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【完結】あやかしに売られた『身代わり花嫁』は、愛されすぎて今日も死ねない  作者: 六花きい
第三章:当主様は生贄を甘やかしたい

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43. ――本当の、妻に。

※本日二話目です。


 陽が落ちきる直前の、空が茜色を帯びる時間帯。

 少し熱を持った風が夏の気配を感じさせ、蒼士郎は滲む汗を拭った。


 煉宝山の麓にある、美しい湖。

 鏡のように空を映しこみ、透き通った水面が揺れるその湖は、もう瘴気溢れる危険な地ではなくなった。


「……似合っているな」


 途切れがちに、蒼士郎はそれだけを告げる。


 特急仕立てで完成した、涼しげな藤色の浴衣。

 同系である深紫の帯を締めると、作務衣を着て走り回っていた時が別人のように大人びて、品良く見える。


 耳元には、藤の花をモチーフにした蒔絵のかんざし、――埋め込まれた螺鈿細工が美しく輝いていた。


 こちらも蒼士郎からの贈り物。

 何でもわざわざ本土まで船で渡り、自ら買い付けてきたというから驚きである。


「よく、似合っている」


 千歳の返事がないので、聞こえていないと思ったのだろうか。

 不器用に言い添える姿が、彼らしい。


「ッ、ふふふ……とても可愛い浴衣をありがとうございます。かんざしも大事に使いますね」


 二回も言ってしまって恥ずかしいのか、蒼士郎はふいっと気まずそうに目を逸らす。


 蒼士郎様も素敵ですよ?


 そう告げると、「そうか」と小さく返事が返ってくる。

 千歳と目が合い、落ち着きなく咳払いをするその耳が仄かに赤いのは、夕日のせいではないだろう。


 あっという間に陽が沈み、藍色の空が色濃く染まった。


 少し離れた場所の草むらには、御守様。

 そして御守様を囲むように、鬼山さんと松五郎、そして金魚の美津の上にまたがった豆狸兄弟が談笑している。


 千歳がホタルを見に行く話を聞いて、自分達も行きたいと騒ぎ出した豆狸兄弟。


 蒼士郎は二人で行くつもりで誘ったのだから、連れていけないと断った途端、「置いていくなんて酷い」「僕達も頑張ったのに千歳だけズルい」「ホタルが見たい」と、駄々をこね始めた。


 足元にしがみついて泣き叫び、懇願する姿についに根負けした千歳。ダメ元で蒼士郎に聞いてみたら、少々渋い顔をしつつ構わないと許可してくれた。


 ならば一緒にと御守様とイヅナ、鬼山さんに松五郎を伴い、ホタル観賞に繰り出した次第である。


「寝不足か?」


 ふわぁ、と欠伸を噛み殺した千歳を、蒼士郎が気遣ってくれる。


「昨夜は豆太が大はしゃぎでして」

「なるほど……」


 御守様とお出掛けできるのが嬉しすぎて、昨晩なかなか眠れなかった豆太は、千歳の眠る屋根裏部屋に突撃をしてきた。


 布団にダイビングして起こした挙げ句、豆千代までちょっかいを掛けにきて、さらにはお泊りに来ていたイヅナまでをも巻き込んで朝方まで、千歳の眠りを妨害し続けたのである。


 体力の差だろうか、あやかしと人間の違いだろうか、殆ど寝ていないはずなのに元気いっぱいの豆太達。

 おかげですっかり睡眠不足なのだが……その時、わっと歓声が上がり、豆千代が空を指差した。


 視界の端に、ひとつ、またひとつと、緑がかった淡い光が映り込む。

 宙を漂う小さな明かりは、点いては消える灯火のように、ゆらゆらと揺れていた。


「うぁぁ、な、何、ホタルが耳のところにッ!? え、払うと死んじゃう?」

「いやでも綺麗だから……」

「兄ちゃん、そんなこと言ってる場合じゃ!! ちょっと誰か取って!? か、かゆい」

「痒いのか!? 一体どうしたら」


 相変わらずのコンビに、「何やってんだ静かにしろ」と松五郎が呆れながら頭をはたいた後、騒ぐ豆太の耳元を手のひらで囲み、空にホタルを放った。


 追いかけようと尾びれを振った妹の美津に、「絶対に食うなよ」と松五郎が笑いながら注意をしている。


 ついでに命令されるがまま鬼山さんを肩車し……口は悪いがすこぶる面倒見の良い松五郎。いの間にか皆の兄貴分として便利に使……もとい、慕われているらしい。


 楽しそうでなによりだ。

 穏やかな光景に千歳は微笑みをたたえる。


 ――見上げれば、夜空に浮かぶ無数の光。


「ホタルは、死んだ人間の魂が生まれ変わったものらしい」

「では、ほんの一夏の間だけ会いに来てくださるのですね」


 この中に、見知った者もいるのだろうか。


「綺麗……」


 溜息のように漏れた千歳の声に気付き、蒼士郎がぎこちない仕草で腕を伸ばす。


 その手が腰に回され、そっと抱き寄せられるがまま千歳は身を任せる。

 消えそうで消えない幻想的な瞬きが水面を彩り、二人は寄り添ったまま、しばらく静かに眺めていた。


「……一度だけ、日奈子様として話を聞いてくれますか?」


 もう覚えていないかもしれませんが、と蒼士郎が言葉を紡ぐ。

 それだけで、何を言いたいのか察してしまう。


「俺はあの時、日奈子様の最期の言葉を守れませんでした」


 ――『良き妻を娶って子を為し、涅家を支えるように』。


 許容しがたい最期の言葉は、前世の記憶を思い出してから今日までずっと、刺さったまま抜けない楔のように、蒼士郎の胸に埋まり続けていたのだろう。


「ただただ貴女に会いたい一心で持ち場を離れ、湖へ……妻を娶ることもなく、涅家を支えることも出来ず、そのまま死にました」


 しばしの沈黙の後、言葉を続ける。


「申し訳ありませんでした」


 苦しそうに歪められた顔。

 だがどうしてもあの言葉を聞くわけにはいかなかったのだと告げられる。


「俺の妻は、貴女だけです」


 蒼士郎の言葉に何も返せず、黙りこくる千歳の頭に、頬を寄せる。


「昔も、――そして、今もです」


 本当は分かっていたのだ。

 蒼士郎が告げたいことも、欲しい言葉も、すべて。


「儀礼的な結婚式を挙げたので身分上は夫婦ですが、その……あれは仕方なく嫁いだ面も多かったので」


 御守様が、……浅葱が、ふとこちらに視線を向けた気がした。

 ホタルを追いかけて、御守様たちが離れていく。


「待てよ日奈子様としてじゃなく、千歳として聞いてもらうべきなのか?」


 途中でよく分からなくなってしまったらしく、独り言ちる蒼士郎の声が頭の上から聞こえてくる。


 どちらでも、と千歳が答えると、蒼士郎が息を呑む。

 日奈子でも千歳でも、――もう答えは決まっているのだ。


「もう一度」


 あの時は、ダメだったけれど。

 腰を抱く腕が強張り、ぐぐ、と力が籠もる。


「……もう一度、妻になってくれますか?」


 ――本当の、妻に。


 千歳の口元が小さく動き、その答えが蒼士郎の耳に届く。

 次の瞬間、蒼士郎は微かな戸惑いをにじませながら、滑らかな頬に手を添えた。


 応えるように千歳が目を伏せると、触れ合う唇から熱が伝わってくる。

 胸の奥に沈んでいた心残りは、絡まった結び目が解けるようにジワリと溶けて、消えていく。


 一瞬だけ離れた唇は切ないほどの熱を帯び、再び千歳に落ちてきた。

 緊張で強張った蒼士郎の腕が、千歳の腰を引き寄せる。


 すべてを受け入れるように蒼士郎の肩へ手を添え、――千歳は甘やかに、身をゆだねた。






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