4. すべてのものが入り交じる街
「ここからは言葉を慎め。少しでも中の役人に怪しまれたら、手形を取られて女衒を続けられなくなっちまう」
「……心掛けます」
そういう理由ならば仕方ない。
余計なトラブルを避けるためにも、言葉遣いは改めたほうが良さそうだ。
流れ着いた罪人や貧民街の娘のみならず、血筋の良い、身代を失った家門の娘が売られることもある女の牢獄。
……『雨催いの花街』。
高壁で一切を覆い隠す花街は通常、大門と呼ばれる出入り口がたった一つだけ設けられ、昼夜問わず詰所にて監視する。
それはどこも同じはず……だったのだが、ここ三ツ島にある『雨催いの花街』だけは、南北にそれぞれ一つずつ、計二つの大門を備えていた。
「外側から出入りできる唯一の門は、『南の大門』。一般街と花街を行き来するためのものだ」
「目の前にあるこの門ですか?」
「そうだ。ここから花街に入る」
千歳達が今いるのは、一般街。
目の前にあるのは『南の大門』、――複数の柱に冠木を渡し、本瓦葺きの切妻屋根を被せた『人間用』の高麗門である。
外側から出入りすることを目的としたその門は、一般街との間を隔てる花街の高壁に備えられており、ここを通らなければ、雨催いの花街へは行けないらしい。
「では、涅家の屋敷に行きたい場合は?」
「涅家に出入りするためには、花街の内側を囲う高壁……特別な手形が必要な『北の大門』を通らなきゃならねぇ」
花街を介した、内と外。
まとめると、外側にある『南の大門』は一般街に、内側にある『北の大門』は涅家のある場所に繋がっている。
用途に応じて二つの大門を行き来する、ということのようだ。
「じゃあ入るか。頼むから、それっぽくしてくれよ?」
「勿論です」
詰所に手形を見せ、ぐいっと腕を引っ張り罪人を引っ立てるようにして、南の大門へと引きずり込む。
「芸妓に娼妓、咎人、あやかし……ここから先は、すべてのものが入り交じる」
賑賑しさに慣れない千歳の目の端を、あやかし達がすり抜けていく。
「……たまに人を襲うヤツもいるからなぁ」
花街は活気であふれ、明らかに人でないものも散見される。
なるべく関わりたくねぇんだよなと嫌そうにする松五郎だったが、歩みを進めるうちに、千歳の腕を掴む手がじっとりと汗ばんできた。
「おい……何かおかしくないか」
「?」
「すれ違う、あやかしの数が多すぎる」
普段がどうだか分からないので、多いと言われても分からない。
だが確かに脇を通り過ぎるたび、ギョロリと視線を向けられるのは気になっていた。
通り過ぎた後も立ち止まっては振り返り、千歳達の後ろ姿を追っている。
「お前、随分と見られてないか」
青褪める松五郎の、ざんばらに切った後ろ頭が千歳の瞳に映り込む。
興味深げなものから、悪意にまみれたもの。
……仄めく意図は、様々に。
あやかし達の視線を一身に感じながら、千歳は身を隠すようにして松五郎の影を踏む。
「クソッ、気味が悪ぃな!」
不穏な気配を察知し、千歳の腕を開放した松五郎は、袂に入れていた小さな呼子笛を握りしめた。
「それは何ですか?」
「これはな、吹けば涅家の討伐部隊が救援に来てくれるという優れモノだ。この笛を吹けば大丈夫……な、はず」
「心許ないです松五郎様」
「うるせぇ! いざという時は、助けが来るから問題ない……はず」
頼りないこと、この上ない。
言ってるそばから不安気に、キョロキョロと辺りを見廻している。
「お前を売る予定の店は、あやかしを相手にすることもある。早速客がついたと思えば、いいんじゃねぇかな」
「本気でそう思っていますか松五郎様」
「思ってるわけねぇだろうがッ!!」
だったら言わなければいいのに……。
騒ぎ立てるその後ろを、付かず離れず複数のあやかしがついてくる。
あまり目立ちたくないし、あやかしとひと悶着あっても面倒臭い。
敵意もなさそうだし、放っておけば大丈夫だろう。
「急ごうぜ、早くしねぇと夜が明けちまう」
見上げる空が、白々と淡みを帯びてくる。
もう夜明けも近いというのに、あやかしが入り交じる花街はまるで祭りの最中のように、途切れることのない往来で賑わっていた。