36. 本当に欲しい物は、いつも手に入らない
大蛇が水中に戻れないよう、御守様と蒼士郎は伸びる瘴気を払いながら、慎重に湖から距離を取っていく。
「……う、うわぁぁぁぁッ!?」
討伐部隊が控える後方から、突然叫び声が聞こえた。
「なんだ!?」
「蒼士郎、よそ見をしている暇はないぞ」
思い通りにならない攻撃にしびれを切らした大蛇は、射程距離にいた討伐部隊の足元へと、忍び寄るように瘴気を伸ばしていたらしい。
地を這い、伸びた瘴気が形を変え、まるで意思を持ったかのように隊員達の足を絡め取った。
必死に引き離そうと藻掻くが、すでに手遅れ。
そのまま勢いをつけ、次々に……重力に逆らうように上空へと向かっていく。
力いっぱい地に叩きつけ毬のように、瘴気の蔓が隊員達を放り投げ、為すすべもなく宙を舞う。
それでも追い詰める手を休めない御守様と蒼士郎に、もはや逃げられないと悟ったのだろうか。
最後の力を振り絞り、大蛇は憎悪に満ちた叫び声をあげた。
次の瞬間、大蛇の身体から黒い瘴気が一気に噴き出す。
「クソッ、瘴気だ!! みんな、退け!」
蒼士郎が叫ぶや否や、濃密な靄が空気を裂くように広がり、瞬く間に周囲を覆い尽くしていく。
「俺がトドメを刺します! どうか千歳の傍に」
「……分かった。油断するなよ」
瘴気を放出し、大蛇が弱体化している今なら、蒼士郎一人でも相手にできる。
この靄の中であっても、あやかし混じりの蒼士郎であれば、数分程度なら堪えられるのだ。
だがこのまま瘴気が広がれば、今度は周辺のあやかしが瘴気に侵され、異形になってしまう。
前回は異形が次々に人を襲い、被害が拡大してしまった。
「くそ、いただいた霊力が底を尽きかけている」
御守様は舌打ちし、噴き出す瘴気を割り裂いて、千歳を避難させるため全速力で駆けていく。
大蛇から溢れ出した三ツ島を覆うほどの瘴気。
だが千歳は逃げるでもなく、慌てるでもなく、御守様に向かってニコリと微笑み、――そして天に向かい両腕をかざした。
***
(SIDE:松五郎)
「ああああいつ、本当にふざっけんなよ!? 非力で平凡な人間にこんな……こんな重要任務を、しかも本番当日に突然ふっかけて」
「松五郎、うるせぇ」
「いや、そりゃ鬼山さんはいいですよ!? 立派なあやかしなんですから。ですが俺は違います!」
松五郎の『立派なあやかし』発言に気分を良くしたのか、鬼山さんの鼻唄が聞こえる。
「こんな時に鼻唄だと!? 重要任務に望む覚悟が足りないんじゃないか!?」
「そうだ兄ちゃんの言う通りだ。そして松五郎は弱音が多くてイライラする」
「黙れタヌキども!! お前達だって充分立派なあやかしじゃねぇか! というより、護り石のこの通信機能、いる!? どういう仕組みなんだよ!?」
ついでに自分達も『立派なあやかし』扱いされ、「まぁ人間だし? ちょっとくらいなら弱音を吐いても仕方ないか」と豆太が華麗に手のひらを返している。
千歳が生贄になると聞き、やっぱり涅家になんか売るんじゃなかったと後悔しきりだった松五郎。
何かあった時の為、昨夜は豆狸兄弟と鬼山さん、そして松五郎の四人で仲良く納屋で寝たのだが――。
「さっさと支度をしなさい! お前達に重要任務よ!!」
早朝突然イヅナが現れ、千歳から重要任務を言いつかったと整列をさせられた。
「本日これより瘴気を防ぐため、東西南北に分かれ、高壁に沿って等間隔に『護り石』を埋めます!!」
「はい?」
「霊力フル充電済の護り石よ。ありがたく受け取りなさい!」
豆狸兄弟と鬼山さんが、護り石と一緒に霊力を受け取ったらしく、「力が漲る」と喜んでいる。
それは何よりだと他人事のように見ていたら、イヅナは何故か松五郎にまで護り石を渡した。
「ちょ、イヅナ様、俺は人間だし無理ですって。何をどうしたらいいか分かんねぇし」
「簡単よ、護り石を地面に埋めるだけ。濃い瘴気が当たると抜け落ちるから、抑えるのよ!」
瘴気が当たる前提での重要任務。
祓えもしない一般人に向かってふざけんなよ!? 他の奴に頼めよ! と叫びたかったが、鬼山さんに食べられちゃいそうなので止めておく。
「前回も湖の瘴気が拡がり、最初は周辺の村々に。そして三ツ島全体に……被害が拡大してしまったの。でも今回は、ハレの煉獄と花街との間に壁がある」
あやかしが数多暮らす三ツ島。
涅家の使用人だけでも大層な数になる。
それが異形になってしまったら、と考えただけでも恐ろしい。
「花街と隔たる壁を超えても、次は一般街への壁があるわ。二重に張り巡らされた防壁は、御守様が代替わりしてまず初めに、何十年もかけて作り上げた物なのよ」
イヅナはまるで我が事のように、得意気な顔で続ける。
「コレが上手くいったら、私からみんなにご褒美がもらえるよう、主様に取計らってあげるわ!」
何がいいか考えておきなさいと言われ、豆狸兄弟と鬼山さんからワッと歓声が上がる。
千歳の最期の願いと聞けばそれ以上は断れず、嫌々護り石を受け取ったのだが……愚痴を言うくらいは許してほしい。
「護り石は、いつ地に埋めればいいですか?」
「もうすぐよ……ああ、来たわね」
湖の方角から黒い煙が上がる。
それは見る間に大きくなり、円柱状に広がった。
「護り石を地に埋めなさい!! 何があっても手を離したり、地面から抜け落ちたりしないよう気を付けて!」
「ぐ、くそ、反発する……!!」
「瘴気に当たると抜け落ちるって言ったでしょ!? わずかだけど、地中にも瘴気は伝達する。力尽くで抑えなさい!」
おぞましい光景に怯えながら、松五郎は抜け落ちそうになる護り石を必死で押さえた。
「うわぁぁあん、兄ちゃんアレ見て!? 何か噴き出してる!?」
「ふ、ふざけ……だから俺は普通の人間だと何度言ったら……!?」
「いいから頑張りなさい! ザル山盛りの桃が貰えるかもしれないでしょ!?」
何だそのしょうもないご褒美は!!
更なる歓声を上げるちょっとおバカなあやかし達は置いといて、命を賭けるにはちょっと不十分感が否めない。
千歳の最期の言葉じゃなければ、とっくに逃げ出しているところなのに。
……それに。
ご褒美だなんて言われても、本当に欲しい物が手に入ったことなど、人生で一度だってなかった。
「も、もう無理……!」
松五郎のすぐ近くまで瘴気が迫ってきている。
地に埋めていた護り石の反発も強くなり、必死で押さえるがこれ以上はとても――。
「千歳、すまん!!」
限界を迎え、諦めて力を抜こうとしたその時、後ろに気配を感じた。
ふわりと何かが頬に触れ、見上げればそこには、――真っ赤な金魚。
松五郎の肩幅ほどもあるその金魚は、ふわふわとまるで泳ぐかのように尾びれをふり、そして松五郎の周りをクルリと回った。
第二章「ハレの煉獄」は、あと二話です。
三章以降は明るいお話になりますので、あともう少しだけお付き合いいただけますと幸いです(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ