41. 井戸の中から何かが見ている
月明かりが淡く差し込む納屋の窓辺で、豆太はうつらうつらと居眠りをしていた。
今日は早当番なので、誰よりも先に起きて釜戸に火を入れなければならないのに。
もう少し眠りたい、桃が食べたいと寝惚けながら呟いていると、眠気に勝てず頭が上下し、柔らかいほっぺたがプニプニと揺れる。
すると納屋の隣にある古井戸のほうから、カポンと桶がぶつかったような音がした。
「んぁ?」
キョロキョロと辺りを見廻すと、隣で兄の豆千代がお腹を出して爆睡している。
「……何の、音?」
寝ぼけ眼で身を乗り出し、重たいまぶたをこじ開けるようにして窓から様子を窺った。
古井戸の奥にはふわりと朱い光が浮かび上がり、揺らめいている。
そして次の瞬間、二つの瞳がギョロリと豆太を捉えた。
「な、何なの……!?」
……お、……おばけ?
「兄ちゃん、あああ千歳ぇぇっ」
豆太の尻尾と耳は恐怖で逆立ち、埃っぽい納屋に甲高い悲鳴がこだまする。
大声を上げ、窓辺から転げ落ちるようにしてドタドタ走り回る豆太。蹴飛ばした枕が跳ね飛んだ。
「豆太、うるさい!」
日が上る前から大騒ぎをする豆太に起こされ、兄の豆千代が苛立ち、何事かと千歳が上から降りてくる。
「どうしました?」
「千歳! 井戸、井戸におばけがいる!!」
「おばけ? ああ、いますね。怖くないやつですよ」
「怖くないおばけって何!? 意味が分かんないんだけど!?」
窓辺に歩み寄り、大丈夫だから見てくださいと手招きをすると、恐る恐るといった様子で近付いてくる豆狸兄弟。
妖怪なのに、おばけが怖い?
大差ない気がするのだが……。
抱き合い怯える豆狸兄弟とともに再度窓から下を覗くと、……そこには何もいなかった。
「いなくなりましたね」
「ええッ!? さっきまでいたのに!?」
そんなはずは……首を傾げる豆太と、こんなことで起こしやがってと怒る豆千代。
「では、解決ということで」
「また出てくるかもしれないのに!?」
ぎょえええと騒ぎ立てる豆太……だが突然その動きを止めた。
ポタ、ポタ、と水が滴る音がどこからか聞こえる。
古井戸を見下ろしていた三人の手元で、古びた木枠に黒いシミが、一つ、また一つと増えていく。
「…………ッ」
ゴクリ、と唾を呑み込み、豆狸兄弟はゆっくりと後ろを振り返って――。
「ひゃあああぁ――っ!」
情けない声を張り上げながらオロオロと右往左往する二匹の豆狸兄弟に、ビックリしてパチリと目を丸くする……真っ赤な金魚。
可愛い睫毛が湿り気を帯び、月明りの下、ツヤツヤと輝いている。
「二人とも、美津ですよ?」
声を掛けるがまるで聞こえてないらしい。
一体どうしたのだと、走り回る二匹のもとへ心配気に泳いでいった美津の尾びれから、ぴちょん、と豆太の頭に水滴が落ちた。
「ひょおおおお!」
寝惚け混じりでパニック状態の二匹にどうしたら良いか分からず、金魚の美津は、チラリと千歳を振り返る。
一旦千歳のもとへ戻ろうとクルリと尾びれを振るが、豆狸兄弟があまりにも大きな悲鳴を上げるので、やっぱり心配になったのだろうか。
そっと引き返してくるその姿を見て、二匹は一段と声を張り上げた。
「ひぃぃ、こっちに来ないでぇぇ!」
泣き叫びながら後退る二人。
騒ぎを聞きつけ、納屋の周りに使用人達が集まってくる。
外に脱出しようと引き戸に手を掛けるのだが、開けようとして転んだ豆太に躓き、豆千代もまた転んで床に頭を打ち、「ぬおおおお!!」と叫びながら悶絶している。
う、うるさい……。
千歳が口元で小さく何かを呟くと、バチッと音がして、二匹の目元で大きめの火花が飛び散った。
「熱ッ」
「イッタァァァ!!」
「まったくもう、よく見てください! おばけじゃなくて美津です!!」
収拾がつかない状態で転がる豆狸兄弟を、両手でヒョイッと持ち上げて、美津の正面に近付ける。
落ち着いて目を向ければ、そこには見慣れた……可愛い金魚。
申し訳なさそうな、困ったような、何とも言えない眼差しで二匹を見つめている。
「何の騒ぎだ!?」
イヅナに呼ばれ、慌てて駆けてきた蒼士郎はすぐさま状況を把握し、千歳の手から二匹を奪い取った。
「お前達、夜中に騒ぐなと何度言ったら分かるんだ!?」
迷惑をかけるなと蒼士郎に怒られて、二匹はシュンと肩を落としている。
「千歳の睡眠を毎回邪魔して……今週一週間、早当番はお前達だけで担当しろ」
千歳は、しばらく当番免除だ。
ちょっと依怙贔屓が入ってそうな気もするが、ゆっくり眠れるのは嬉しいので、蒼士郎の言葉に甘えることにした。
――そして、三日後。
「ままま豆太ぁぁぁッ!? 千歳ぇっ」
ドタドタと走り回る豆千代に起こされ、千歳は「う――ん」と考えこむように頤へと指を当てる。
毎回毎回寝惚けては、美津に驚く豆狸達。
……正直そろそろ学んで欲しい。
「美津、申し訳ないんですが……違う井戸でもいいですか?」
一応女の子だから、千歳の傍でと思っていたが、毎晩これじゃあ眠れない。
蒼士郎の部屋の近くにも確か井戸があったから、……そこでいいかな?
迷惑をかけてごめんねと謝ると、構わないとでも言うように、美津がパクパクと口を動かした。
いつも読んでくださりありがとうございます。
※残り3~4話で完結です。年内に完結までお届けできるよう頑張ります……。
※プロローグを追加し、1~5話を改稿しました。
よろしくお願いいたします。