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2016.05 某日 郵便受け

【未来の話:郵便受け】

 ※少し流血注意


 [2016年5月某日]




 最近、仕事で疲れてる辰真さんの為に晩ご飯を作っておくのが日課になってる。今日は俺自身の気分転換も兼ねて、ちょっと時間のかかる料理を作ってみた。

 よし、あとは粗熱が取れたら冷蔵庫に入れて…。

「…ん?」

 カタリと玄関の方で物音がした気がして顔を上げる。

「辰真さん?おかえり?」

 妙に早いな、と思いつつ玄関に続く廊下の扉を開けてみたが誰もいない。気のせいだったか。

 扉を閉めて戻ろうとするとカサッと紙が擦れるような音がした。再び玄関を振り返ると、扉に付いてる郵便受けの口が開いていて、誰かの目が覗いていた。

「…誰?」

「入れて入れて」

「無理」

「いいなぁいいなぁ」

 どこからついて来たのか。今日はそんな変な道を通った覚えはないというのに。郵便受けはマンションの入り口に新しいものが設置されていて、この扉にくっついているタイプは今はもうただの飾りになっている。

 隙間から手を入れようとしているそいつを無視して、郵便受けに入れられた手紙を手に取った。宛名も無ければ、差出人の名前もない。十中八九こいつが入れたんだろう。念のため捨てる前に中を確認しとくけど。

 こんなモン、辰真さんが見つけて怖がらせてしまう前に処分だ。のり付けが甘めなので封筒の口をそのまま開こうと隙間に指を差し込んだ。

「いって!」

 何が起こったのか理解するよりも先に、右手の指先に走った鋭い痛みに手紙を取り落とす。しまった、まんまとしてやられた。カミソリの刃が仕掛けられていたようだ。

 こういう時に慎重さのカケラも無い自分を反省しても時すでに遅し。深く切れた人差し指からボタボタと血が流れ落ちる。

「あ、っと…」

 ふらっと目眩がして膝をついた。

「笑ってんじゃねぇし…くそっ」

 頭から、指先から、足から、血の気が引いていく。

「はぁ…あー大丈夫。大丈夫」

 壁に頭を預けて深呼吸を繰り返す。心臓がドクドクとうるさい。

 デカい体をしてるくせに、俺は血が苦手だった。こんな小さい怪我で腰が抜けるなんて情けない。イタズラが成功して満足したのか、ひとしきり笑ったあと変な奴の気配は無くなった。

 その時、チャリチャリと聴き慣れた鍵の音が遠くの方でして心底ホッとする。辰真さんが帰ってきた。取り繕う気もなくなって、玄関でへたり込んだままその人を待った。

「おわっ、びっくりした」

「おかえり」

「どうした、大丈夫か?央弥?」

 辰真さんは座り込んでいる俺を見るなり、靴も脱がずに心配して駆け込んできてくれた。

「おい、顔が真っ青だぞ」

「うん…」

 俺に目線を合わせるようにしゃがんだその肩にもたれこむ。ようやく深く息が吸えた気がして、力が抜けた。

「おま、血が…なんだこれ、封筒?」

「触らないほうがいいよ。俺が後で片付けるから」

 落ちてる封筒を拾おうとしたその手を止めさせる。

「…手当てしてやるからちょっと待て」

「うん」

 辰真さんは何も言わずに俺の頭を肩に乗せたまま優しく撫でてくれて、空いてる手で器用に後ろ手に靴を脱いだ。

「立てるか?」

「うん…ごめん」

 肩を借りてフラフラとベッドに腰掛ける。ティッシュや消毒液を棚から出しながら辰真さんは不思議そうに聞いてきた。

「お前、前は血平気そうにしてなかったか?」

「基本大丈夫だよ。人並みだと思う…グロ画像とかも平気だし…あーでも、血ってか刃物が苦手なのかも」

「料理するのに?」

「包丁はちょっと怖いけど、今から使うって思って使ってるし、毎日だから慣れてる」

 ちなみに実は包丁よりピーラーの方が怖くて使えない。


 あとは普段大丈夫なモノでも怖いと感じてしまったらダメだ。割れたガラスとか、それこそカミソリとか。不安なスイッチが入ってしまうと普段は平気なレベルのモノも一切無理になる。

 今回はそれが予想外の所から来たから大ダメージだった。

「横になるか?」

「はは、俺そんなにひどい顔してる?」

「こんな時に無理して笑うな」

「もう大丈夫だよ」

 辰真さんは俺の前にしゃがんで手を出した。大人しくその手に怪我をした右手を乗せる。もう傷口の血は固まっていた。



 ーーー



 央弥の指先は氷のように冷たい。平気だと本人は言っているが、指先も顔も、血の気を失って白く、吐く息も小刻みに震えている。

 まさかあの怖いもの知らずのこいつにこんなに苦手なものがあるとは、想像もしていなかった。まあ刃物なんて、それこそ包丁を除けば普段そんなに触る機会もない。ハサミくらいか…。いや俺はハサミも滅多に使わないな、そういえば。

 髭剃りも今は電気シェーバーは安全で便利だし。

「傷に触るぞ」

 乾いた血を濡らしたティッシュで拭き取ると痛々しい切り傷が露わになった。結構ザックリいったんだな。他人の傷を目の前で見ると俺までクラリと気が遠くなりそうになる。

 なるべく無感情で消毒液に手を伸ばそうとした時。

「あ、ま…まって」

「央弥?おっ…と」

 グラリと東丸の体が揺らいだので慌てて膝立ちになってデカい体を下から支えた。息が浅い。

「バカ、傷を見たのか」

「はっ…はっ…」

「深呼吸しろ。ほら、そんな痛くないだろ」

 大丈夫大丈夫、痛くないと唱える。グイッと押し上げるように体を起こさせて、そのまま仰向けにベッドに寝転がらせてやると左腕でしがみつかれた。

「消毒するから、ちょっと離せ」

 体を離すと央弥の目にはうっすらと涙が溜まっていた。その目で見つめられて不覚にも何かが胸元にグッと詰まるような感じがしてしまう。

 ま…まさか弱っているこいつを可愛いと感じる日が来るとは。別に恋人を可愛いと思うことは悪い事では無いのだが、これじゃ加虐趣味のようだ。まさかそんな…と、俺は咳払いで自分を誤魔化した。



【郵便受け 完】

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