38. 貴女も今、あの空を見ていますか
異形の刃が腹に食い込み、浅葱が崩れ落ちていく。
「……兄上ッ!!」
怒りと悲しみに突き動かされ、我を忘れ……そして蒼士もまた力尽きてしまう。
温かな血が流れ、命がこぼれ落ちるような感覚とともに薄れる意識の中、倒れざま目に入ったのは、光り輝くように美しい真白の狐――。
傷だらけの蒼士とはあまりに対照的な、汚れひとつない純白の毛並み。
力が抜けた身体を何とか斜め向け、叫ぶような痛みの中、蒼士は最後の力を振り絞りその狐を見つめる。
駆けざま、真白の狐は空を見上げ、大きく一鳴きした。
澄んだ声は瘴気を祓い、辺り一面に広がっていた靄が音もなく消えていく。
すべての瘴気が消え去る瞬間、まるでほうき星が天を駆けたように光が走り、分厚い雲が割れていく。
曇天の隙間から姿を現した空が、鮮やかな青に染まった。
吹き抜ける風は穏やかで、もしかしたら日奈子の魂が今まさに天に昇るところなのかもしれないと――そんなことを考えてしまう。
『良き妻を娶って子を為し、涅家を支えるように』
許容しがたい最期の言葉を思い出し、尽きない怒りとともに濁った瞳がじわりと湿り気を帯びた。
――俺の妻は、貴女だけです。
最後の最後で命令に逆らった今の蒼士を、日奈子がもし見ていたら何と言うだろう。
守れなかったことを、責めるだろうか。
それとも、いつものように柔らかく微笑んでくれるだろうか。
生命の灯をきれぎれに燃やし、最期を迎えるこのひととき。
意識が朦朧とする中、蒼士の視界が次第にぼやけていく。
――日奈子様。
貴女も今、あの空を見ていますか。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
次章からは楽しいお話になりますので、紅茶片手にゆったりと御覧いただけましたら幸いです。