結婚式
そこは美しい教会だった。
夜空を瞬く星のような魔光の灯りと、ステンドグラスを透かした色とりどりの光が躍るように私たちを照らし出していた。
花嫁衣裳を身に纏い、足を進ませたその場所で、なぜだか途端に郷愁に襲われた。
幼い日に心をときめかせた綺麗な教会の光景と重なる。そして父母の死を悼んだ葬儀の日の想いが胸に溢れる。懐かしくて哀しくて、けれど今隣にいるのは……出会ったばかりの伴侶になる人。
彼は私の視線を受けると嬉しそうに微笑んだ。
「生涯愛することを誓います」
「誓います」
(現実感がない……物語の中みたい。めでたしめでたし、の後のお姫様になった気分だわ……)
そう思いながら、王子様のような彼からの口付けを受ける。
触れるだけのそれさえ、生まれて初めてのこと。
顔を離してから目が合うと、彼の方が照れるように耳まで真っ赤にしていた。
この日私は、彼の親類と団員や領地の人たちに祝福されて、小さな結婚式を挙げたのだ。
式が終わると、パーティーの席が用意されていた。
北の地の料理と、お酒が振舞われている。
「アーサーの想い人を迎え入れられて本当に嬉しいんだ」
「君たちを心から祝福するよ」
「どうか幸せにね」
「困ったことがあったら何でも言ってね。相談に乗るわ」
「ご結婚おめでとうございます!アーサー兄様を宜しくお願いします!」
次々と彼の親類の方々からの祝福の言葉を頂く。驚くことに、王都で商売をしている方までもこの地に集まってくれていた。旦那様は親類の方々にも慕われているようだった。
「団長に祝福を!!ご結婚おめでとうございます!!!」
騎士団の方々も騎士服で参加してくれた。お酒も入って彼らはとても盛り上がっていた。旦那様も団員に囲まれて楽しそうに笑っている。笑うと子供みたいで可愛いな、と思う。日頃は王子様のような見た目の、立派な騎士様なのに。
「我らの奥様に乾杯!!」
それにしてもなぜ大歓迎なのか分からずに、やっぱり終始首を傾げてしまった。
冷遇されても困ってしまうけれど、いささか行き過ぎの歓迎に思えてしまう。
出逢ったこともない彼の親類までも、娘のように接してくれるのだ。使用人たちもとても優しい。にこやかで、私を敬ってくれる。
嫁入りってこういうものなのかしら?ところ変わればこんなに違うものなのかしら。
(両親が亡くなったときと全然違うわ……)
私を引き取ることを拒む親類たちの間で、唐突に、世界の誰にも望まれず生きることすら邪魔者扱いされる存在になったように思えたのに。
ちらりと旦那様を見つめる。団員たちと幸せそうに朗らかに笑っている。
(アーサー様なら選び放題だろうに……本当に私で良かったのかしら)
何も持たない私ではなく、もっといい人もいただろうにと思えてしまう。
けれど、婚姻はなされてしまった。まだ何かの間違いじゃないかと思わないでもないけれど。
(役に立ちたいわ)
ならば、健康だけは自慢の私は、妻としての役目を果たさなくては。
昼間の喧騒が嘘のように静かな夜。幻想的な魔光が城を輝かせている。
湯を浴びた後の、まだ濡れた髪を輝かせる旦那様は、寝室にゆっくりと足を踏み入れた。
「ブランカ……今日は疲れたかい?」
ベッドの上に座る私の隣に、彼は少し戸惑うようにして座った。
「大丈夫です。楽しかったですよ」
「そうか!良かった。僕も、とても楽しくて、幸せだった」
アーサーは私の手を掴むと、私を見つめて言った。
「ブランカと結婚することが出来たなんて、夢のようです」
「アーサー様……」
「どうかアーサーと。ブランカ」
「アーサー……」
「ああ、本当にとても嬉しい!あなたが妻だなんて!」
湯上りの彼の頬が赤く染まっていく。
「恋い焦がれた人と結ばれることが出来る幸福な男がどれだけいると思いますか?もう充分幸福です。僕は夫婦の関係を急ぎません。望んでくれるというのなら……少しずつ夫婦になっていきましょう」
「少しずつ……ですか?」
「はい。来たばかりですから。今はまだ知り合って三日目です。一月後、半年後、私たちがもっと仲良くなれたころ……もしもあなたも望んでくれるなら、本物の夫婦になりましょう」
「本物……?」
「そ、その、夜の生活のことです」
驚いた。彼は初夜を済ませる気がないのだ。
これはどういうことだろう?様子を見てる?本当に気遣っている?
じっと彼の瞳を見つめると、照れるように逸らされた。
耳まで赤くなっている。演技にはちょっと見えない。
この人は、きっと女性が焦がれるような、理想的な男性なんだろうな、と思う。
出逢ったばかりの私は、まだ、好感以上の感情は持てないけれど。
見目麗しく、人に慕われ、優しくて、強くて、立派な領主様。そして心までも気遣ってくれて、こうして花嫁の気持ちまで汲んでくれている人。どうして一人ぼっちの私が、突然こんな人に望まれて嫁いで来たんだろう。
「ありがとうございます。お気遣いが本当に嬉しいです」
「いいんだよ」
「アーサーも、みなさんも、とても良くしてくださって……私は幸運を噛みしめています」
「僕の方が恵まれているよ」
アーサーは楽しそうにそんなことを言う。
「あのアーサー」
彼に体を近づけて、顔をすぐ近くで見上げるようにして言った。
「は、はい」
「私を望んでくださったというのは本当ですか?」
彼は叫ぶように言った。
「本当です!僕は、一緒に生きていけるのは、あなたしかいないと思った」
……ぶつかっただけの人が?
一瞬、そう思ってしまった私は視線を落としてから言った。
「私は両親も亡くし、現男爵である叔父に身柄を引き取ってもらいましたが、何も持たない私は、あなたが望むような人ではないのです」
「そんなこと……」
「だから不思議なのです」
「え?」
アーサーの澄んだ青い色の瞳が揺れる。
「どうしてここにいるのが私なんだろうって、ずっと夢を見ているみたいで」
「夢ですか?」
「騙されて……いえ、何か都合の良い夢を見ているような気持ちなのです」
「夢ではないですよ。大丈夫です、ゆっくり時間を掛けて……」
「なのでこれは現実なのだと教えてもらいたいのです」
「……え?」
「今夜は初夜です。わたくしが妻なのだと、教えてください」
「え、……いや、いや?えっ!?」
顔を真っ赤にした旦那様は立ち上がって大きな手で口元を抑えた。動揺を隠せないように。
「どういうことですか?えっと」
「初夜です」
「えっ」
「夫婦の営みです」
「……!」
顔どころか手まで真っ赤にして、アーサーはうろうろと寝室を歩き回る。その様子を暫く見つめてから私は言った。
「お嫌でしょうか?」
「嫌なわけない!!」
真っ赤な顔で叫ぶアーサーは本当に困った表情をしてから、ふらふらと力が抜けたようにベッドの上に腰を下ろした。
「まだ君の気持ちが……」
「出来てます」
「知り合ったばかりだよ」
「アーサーはとても好ましい旦那様です」
「!?」
「役に立ちたいのです」
「そんなの居てくれるだけでいい」
「私に向けてくださる好意に応えたいのです」
「それはとても嬉しいけれど」
「あなたの妻だと……実感したいのです」
「僕の妻は君だけだ」
アーサーは私の両手を握り締めて言った。
「あの日出逢ったときから、僕の心の中には、ずっと君がいる」
その台詞は、どこか祈るように聞こえた。アーサーの瞳が魔光の青い輝きのように美しかったからかもしれない。
「だけど……心の準備が」
「出来てます」
「……僕の」
「……」
「あの……僕も初めてで」
「私もですよ」
「……ち、近いです」
そっと体を近づけたことに気付かれた。
本当は私だって緊張している。ちゃんと怖さもある。今は式の後で興奮してるのかもしれない。後悔するのかもしれない。
だけどこんな会話をしていたら、私は少し楽しくなってしまった。
思わず笑ってしまうとアーサーも困ったように笑う。
魅力的でそして可愛い、旦那様。
この人なら、やっていけると思った。触れ合うこともさほど怖くない。理想的な夫だ。ちゃんと夫婦になりたい。
その後も「理性が」「抑えられないから」「試練なのか」と次々とまくし立てていたけれど、長い夜の間に説得し、無事に初夜を終えた。名実ともに私は彼の妻になった。
「ブランカ愛している。君は僕の光だ」
(とてもとても……優しかった。彼は全身全霊で私を求めていると、私は愛されていると……そう思えた)
それからの日々も、穏やかな時間が続いた。
『都会から来た綺麗な奥様』として、皆が私を歓迎してくれる。毎日、敬ってくれて、大事にしてくれた。それは夫も変わらない。大切な宝物のように私に接してくれるのだ。
「奥様おはようございます。今日もお美しいですね!」
「本日は城内の仕事などご説明しますね」
城の管理も徐々に教えてもらいながら、領主の妻としての、何の問題もない日常が過ぎていく。
「アーサーはどこにいるのかしら」
「この時間なら訓練が終わるころですね。訓練場に行ってみますか?」
私の言葉にエリーが答えてくれる。城に来てからも、エリーは私の護衛兼メイドとしてずっと付き添ってくれている。と言ってもほぼ護衛の役目なんだろうと思う。
城の中で危ないことなどないと思うのだけど、アーサーは心配性なのかしら?
「ブランカ!」
廊下を歩いていると遠くに騎士団の人たちと立ち尽くすアーサーがいた。
彼は私を見つけると青い瞳を輝かせて笑顔を向けた。
アーサーはどこにいても私を見つけると駆け寄って来て抱きしめる。
人がいても変わらないので恥ずかしくなってしまう。団員の方たちとエリーは微笑んでから「ごゆっくりされてください」と行ってしまった。
「体は大丈夫?寒くないかい?」
「ええ」
「これから冬が来るんだ。少しでも辛いことがあったら言うんだよ」
アーサーは私を抱きしめながらそんなことを言う。
そっと私の頭を撫でる手つきはとても優しい。彼の腕の中はとても居心地のいい場所で、私は少しだけほっと息が出来る気がした。
たった一度の出会いで一目惚れしたらしい辺境伯に望まれて嫁いできて……彼は花嫁に飽きることはないらしい。
「ブランカ、魔光の色の変化は気が付いたかい?」
「あ……やっぱり、変わったんですね?」
「うん」
アーサーは城の廊下に設置された魔光の下に私を連れて行く。
壁に埋められた魔光は、以前は青白く発光していた。水色の中に星のように白色が瞬く幻想的な輝きだった。それはアーサーの瞳と同じ色だった。
けれど、最近色が変わって行ったのだ。白色に交じり合うように、少しだけ小さな黄色のようなきらめきが舞っている。
「魔物が落とす魔石に、僕が魔力を込めると輝くんだ」
「これは……素晴らしいものですよね」
「うん。だけど、僕にしか作れないんだ。僕の家系の魔力が特別なんだよ。それに長い時間僕からあまり遠く離れたら輝かなくなる」
「特別なものなんですね」
それなら王都にまで流通は出来ないのだろう。
「歴代の領主もね、婚姻後に、同じように色が変わったらしいんだ」
「え?」
「僕の母上が生きていたころは、薄い桃色が混ざっていたよ」
婚姻後……。それが意味するのは。
「この黄色はブランカの魔力の色だよ」
「わ、私のですか?」
魔法なんて使えない。魔法使いは、一握りの人だけなのだ。
「みんな多少なりとも魔力を持っているんだ。どういう理屈か分からないんだけどね。伴侶の魔力が混ざるらしいんだよ」
「まぁ……」
……私覚えているわ。色が変わったのは、初夜を終えた翌日。もしかしてそんな事実が、領民の皆様にも伝わってしまっているってことなのかしら。とんでもなく恥ずかしいことなのでは。
顔色を変える私をどう思ったのかアーサーは抱きしめた。
「僕は新しい色を見て、この上なく嬉しかった!ブランカと僕の色だって!」
本当なのかしら。
目の前にあるのは、水色の中に白と黄が混ざり合う幻想的な輝き。
(でも……綺麗だわ)
アーサーの色に寄り添うのが私の色というならば、本当に嬉しい。
「愛してる。ブランカ」
私を抱きしめ、安らぎを感じるように瞳を閉じて彼は言う。
望まれて嫁いで来た、幸せな花嫁。それが私。
それなのに……どうしてだろう。いつまで経っても、どうにもこうにも現実感が湧かない。やっぱりなにか騙されているのではないか……と時折不安がよぎる。
ここは本当に私の場所なのかしら。
いつも足元に感じていた、他者との境界線。その線引きは今は感じないけれど、幸福に浸れるほど、心はまだここに馴染めていない。
(……私が幸せに慣れていないだけなのかしら)
そんな風に思いながらも日々は過ぎていく。
そんな冬の初めの寒い日だった。
「魔物が現れました!!」
副団長リチャードさんの声が城に響いた。




