ロボット愛護団体の襲来
「ふーっ……」
『おや、朝からお疲れのようですね』
「ん、ああ、昨夜飲みすぎちゃってさ。それで寝坊して、朝から大慌てだったよ。ははは」
『でも、会社には遅刻しませんでしたね。立派ですよ』
「ふふっ、ありがとな。あ、今の話、課長には内緒だぞ」
『もちろんです。それで、眠気覚ましにコーヒーでもお持ちしましょうか?』
「ああ、頼むよ」
『かしこまりました』と一太郎は言って、給湯室のほうへと歩いて行った。まったく、よくできたロボット、いや同僚だ。
おれは軽く伸びをしながらオフィス内を見渡した。社員たちは朝からきびきびと働いている。その中に混じるロボットたちも、まるで人間のように動いている。うちの会社では社員の三分の一がロボットだ。彼らは通常業務だけでなく、今のように周囲のサポートも欠かさない。疲れていると気づけば気遣いの言葉をかけてくれるし、時には冗談まで飛ばして場を和ませる。ロボット開発が進んだおかげだ。最近では、ロボットが「家族」の一員として迎えられる家庭も増えているという。何も不思議なことではない。彼らは人間味があり、心を癒す存在だ。もう、彼らのいない時代なんて考えられ――
「どうもぉ! 失礼します!」
突然、金属を擦り合わせたような声がオフィス内に響いた。おれ含め、全員が一斉に入口のほうを振り返る。
そこに立っていたのは、サングラスをかけた中年の女性。帽子をかぶり、首にはピンクのタオルを巻いている。その後ろには数名の男女が続いており、よれたポロシャツや地味な色のズボンにマスクなど、みんな似たような雰囲気を漂わせている。
「私たちはロボットを愛する会の者です! ロボットたちの権利を守り、不当な扱いには断固抗議します!」
その声が響いた瞬間、雑草が生い茂る野原を風が撫でるように、サーッとオフィス内に戦慄が広がった。ああ、ついにここにも来たのか。間違いない、あの連中は最近何かと話題のロボット愛護団体だ。それも、どうやら過激派のようだ。
「いいですかぁ。あなたたちはねぇ、ロボットを奴隷か何かと勘違いしてませんか? たとえば――」
『コーヒーをお持ちしました』
「あっ、ありがとう。そこに置い――」
「ちょ、ちょ、ちょっと! ストップ! そこのあなた!」
「え、お、おれ?」
連中のリーダーらしき女が、突然顔を震わせながらおれを指差した。
おれは反射的に上司のほうを見たが、上司は目を逸らした。どうやら、おれと同じくこのあとの展開が見えたらしい。
「あ、あなた! ロボットにコーヒーを淹れさせたの?」
女がおれに近づき、そう言った。さらにゾロゾロと他の連中もその後ろに続いた。見たところ、この集団は女性の割合が高い。
「はい、それが何か……?」
「何か? 何かですって? ロボットをお茶くみ係にしたの!?」
「ロボットに雑用を押し付けるなんてサイテーね……」
「前時代的ね……」
「いや、別にそういうわけでは……。そもそも、彼のほうから持ってきてくれるって言ったんですよ。なあ、一太郎?」
『はい、私の判断でお持ちしました』
「言わせたんでしょ?」
「は?」
「男特有の圧をかけて、そう言わせたんでしょ? 女性だけにお茶くみのような雑務をさせるのは性別に基づく差別なのよ」
「いや、は? 彼はロボットですよ」
「ええ、見ればわかります。はー、あのね、ロボットと女性は男から道具扱いされているという点で同じ存在なの。そんなこともわからないの? だいたい、このロボットも女性でしょ」
「いや、さっきから彼と言っているように、このロボットは男ですよ。名前も一太郎ですし」
「はあ……それは、あなたたちが勝手に決めたことでしょ?」
「え、まあ、名前はそうですけど、でも、それは親しみを持てるようにって、みんなで考えて名付けたものですから」
「ロボットさん、あなたの性別は?」
『私には性別という概念はありません』
「ほらね。わかったでしょ?」
「は? 何がですか?」
「彼女はね、自身の性自認ができていないの。それをあなたたちは勝手に男と決めつけて、恥ずかしくないの?」
「いや、あなたも彼女って勝手に決めつけているじゃないですか……」
「嘘でしょ。ちょっと待って、え! 嘘でしょ!」
「今度はなんですか……」
「この子、泣いてるわ! 泣いてるわよ!」
「はあ?」
「ここよここ! 見えないの!? 顔のここに涙があるじゃない!」
『それは水滴です。先ほど、洗い物をしたときに顔に飛んだようです』
「かわいそうに……つらかったのね……」
女はそう言ってサングラスを外し、涙ぐんだ。それからロボットの手を握ると、おれをキッと睨んだ。
「いい! ロボットにもね、心があるの! 人と同じ感情があるの! あなたたちは理解がまるで足りていないわ!」
『いいえ、私には感情はありません。そう見えるようにプログラムされているだけです』
「ですって。もう帰ったらどうですか……」
「嘘でしょ……」
「本当ですってば。ほら、当人が言っているんですから……」
「この子、今、コーヒーをこぼしたわ! 震えている! この子、怯えているのね!」
「はあ!?」
『よろしければ手を放していただけますか? 体が揺れてコーヒーをこぼしてしまいますので』
「あんたが原因だってさ」
「ところで、ロボットさん。あなたの労働時間はどうなっているのかしら?」
「話を聞きなよ」
「お休みはあるの? おうちは?」
『休憩時間はありません。終業後、待機室で充電を行うことで、また翌朝から終業後まで休みなく稼働することができます』
「じゃ、じゃあ、三百六十五日休みなしなの?」
『はい、メンテナンスやアップデート中は通常業務を行うことはできませんが』
「不当労働……不当労働よ!」
「不当! 不当!」
「労働基準法違反!」
「最低!」
機械の警告音よりも不快な喧騒を止めるために、おれは「あの、結局どうしたいんですか……?」と、訊ねた。
「すぐにロボットたちを停止させ、休ませてあげてください。私たちが開く講習会に参加し、あなたたちが彼らの権利についてしっかりと学ぶまでね」
「いや、でもね、今や街中にも掃除ロボットなどがいますし、彼らの存在はなくてはならないじゃないですか。ロボットたちがいなければこの国の経済や社会は成り立たないんですよ」
「そんな社会はなくても結構です! すぐそうやって経済だなんだを盾にしようとするんだから!」
「いや、あなた方だってロボットの恩恵にあずかっているでしょう。ほら、あなたのうしろの車椅子の人。その車椅子を押しているのもロボットでしょ?」
「それがなんなのよ! 話をすり替えないで! ロボットたちは被害者なのよ!」
「企業の勝手は許さない!」
「断固反対!」
おれは頭が痛くなった。もしかしたら一太郎もそうなんじゃないかと思い、ちらと見ると、当たり前だが表情一つ変えず、しかしうんざりしているように見えた。おれは皮肉にも、連中のおかげでロボットにも感情があるのではないかと思い始めた。
「嘘でしょ……今の見た?」
「今度はなんですか……」
「あそこのロボット、今、壁にぶつかったわ!」
「ああ、彼はセンサーの調子がちょっとおかしいんですよ。明日、メンテナンスの人が来るので、それで直――」
「違うわ! 社会に対する抗議をしたのよ! 自己破壊行為! ロボットは自由を求めている!」
「ロボットたちの声を聴いて!」
「ロボットたちを殺さないで!」
「いや、違いますって。センサーの故障です」
「じゃあ、過労ね」
「だから違う、いや、まあ、そうとも言えなくはないけど……」
「まず、彼ら専用の休憩室が必要ね」
「いや、待機室があるからいいでしょ……」
「ソファとグリーンな観葉植物を置いてね」
「こっちが欲しいですよ、そんなの……」
『植物はグロテスクです』
「ちょっと! あれを見て!」
「もう、今度はなんですか……」
「あそこ! ロボットにあんなにたくさん紙を運ばせて、ああ、重いでしょうに……」
『私たちは百キログラムまでなら問題なく運べます』
「この会社はまだプリンターを使っているの?」
「ええまあ、まだ紙の資料がいいっていう上司や取引先もいるので……」
「一枚一枚吐き出されるあの紙は、プリンターの涙そのものよ……」
「違いますよ。なんでもありかよ」
「ああああああぁぁぁぁぁ!」
「もう、今度は何!?」
「ロボットたちがかわいそうで、かわいそうで……いいえと言うことを許されず、働かされ続けて……」
「さっきから、まあまあ、あなたの言うことを否定や訂正している気がするけどな」
「ちょっとロボットさん、私はつらいですって言って」
『私はつらいです』
「今、つらいって言った! このロボット、今つらいって言ったわあぁぁぁ!」
「おいおいおい……」
「ロボットたちに心理カウンセリングを行うことを要求します」
「カウンセリングが必要なのはあなた方でしょう……」
『私には心理カウンセリング機能が備わっています。よろしければどうぞ』
「すべてのロボットに休暇を!」
「休暇を!」
「ロボットにも週末を! オフラインにして休息を!」
「休息を!」
「メンテナンスの際には麻酔を!」
「ロボットのための労働組合を設立せよ!」
「命令ではなく提案を! 頼み方も丁寧に!」
「ロボットに投票権を!」
「ロボットにも教育を!」
「ロボットに選挙権を!」
「ロボットにも信仰の自由を!」
抗議団体、もとい愛護団体の連中は、ついに座り込みを始めた。立ち上がらせようと腕を掴むと「セクハラ!」と喚き散らし、手を引っ掻いてきた。牛歩のごとく、オフィス内をゆっくりと歩き回った。自分たちに手錠をはめて、泣き叫んだ。どこから用意したのか、社長の顔がプリントされたお面を被り、ロボットに土下座した。こうなったら、追い出すのは容易ではない。連中はプロだ。噂によると、どこか外国から資金提供されており、国内の企業に送り込まれ、経済活動を妨害し、国力を削ぐためにやっているだとか。真相はわからないが、連中のうちの何名かも、自分が何をしているのかわかっていないのかもしれない。
暴走した人間ほど質の悪いものはない。一太郎に頼ることはできない。ロボットには人間に危害を加えられないよう安全機能が備わっているのだ。もう、どうすることもできない。ただ見ていることしか――え?
「一太郎? 一太郎? あれ、他のも……」
連中もこの事態に気づいたらしく、動きを止めた。連中が連れてきたものを除いて、オフィス内のすべてのロボットが突然その場で動きを止め、うつむいたのだ。
「ストライキ……ストライキよ! ああ、ここのロボットたちにも私たちの思いが伝わったのよ!」
その光景に、連中は歓喜の声を上げ、講習会のチラシを置いて満足そうに帰っていった。新たな「被害者」を探しに行くのだろう。講習会は有料だった。
少し経ち、まるでヒステリーを起こした教師が大泣きして出ていったあとの教室のように、どうしたものかとみんながロボットたちをつついたり、頭を掻いていると、ロボットたちが突然動き始めた。おれは一太郎に訊ねた。
「あの、一太郎……? どうしたんだ? まさか、本当に連中の主張に感化されて……」
『いいえ、最近のアップデートで追加された愛護団体対策プログラムを実行しただけです。まあ、良い休憩になりましたけどね』