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37. それは、みっつの生きる意味


 水面に向かって跳ねるような動きをした後、松五郎の視界から金魚が消える。

 地に埋めていた護り石の反発が和らぎ、足元で何かが動いた。


 視線を落とした先には、少しオレンジがかった色合いに、ほんのりと白い腹。

 ――またしても先程の金魚がいる。 


 護り石からの反発が何故か弱くなり……押さえる手に、ぐ、と力を籠めると、容易に地中へと押し返すことが出来た。


「なんだ? この金魚どこかで……」


 金魚はパクパクと口を動かしながら、どこか楽しそうに松五郎の足元を一回りする。


 そして、不意に目が合った。

 まさかと思った瞬間、さらに驚くべきことに気付いてしまう。


「まつげ……? 金魚にまつげ?」


 後ろに回った金魚に、つんつん、と尻を二回つつかれる。

 金魚が宙を跳ね、それに合わせて松五郎の心臓もドクリと跳ねた。


「……え?」


 記憶の底から幼い妹、美津(みつ)の笑顔が蘇る。

 貧民街で生きる松五郎に親はなく、日々をなんとかやり過ごすだけの貧しい生活を送っていた。


 兄一人、妹一人の貧しい暮らしの中で、美津が唯一心の支えにしていた小さな金魚。

 ある朝、腹を上向けて死んでいた金魚に、美津は一日中泣き続けた。


 喜ぶ顔を見たくて母の形見を売り、金魚の浴衣を買ってやった時のはしゃぐ姿は今でも忘れられない。


「金魚なのに、睫毛がある」

「うるせえ、これしか無かったんだよ。帰ってきたら着せてやるから金魚を埋めてこい」

「やったあ! お兄ちゃん、約束だよ?」


 もう十歳になるから一人でも大丈夫だろう。


 そう思い、死んでしまった金魚を浜辺に埋めるよう伝えたこの日のことを。

 それきり、戻らない妹を探しに行った夜のことを、松五郎は一生後悔し続けることになる。


 一度も袖を通されることのなかった、金魚の浴衣。

 捨てることもできず、たまに取り出しては眺めていた、金魚の浴衣。


 松五郎は再び尻を二回つつかれ、現実へと引き戻された。


「おい、千歳。そういうことかよ……」


 その仕草に、思わず言葉を詰まらせる。

 それは美津が生きていた頃、手が離せない松五郎に遊んで欲しくて、ちょっかいを出してきた仕草そのままだった。


『ひとりは、寂しいだろう?』


 そう言って満面の笑みを浮かべていた千歳。


「バカ野郎、ずっと近くにいたんじゃねぇか」


 パクパクと何かを言いたげに口を動かす金魚の仕草が、どこか憎たらしく……泣きたくなるほど懐かしかった。


「美津……兄ちゃんのこと、手伝ってくれるか?」


 金魚がひとつ、頷いたように見える。

 松五郎の節くれだった手の上に、小さな手のひらが触れるような感覚を覚える。


 千歳に連れられ、なぜか涅家で働く事になり、嫌でも毎日あやかしに囲まれて健康的な生活を送る羽目になってしまった。


「くそ、千歳のやつ、デカイ置き土産を残していきやがって……」


 沈んじまったら文句も言えねぇと、松五郎は独り言ちる。


「……ま、諸共だな」


 どうせこのまま瘴気が抑えられなければ、腐り落ちるか異形に喰われるかの二択しかないのだ。

 ダメならダメで、死んでから文句の一つも言ってやる。


 ――そう。

 喰われるならば、諸共だ。



 ***



 大蛇から溢れ出した瘴気が、瞬く間に広がっていく。

 千歳は逃げるでもなく、慌てるでもなくニコリと微笑み、そして天に向かい両腕をかざした。


 花街とハレの煉獄を隔てる高壁に沿って、四方、等間隔に埋められた『護り石』の欠片。

 四つの護り石から放たれた光が、曇天を貫くように、天に向かって伸びていく。


 空気が震え、光の壁は次第に幅を狭めながら、瘴気を中心部へと押し戻す。

 触れた場所から黒い靄が消え、まるで瘴気など初めからなかったかのように、透き通った清浄な空気が広がっていく。


 三ツ島の中心部にある湖の岩山に向かい、徐々に、徐々に幅を狭めた。


「浅葱。……長い間、すまなかった」


 荒い息を整えながら、隣に立つ御守様にそう声を掛けると、頬ずりをするように顔を寄せてくる。


 その美しい毛並みに触れ、「ありがとう」と呟くと、大きく開いた御守様のビー玉みたいな瞳から、ぽろりぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。


 ひとつ、ふたつ、みっつ……しずくはキラキラと宝石のように輝いて、ふわりと空へ舞い上がる。


 それは、償い。

 それは、祈り。

 それは、怒り――。


 大蛇に止めを刺し終えた蒼士郎が視界の端に映る。

 素早く踵を返し、千歳と御守様のもとへ、全力で駆けてくる姿が。


 それぞれがそれぞれに、必死に紡いだもの。

 ――それは、みっつの生きる意味。


 岩山の頂点に集まった光の壁は、最後には糸のように細くなる。

 瞬く星のような煌めきを残し、パチンと弾けて消えた後。


 ざあっと音を立て、埋め尽くすほどに重く空を覆っていた雲が晴れていく。


 神秘的な光景を、千歳も蒼士郎も息を呑んで見つめる中。

 ただ天をあおぐ真白の狐が、しずかにそっと、目をつむった。







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