるし、心なしかやつれて見える。

「…あ、そう」

 この前のドッペルゲンガー事件もあるし、釈然としない気持ちで会話を切り上げた。

「んじゃ、俺こっちだから…あの、葛西さん」

「ん?」

「連絡してね。何かあったら」

「はは、だから何かってなんだよ」

 こんな会話で笑うなんてあり得ない。絶対にいつもの辰真ではない。そう思いつつも踏み込みすぎて距離を測られるとまずいので、央弥は大人しく次の講義へ向かった。



 ーーー



 翌日、辰真は原因不明の怠さで起き上がれずにいた。

 熱も無いし、吐き気も寒気もない。それなのにベッドに根が張ったように体が重く、どんなに頑張っても起き上がれない。

 頭の中は「なんで」「どうして」でいっぱいだ。起きなければ。大学に行かなければ。そう焦れば焦るほど泥の中に沈んでいくように手足は重くなっていく。

 スマホが鳴っていたが、画面を確認する気にもなれずに寝転がったまま、永遠に思考だけが続く。こんなんじゃだめだ。大学に行かないと。誰かから着信がきてる、ゼミの人かも、体が重い、どうして…。

「う…」

 せめて眠れたらどんなに楽か。しかし意識は嫌というほどハッキリしたまま、ただただ、起き上がることができない。

「うう…っ」

 言いようのない不安感が襲ってきて、心臓がざわつく。このままじゃ、俺はどうなってしまうんだ?

 起き上がれず、講義をサボって、連絡も無視して、元から友達なんか少ないのに、とうとう誰からも見捨てられて…。



 ーーー



 その日、3日ぶりにその姿を見かけた央弥は思わず二度見するくらいに驚いた。前回会った時とは比べものにならないほど、あきらかに辰真がやつれていたからだ。

「ちょ…待った待った!」

「ん?東丸か、どした?」

 央弥の驚きとは裏腹に機嫌の良さそうな笑顔と口調で返事をする辰真。

「どしたも何も、今にも倒れそうじゃん!」

「大袈裟だな」

 そう言っておかしそうにからからと笑っているが、その足元は頼りなくふらついている。それに、どうやら無自覚のようだが首に引っ掻いたような傷があった。

「…ねー葛西さん、今日、そっちで宅飲みしたい」

「は?うちでか?急だな、いいけど」

 前回と同じく妙にご機嫌な辰真は、普段なら絶対に承諾するはずもない提案をあっさりと受け入れた。



 まだ二度目の訪問だが、前回とは明らかに部屋の様子が違う事に鈍感な央弥もすぐに気が付いた。

 電気をつけても妙に薄暗い。それに、いる。寝室の扉の前に黒い影がモヤモヤと。

「…葛西さん、塩ある?」

「はあ?」

「ちょっと借りる」

「待てって、おい?」

 勝手にズカズカと上がり込み、キッチンの戸棚にあった食塩を乱暴に寝室の扉に撒き散らす。

「おい、何してんだこら!」

「いいから清め塩も!早く!どうせ持ってるっしょ!」

 反射的に止めようと大声を出した辰真だったが、反対に央弥の剣幕に圧されて驚いたように黙り込んだ。普段は犬のように人懐こくて忘れそうになるが、ガタイの良い央弥が凄むと本当に怖いのだ。

「大声出してごめん 。お清め塩、持って来て」

「…お、おう」

 まだ状況を把握しきっていないまま、辰真はとにかく引き出しから清め塩を持って来た。

「やっぱ持ってんだ」

「塩で清めるとか気休めだと思ってるけど…念のため常備してる」

「そういうので良いんだよ、きっと」

 思い込みの力は大切だ。もう影は見えなくなったが、寝室の前から部屋全体にパラパラとそれを撒いてみる。こんな使い方で良いのかさえ分からないが、部屋が明るくなったような気がした。

「…ふう、こんな感じか?盛り塩とかどうすんだ?」

 その時、背後でゴンッという重い音がして振り返ると辰真が仰向けに倒れていた。

「ちょっ、葛西さん!?」

 頭を強く打ったのではないかと心配したが、まさに憑物が取れたという表情で気持ち良さそうに眠っている様子にほっと胸を撫で下ろす。

「ビビったぁ…」



 翌朝、ベッドの中で覚醒しきらない頭のまま目を開いた辰真はいつのまに帰って来たんだったかと考えて、しばらくしてから央弥の事を思い出した。

 ――そうだ、あいつが急に家に来たいと言い出して、それから…。

 記憶をなくすほど呑んだのか?一切思い出せない。その割には別に二日酔いでも無いが。

「…おま、そんな所で寝てたのか」

「ん、おはよー」

 大きな体をソファー型の座椅子から完全にはみ出させている状態で寝ていた央弥は眠そうに目を擦った。

「悪いな。体痛くなってないか?」

「だいじょぶ、てかアンタこそ、もう大丈夫?」

「ああ、記憶をなくすほど呑んだらしいが…全く平気だ」

「呑ん…?」

 その言葉に央弥は首を傾げかけたが、慌てて話を合わせる事にした。この部屋に良くないモノが現れたなど、覚えていないなら知る必要もない。

「まあ二日酔いになってないなら良かったじゃん」

「そうだな」



【痛み 完】

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