39. 当主様が何故か後ろをついてくる
――瘴気が収まり、皆グッタリと泥のように眠った翌朝。
柔らかな朝の光が、開け放たれた窓から差し込んでくる。
「眠い……」
「ワガママ言うな、眠いのは俺達だって一緒だ! あんな重労働を、しかも当日に命じるなんて一体どういう神経をしているんだ!?」
「同じく重労働後のイヅナが、あちらでつまみ食い中ですが」
「ああ――ッ!?」
どんなに疲れていても、食事を取らなければ回復しない。
日も昇らないうちに豆千代に叩き起こされた上、ザル山盛りの野菜を渡されて、かれこれ半刻以上……千歳はひたすら野菜の皮むきをしていた。
大鍋の前でつまみ食いをしていたイヅナに逃げられ、地団駄を踏む豆千代の小さい足がちょっと可愛い。
「見て千歳、井戸水もすっかり綺麗になった!!」
炊事場に入ってきた弟の豆太が天秤棒を降ろすと、桶の中には澄んだ水が入っている。
湖もそうだが、屋敷内の古井戸も湧き水もすべて瘴気が祓われ、安全に飲めるようになった。
「僕たちが頑張ったおかげだよ」
「……ありがとう」
得意気な豆太の頭を一撫ですると、尻尾が嬉しそうにピコピコ動いている。
あの後、すべての使用人と討伐部隊が屋敷に集められ、当主の蒼士郎から瘴気が祓われた旨の説明が為された。
千歳の内情についてはあまり広める必要もないため、豆千代達と討伐部隊への説明のみに留めている。
湖の瘴気は祓われたものの、小さな瘴気溜まりはどうしても定期的に発生してしまう。
だが今回みたく、宵っ張りで対応が必要になるような場面は、余程のことがない限りもうないだろう。
「旨そうな匂いがするな」
「あ、蒼士郎様。おはようございます」
「……ん、おはよう。俺も手伝おう」
蒼士郎が炊事場を覗き、腕まくりをする。
そのまま千歳の傍らに立ち、小さな椀に味噌汁をよそるのを手伝ってくれた。
輝く白ご飯からはホカホカと湯気が立ち昇り、食欲を刺激する。
焼きたての塩鮭と出汁たっぷりの厚焼き玉子。
断面には綺麗な層がいくつも並び、箸を入れたらふんわりと沈みそうなほど柔らかい。
「御守様は傷が深いため、まだ眠っておられる。食事は起きてからでいい」
朝餉の準備が終わり、御守様、蒼士郎、討伐部隊、そしてその他の使用人達の順で配膳していく予定だったのだが。
御守様の傷は深く、回復するのに少々時間がかかりそうだ。
「千歳、今日は俺と一緒に食おう」
「蒼士郎様と一緒にですか? そうなると使用人に配り終えてからなので、最後になってしまいますが……」
「構わない。……はぁ、駄目だな。日奈子様だと思うと緊張してしまう」
「ふふ、今は日奈子ではなく、ただの千歳です」
前世とは切り分け、ただの千歳として接して欲しい。
あの後、千歳は蒼士郎にそうお願いした。
生贄の必要性がなくなった今、婚姻自体もどうなるかわからない。前世でのこともあり、お互いどう接したらいいか分からないでいた。
「そのために、使用人として接しているのですから」
「……それも含めて、御守様の目が覚めたら話をしよう」
いつになく真剣な蒼士郎。
ではその時に、と話を中断し膳を持つと、横から蒼士郎に奪われてしまう。
「その細腕に重い物は持たせられない」
「いえでも、それが仕事ですから」
大丈夫ですから返してくださいと奪い返すが、やはり手伝うつもりらしい。
別の膳を持ってピッタリと、千歳の後ろをついてくるのだ。
「やりにくい……」
「では少し距離を空けよう」
「いえ、そういう話ではないのですが……」
御守様と蒼士郎は後回しのため、邸内に部屋を持っている討伐部隊長クラスから配膳していく。
こじんまりとした部屋を訪れると、疲れ果てて横になっていた部隊長が慌てて起き上がった。
「昨日はお疲れさまでした。温かいうちに召しあがってください」
「ありがとうございます。……当主様に嫁がれた千歳様が、何故配膳を?」
「生贄が不要になり、私の立場については再考すると伺っています。ですので一旦、使用人の身分に戻していただきました」
膳を置いた後、千歳は改めて部隊長の手を取った。
「この度はご尽力くださり、ありがとうございました」
「え?」
「微力ですが、どうか少しでも回復しますように」
手が触れた瞬間、温かい霊力が流れ込んできたこと驚き、部隊長が目を瞠る。
「今……?」
「昨日は限界まで戦われていたので、霊力が枯渇状態だったようです。わずかではありますが、お力になれれば、と」
「すごい……あんなに気怠かったのに、随分と身体が楽になりました」
「それは何よりです。また昼頃に参りますね」
数回続ければ全快するはずです。
部隊長は微笑む千歳につられるように口元を綻ばせ……そして握られた手の上に影が差したことに気が付いた。
訝しむように視線が上向き……次の瞬間、部隊長はビシリと固まる。
「な、なぜ当主様が配膳を……!?」
「お前達を労うためだ。遠野、昨日は御苦労だったな」
「ええと、ありがとうございます……?」
千歳の後ろには、両手に膳を持った涅家当主の蒼士郎。
労いの言葉をかけるものの、部隊長を見下ろすその目は怒りに満ちている。
「千歳、もういいんじゃないか?」
「え? ああ、そうですね。それでは失礼致します」
去り際、振り返った蒼士郎に再びギロリと睨まれてしまう。
「一体何だったんだ……?」
遠野と呼ばれた部隊長は、よく分からない当主来訪イベントに、ゴクリと唾を呑み込んだ。